8-16
逞しい4本脚であっという間に坂を駆け上がってきたキマイラは、2秒と経たずに林の中の俺たちを見つけ出した。
「くそ、どうして気付かれたんだ──!?」
「どうしてもこうしてもありませんよ!こんなところで盛大にドンパチやってて気付かれないはずないじゃないですかぁー!」
言われてみればその通りだった。
キマイラとの戦いを避けようとしていた矢先にこうなるなんて、人生とは皮肉なものだと言わざるを得ない。
「ソウタ、気を付けて。……来る!」
キマイラは豪快に木々を薙ぎ倒して林の中に侵入してきた。奴は入り口付近で停止すると、3つの頭でそれぞれに俺たちを品定めし始めた。
「何やら騒がしいと思えば、ニンゲンがたったの3匹か。食いでがないな。まあよい、私は1番大きな奴をいただく」
3つ首のまとめ役と思しき獅子が口を開く。流暢に言語を操る魔物。キマイラはパワーやスピードだけでなく高い知能まで有しているのか。
「俺は女をもらうぞ!男の肉なんざ固くて食えたもんじゃねーからな!」
尻尾の大蛇が体を振り乱しながら主張する。長さはキマイラの体長と同じぐらいだろうか。思ったより長い。
「なら、ワシはあの緑色の奴にするかの。色的に草っぽいし、たぶん味も草っぽいじゃろ」
「だ、誰が草ですか!」
最後に背中の山羊がしわがれ声でいなないた。獅子や大蛇に比べるといささか迫力に欠けるが、その老獪な雰囲気に俺は嫌な気配を感じていた。
状況はかなりマズい。俺とジャンヌは消耗し、一方のキマイラはぐっすり眠って体力満点だ。こんなことならさっさと寝込みを襲っておけば良かった。
「いきなり餌扱いか。デビルアイといいアルラウネといい、魔物ってのは言葉は通じても話の通じない奴ばっかりなんだな」
「それは狭い見識だな、ニンゲンよ。郷に入っては郷に従え、我々も人間界の習わしをある程度は尊重しているのだ。
だからこそ、お前たちの流儀に倣ってこう言うのだよ。──いただきます、とな」
キマイラが跳んだ。
白刃のように鋭利な牙が迫ってくる。すんでのところで飛び退いて、近くにあった樹木の裏に身を隠す。
「バーカ、逃がすかよ」
「──ッ!?」
足元からの声。いつの間にか回り込んでいた大蛇。とぐろを巻くまだら色の総身。しまった。
「ほらよ、一本釣りィ!」
両足に巻き付いた大蛇は凄まじい怪力で俺の体を逆さに吊り上げる。キマイラの体より高く掲げられた俺は空中で大きく振り回された後、木の幹に叩き付けられた。
衝撃で呼吸が一時停止する。気功術を発動していたお陰で外傷は軽度だが、平衡感覚はガタガタだ。あのまま獅子の口に運ばれなかっただけ良しとしよう。
めまいに耐えつつ顔を上げると、ジャンヌが1人でキマイラと相対していた。
ジャンヌはひたすらキマイラの側面に密着し、巨体を活かした派手な動きを取らせないように立ち回っていた。
しかし、キマイラに近付くということは大蛇の領域に身を置くことでもある。キマイラの横っ腹を狙うジャンヌの剣は縦横無尽な大蛇の妨害によって空を切っていた。
「くっ、ちょこまかと鬱陶しい蛇……!」
獅子の動きの間隙を縫って高速の突きを繰り出すジャンヌだが、その都度大蛇に剣の横っ面を弾かれて威力を殺されるという堂々巡りの状態に陥っていた。
(ジャンヌが魔法剣を使えれば、もっと楽に戦えるんだけどな……)
ジャンヌは先ほどから魔術を一切使用していない。出し惜しみしているのではなく、使えないのだ。
短時間で魔術を連発しすぎたことによる魔力切れ。回復するまでには相当な時間がかかるだろう。
かくいう俺も持久力が向上したとはいえ決闘の直後だ。長期戦になればどんどん不利になる。
そうこうしている間にも着々と形勢は悪化していく。大蛇の全身を使った薙ぎ払いがジャンヌの胴に直撃し、体勢を崩されたジャンヌが倒れ伏した。
「きゃ──!」
「ジャンヌ!」
