8-15
「俺の勝ち、だな。……まあ、ズルだけど」
俺ははじめから心理戦を仕掛けていた。
ジャンヌの目的は俺に勝つことでもキマイラを倒すことでもなく、オリエンテーリングで優勝することだ。
そのためには1分1秒でも早く面倒事を終わらせて競技に戻らなければならない。ダラダラと泥仕合をしている余裕などないのだ。
だから俺は自分から仕掛けるようなことはせず、ひたすら時間稼ぎに徹した。そしてジャンヌが焦ってミスをする瞬間を待っていたのだ。
「馬鹿だな。普段の君ならあんなバレバレの罠に引っ掛かることなんてなかったのに」
ジャンヌは名実ともに1期生最強、それどころかプロの冒険者と比べても遜色ない実力の持ち主だ。まともに戦えば俺なんて1分と持たないだろう。
そんな彼女に駆け出しの俺が勝利するためには揺さぶりをかけるしかない。卑怯者と言わば言え。仲間をキマイラの餌にするぐらいなら喜んで汚名を被ろう。
「どちらにしても負けは負けよ。私の力が足りなかった、それだけのこと」
ジャンヌは地面に座り込んだまま静かに俯いていた。こんなに意気消沈した彼女ははじめて見た。
敗北によるショックというより、自信を喪失してしまったことが大きいのだろう。才能に恵まれ、諦めることを知らない彼女は、良くも悪くも挫折を経験することなくここまで来たのだから。
「……私は、幼い頃からずっと、騎士になるために努力してきた。鍛錬は厳しかったけど、私が強くなるとお父様は喜んでくれたし、家のために頑張るのは子供ながらに誇らしいことだった。
それに、新しい知識や技術を1つずつ物にしていく度に、自分は成長しているんだ、大人に近付いているんだって実感できたことが何より嬉しかった」
彼女が騎士を目指す理由。それはアストラン家がどうとかいった複雑なものではなく、強くなっていくのが楽しい、褒められるのが嬉しいという子供っぽくて純粋な理由だった。
「だけど、兄様が元気になった途端に私はお払い箱になった。お父様は頭ごなしに命令するだけで私の気持ちなんてお構いなし。
……見返してやりたかった。誰の力も借りずに騎士になって、周囲に私の力を認めさせてやりたかった」
「だから、ずっと1人で探索を続けていたのか」
「相手に気を許しても、事情を知れば離れていくかもしれない。だったら、最初から1人でいた方が楽だから。誰だって親子喧嘩に首を突っ込んで将軍に目をつけられたくはないでしょう?」
軍や騎士団と連携して仕事に当たるケースもある以上、彼らに睨まれるような厄介事には近付かないというのが普通の考えだろう。バレッタのように彼女の決意を貴族の道楽と揶揄する者もいるかもしれない。
それゆえに彼女は1人でいることを選んだ。愚痴も漏らさず、泣き言1つ言わず、ただひたすら夢に向かって邁進し続けた。
「……なんて偉そうに言っても、結局私は何もできなかった。騎士になるどころか彼女に勝つことすらできず、挙句に我を忘れて馬鹿な真似をしようとして、あなたに負けた。
今まで自分を買い被りすぎていただけで、本当はその程度の人間だったのよ」
死人のようなか細い声は、これまでずっと彼女の中で張り詰めていた糸が切れてしまったかのようだった。
「私が身の程知らずで、みんなが正しかった。そういうことだったのよ。この決闘に負けてようやく分かったの。私なんかが、騎士に」
「なれるさ」
そんな態度は、まったくもってジャンヌらしくない。
彼女はいつだって、凛とした表情でカッコ良く前を向いているべきなのだ。
「騎士になれないだって?馬鹿なこと言うなよ。たった1回上手くいかなかった程度でいったい何が分かるっていうんだ?」
「だ、だって、こんなところで失敗している私なんかがこの先やっていけるはずがないじゃない!」
「君は本当に馬鹿だな……。頭のいい馬鹿だ。ある意味アキュートより始末が悪い」
