毛利は意外と多く残ったのか?
この物語はフィクションです。
西暦1582年6月2日
11時00分 備中国・高松城付近
「皆様方、本案が織田方との最終合意となります。
某に全権を預けて頂き、誠にありがとうございました。
織田方は当初の黒田官兵衛殿の案から、大幅な譲歩をしました。
最終的に毛利の石高は95万国。
本領安堵は安芸国・石見国・出雲国・それに伯耆国西半分・備後国北半分・長門国東半分・周防国北半分となります。」
「更に石見銀山に付いては織田・毛利の共同管理。
銀採掘の実務はほぼ全て毛利が請け負い、最終的な銀生産の利益の7割が毛利。
3割が織田という取り決めになります。
大変苦しい割合ですが、織田に全てを取られるよりは遥かにマシ。
銀産出量が増えれば増える程に、毛利も7割残ると思えば良案かと。」
「毛利領内の港については、土地として織田は割譲を求めない。
その代わりに毛利領内の各港は、織田領と同等に自由に商売活動を認める。
各種の座や組合は、織田方からの商人を一切制約出来ないという取り決め。」
「備中高松城は廃城とするが、城主の清水宗治は毛利家の直臣として、改めて毛利家に仕える。
織田家は毛利家を尊重し、今後は東国の徳川家と同等の扱いとして遇する。」
(・・・何故だ。織田はどうして毛利にこんなに譲歩するんだ。
もちろん厳しい条件で毟り取られるよりは、手元に土地や銀山や港が残った方が良い。
織田家唯一無二の盟友である、東国の徳川家と同等の扱いなど・・・。
どうやって恵瓊殿は織田から条件をもぎ取ったのだ?。)
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11時20分 同
「ご当主様(毛利右馬守輝元)。これらの条件は毛利にとって有利かと存じます。」
「恵瓊殿。まだ少なくとも2つ重要な案件がありますぞ。」
「はて、どのような事柄でしょうか?。」
「まずは備後の鞆にいる、足利義昭様です。『鞆幕府』の征夷大将軍様。
どうなるのですか。先程の話には有りませんでしたぞ。」
「既に『鞆幕府』の征夷大将軍・足利義昭様はですね。
織田方に引き渡す事が確約しています。
私が勝手に承認しました。これからは足利様は前将軍様として、京都に帰還致します。
織田様は前将軍様に扶持を2万石、山城国にて宛行。
そしてご嫡子である義尋様(11歳)を引き渡すと。
足利の名跡を残す事を確約されています。」
(ぬぅ~、それならば毛利は義昭様に対して不義理とは言えないか。
長年の織田方への敵対行為を思えば、温情溢れる措置と言える。
本来ならば信長包囲網の首謀者として、殺されても文句も言えない方だと言うのに。
織田方は毛利にも足利にも存続の道を、残してくれている・・・。)
「あと残りの案件は・・・奥(妻)と嫡子は裏切り防止の為に人質として差し出す事か。」
「ご当主様、そちらについては織田方との協議に議案として出ませんでした。」
「何ですと!。それは考えられない。降伏した我らからは妻子を人質に取るのが当然の筈。」
「もはや織田にとっては、人質を取る意味すら無い。
圧倒的な力の差があるのだから、謀反を起こしたいのならご自由にという事かと。」
「余裕か・・・。だが当方が人質を送らねばならぬのは当然。
毛利に叛意など無い。奥(南の大方)と嫡男(毛利秀元)を安土に送ろう。
誤解が無い様にせねば。
御坊ご苦労様でした。織田方との困難な交渉を纏めて下さり、儂は感謝しております。
褒賞として安芸国にて3千石を安国寺に寄進致します。」
「・・・謹んでお受け致します。」
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11時40分 同
(港は・・・毛利の領土を確定する際に、織田方は海のある方面を重点的に取っている。
毛利は山地に押し込められたとも言えるが、それでも合計で95万国あれば家臣を養う事は出来る。)
(石見銀山については織田方は、毛利の上前を撥ねて労せず3割の最終利益を持って行く。
だが恵瓊殿の言う通り、銀産出量が増えれば毛利の手元に7割は大きい。)
(足利義昭様もお子様と一緒に生き残る、扶持2万石に前将軍の称号。
悪い扱い所か、寧ろ良くこんな条件を織田が認めたなと感心してしまう。)
(奥と嫡子は人質に送る。織田も態々要らぬとまでは言わない。)
(この条件ならば儂も叔父上たちも、お爺様(毛利元就)に顔向け出来る。
後は織田方に必死に付いていかねば・・・。
下手を打って折角の好条件を無碍にしてはならぬ。
食らいつく・・・織田の下で毛利は家を繋ぐのだ。
これなら儂でも出来る。叔父上達もいるんだ。
儂ならば出来る。これなら出来るぞ。)