ジャンヌを庇って前に飛び出した俺を待っていたのは大口を開けた獅子の顔面だった。
このままいけば頭ごと噛み砕かれる。かといって避ければジャンヌにターゲットが変わるだけだろう。
進退窮まった俺が選んだのは獅子との真っ向勝負。鼻先と下顎を掴み、閉じる力に正面から反抗する。
「ぐ、ぐぬぬぬ……!」
「やるのう、若いの。じゃが、いつまで持つかの?」
ニヤニヤしながら俺と獅子の力比べを眺める山羊に、地面に転がるジャンヌへと静かに這い寄っていく大蛇。そして獅子の顎は万力のように力を強め、あと数センチで俺の手は噛みちぎられるだろう。
そんな絶体絶命のピンチを救ったのは、先ほどから姿を消していた彼女だった。
「……ぬっ!上じゃっ!」
山羊の声に反応した獅子と大蛇が上を向く。音もなく飛来するのは1本の矢。その狙いは獅子の頭を捉えていた。
大蛇が体を振り回して矢を撃ち落とすものの、既に4本目までが弓から離れ、キマイラの急所に向かっていた。
高い枝の上で膝立ちになったマナははや5本目をつがえ、瞬き一つせず、機械的に連続射撃を畳み掛ける。あまりの苛烈さに大蛇だけでは対応しきれなくなったキマイラは渋々俺たちから離れて矢の雨から逃れた。
「凄いな……。もしかしてこれで勝負が決まるんじゃないか?」
俺はジャンヌを助け起こしながらマナとキマイラの一騎打ちを見守っていた。加勢に入らないのはサボっているからではない。飛び交う矢が多すぎて俺たちも近寄れないのだ。
まさに矢継ぎ早。間断なく襲い来る正確無比の狙撃を前にキマイラは防戦一方だった。
「確かに見事なものね。……でも、キマイラにはまだ余裕があるみたい。このまま押し切ることができればいいのだけど」
ジャンヌが危惧していたことはすぐに現実のものとなる。これまで獅子と大蛇に戦闘を任せていた山羊が、ついに重い腰を上げたのだ。
「やれやれ、お主らもほんに不甲斐ないのう。ワシ抜きではあれしきのニンゲンすら倒せんとは」
「いいから働けや!さっきから俺ばっか動いてんじゃねえか!」
「分かった分かった。『炎よ。天の』……ええと、何じゃったかの。まあよいわ」
おざなりな詠唱で山羊が火を吹いた。吐き出された火球は魔術師の生み出すそれと何ら変わりない。
「わ、わわっ!」
火球は放たれた矢をすれ違いざまに飲み込みながら木の幹の中ほどに命中する。胴を大きく抉られた樹木は軋んだ音を立てながら大地に引き寄せられていく。
「詠唱を省いてあの威力なの!?信じられない……」
「極論を言えば呪文の詠唱など気分を盛り上げるための補助輪に過ぎんのじゃよ。ワシくらいになると適当にやってもさほどの違いにはならん」
マナはどうにか倒れゆく足場から離脱することに成功した。しかし着地を狙った新たな火球が彼女を襲う。
機敏に転がり火球を逃れるマナを山羊は執拗に追撃する。クリーンヒットを食らうことなく山羊の息切れまで凌ぎきった彼女だが、完全回避とはいかなかったようだ。
見れば彼女の腰に提げられていた矢筒が黒ずんだ腰紐を残して消えていた。要するに、また矢が尽きたのだ。
もう、戦況は絶望的だった。
援軍の当てはなく、ジャンヌの魔力は切れ、マナも無力化され、唯一無事な俺は獅子と蛇のコンビネーションを前に攻めあぐねていた。そのうえ魔術を使いこなす山羊まで参戦したとなってはどうしようもない。
「マナ!さっきのチェックポイントに戻って援軍を呼んできて!」
切羽詰まったジャンヌの叫びは僅かな希望に縋ったものだろうが、ここからメリッサ先生のいる場所まではあまりにも遠く──
(……あれ?今の台詞ってどこかで聞いたような……)
察しの悪い俺とは違いマナはすぐに感付いた。
何の迷いもなく弓を投げ捨て身軽になった彼女は全速力で走り出す。林の外でも俺たちのいる方でもなく、キマイラに向かって。
弓も矢も失った彼女にできることなんて、他に思い浮かばなかった。
(まさか……アレを使うのか!?)