「なっ──!」
1期生内でのみ通じる最大級の罵倒を受けてジャンヌが顔を上げた。まだ最低限のプライドは残っているということか。安心した。
「じゃあ聞くけどさ、君はトントン拍子に騎士になれるだなんて本気で考えていたのか?」
「それは……」
「違うよな。だいたい冒険者が騎士に取り立てられるためにはそれこそ山のような功績を積み上げるか、国家レベルの難事を救わなきゃならないらしいじゃないか。
どっちも簡単にこなせることじゃないし、1度も失敗せずにそこまで成り上がるなんてそれこそご都合主義だ」
失敗も挫折も敗北も、人の一生には良くあることなのだ。
無敗のボクサーや全打席ホームランを打つバッターはそりゃあカッコいいだろうが、大抵の人間は勝って負けてを繰り返しながら少しずつ成長していくものだ。
「生きてさえいれば次があるんだ。目の前の勝負に固執して無駄死にしたり、1度や2度の失敗で諦めたりするのはそれこそもったいないだろ?」
「……だけど、私にはもう自信がないの。自分の弱さを自覚してしまった以上、今までのように根拠もなく『騎士になれる』なんて身の丈に合わない夢想を続けることはできない」
「なれる。それだけは保証する」
「どうして、そう思うの?」
「君が凄い奴だからさ」
自信たっぷりに言い切った俺を、ジャンヌは目を丸くして見上げていた。
俺に言わせれば、どうしてジャンヌが自分の凄さに気付かないのかさっぱり分からなかった。
「君は、凄い。これはもう議論を差し挟む余地もないくらいの真実だ。
だってそうだろう?君はたった1人でここまで歩んで来たんだ。父親の妨害にも負けず、険しい道のりに挫けることもなく、騎士を目指してひたむきに努力を続けてきた。
自分でも言ってたじゃないか。『どれだけ困難な道だろうと逃げるわけにはいかない』って。ジャンヌ=アストランは、君自身が思っているよりもずっと強い人間なんだ」
俺は、どんな状況でも諦めないジャンヌの真っ直ぐな心に憧れていたのだ。
あの時の俺は諦めていた。変わってしまった父さんと母さんの関係にただ恐怖するばかりで、何も行動を起こさなかった。
もしも俺にジャンヌほどの強さがあったのなら、今頃はまったく違う未来を歩んでいたのかもしれない。そう思える程に彼女は立派だった。
「ジャンヌなら絶対に騎士になれる。君で無理なら誰にだって無理だよ。それでも自信が持てないっていうなら、俺たちを頼ってくれ」
「あなた、を……?」
「1人で全部抱え込まなくてもいいんだ。グロムもマナも、他のみんなだって、君がつらい時には助けてくれるし、相談に乗ってくれるはずさ。少なくとも俺は、君の力になりたいと思ってる。
……っていうか、似たようなことを何度も言ってるだろ?もうそろそろ覚えてくれてもいいと思うんだけど」
「スタンドプレーは、禁止……」
ジャンヌの瞳に、少しずつ輝きが戻ってくる。透き通ったアクアマリンのように青い瞳は、彼女の一途さ、純真さを象徴しているかのようだ。
「ほら、早く立って。何とかして川を渡る方法を考えよう。時間がないんだろ?」
「……うん」
童女のような素直さでこくんと頷いたジャンヌは、差し出された手をしっかりと握って立ち上がった。少しひんやりしているが、適度な温かさが俺の手を包む。
これで万事元通り……いや、元より良くなった。ジャンヌは憑き物が落ちたように清々しい顔で俺を見つめている。
……ところで、彼女はいつまで手を握っているのだろう?嫌というわけではないが、このままだと次の行動に移り辛い。
ま、まあ、何はともあれこれで喧嘩は終わり、仲直りも済んだ。ほっと一息ついた俺と、温かな微笑を浮かべるジャンヌの後ろで、
「あ、あのっ……キマイラがこっちに向かってきてるんですけど──!?」
「「えっ」」
緊急事態が発生していた。




