8-12
「うそ……キマイラがどうしてこんなところに」
ジャンヌは俺から回された遠眼鏡でキマイラの姿を確認すると、信じられないといった様子で口を開いた。
「俺は見るのもはじめてなんだけど、キマイラってそんなに強いのか?」
「分からない。キマイラなんて大昔の文献にしか載っていない伝説の魔物だから。まさかクリシュカにも生息していたなんて……」
つまり実力はまったくの未知数というわけか。
キマイラの大きさはざっと計算して軽トラックと同じぐらい、必ずしも大きさイコール強さではないが、図体のデカい魔物は概ね強いのだ。
加えてキマイラには3つの首がある。大蛇も山羊も、ただのお飾りとは思えない。今の戦力で戦いを挑むのは無謀だった。
シクサがどうして森から出てきたのかやっと分かった。あんなヤバそうな魔物を相手にするぐらいなら薄暗くて歩きにくい森の中を通った方がマシだ。
「大型の獣なんだからマナが言ってたみたいに走って逃げるのも難しいだろうな。……ジャンヌ、気持ちは分かるけど今は迂回しよう。死んだら元も子もない」
「急いでいる時に限って不運が重なるのね……。仕方ない、気持ちを切り替えるわ」
この街道は騎士団も頻繁に巡回していることだし、もう少し西に進めば学園屈指の豪傑ラオフー先生が守るチェックポイントがある。
彼らによっていずれキマイラは討伐されるだろうが、それを悠長に待っている暇はない。1日目の遅れを早く取り戻さなければならないのだから。
俺たちはキマイラに気付かれないようにそそくさと街道を離れた。
それからはもう、踏んだり蹴ったりだった。
キマイラを避けるため南に大回りしようとした俺たちだが、進路を横切る川の只中にリザードマンの大軍勢がすし詰め状態になっていたため渡河を断念。
昨日戦った連中の残党が他ルートから山を降りてきた仲間と合流したのだろうか?とにかくまともに戦いを挑む気も起きないほど多かった。
この件に関しては言い訳しない。変温動物の爬虫類が暑さから逃れるために水場に集まるであろうことを予測できなかった俺たちのミスだ。
しかし、その後のことは本当に運が悪いとしか言いようがなかった。
リザードマンに南進ルートを封じられ、ならばとシクサに倣って街道北の森林地帯を抜けようとした俺たちの前に、今度はゴブリンの大群が現れた。
この辺りは樹海を探索したあの日にゴブリンの掃討を行ったはずなのに、連中の勢いは衰えていないどころか更に激しくなっていた。
戦えないマナを庇いながらどうにかゴブリンたちを振り切ったものの俺たちは大きくルートを逸れ、森林地帯の奥深く、"蠢く樹海"のすぐ近くまで北上することになった。
ここまで来れば一安心かと思いきやお次は樹海から顔を出したアルラウネに襲撃され、ほうほうのていでピオネール近郊まで逃げ延びた時にはもうすっかり日が暮れていた。
ピオネールの町で矢を買おうにもこの時間だと鍛冶屋はとっくに店を閉めている。疲れ果てた俺たちはせめて今日の内に第3チェックポイントだけでも到達しておこうと"施しの森"へ向かっていった。
「……おや、こんな遅くに誰かと思えばソウタでしたか。貴方たちはまだ経験が浅いのですから、深夜の行軍は推奨しませんよ」
「お叱りは、ごもっともなんですが、とにかく、今は、休ませて……」
エカテリーナ学部長が管理する第3チェックポイントに到着した瞬間、俺たちは3人揃って地面に崩れ落ちた。
もう1歩も歩けない。たとえ現在の順位が最下位だろうと今日はこれ以上動きたくなかった。
服が汚れるのも構わず地べたに体を横たえた俺たちを見かねた学部長は、手持ちの食材と野草を炒めた簡単な料理を振る舞ってくれた。
運営側の人間が特定のチームに肩入れするのはいいんだろうかと思ったが、この人に対してそんなことを言うのは今更なのでありがたくご相伴にあずかることにした。
「どうですか?自分で料理を作るのは久しぶりなので、腕が落ちていなければ良いのですが」
俺たちは料理を貪るのに夢中ですぐには答えられなかった。ある意味それが答えだった。
「んー!もう最っ高です!今日はホント酷い1日でしたけど、これ食べられただけでもお釣りが来るぐらいですよ」
「俺も、お世辞抜きで美味しいと思いますよ。学部長って料理もできたんですね」
「嗜む程度ですよ。本物の主婦には遠く及びません」
学部長の料理はどこか温かみのある、家庭的な味だった。何年も前、母さんが台所に立っていた頃を思い出して懐かしい気持ちになった。
お腹を膨らませたことで活力が戻ってきた俺たちは、明日に備えて就寝の準備を始めた。
寝袋を広げ、雨避けのタープを張り、周囲の木々に鈴付きのロープを括りつける。これは魔物の奇襲対策と獣避けを兼ねたものだ。
そうして寝袋に潜り込んだ俺たちは昼間の疲れも相まってあっという間に夢の中へと誘われ──
「ええっ!?皆さんもう寝ちゃうんですか!?早すぎますよ!せっかくなんですからもっとお話ししましょうよ!」
微睡みの中から意識を引っ張り上げられた。
「頼むから寝かせてくれよ……夜更かしすると朝がキツくなるから」
「でもでも、こんなに素敵な森の中でお泊りするんですよ?起きたらすぐに出発しちゃうんですから、もっと楽しまなきゃ損ですよ」
昨晩宿に泊まった時とは違い、マナのテンションは上がりっぱなしだった。自然が好きだと言ってはいたが、まさかここまではしゃぐとは。
俺は援護を求めてジャンヌの方に寝返りを打った。意外と近くに彼女の顔があったので、お互いに、少し、照れた。
「私は別に構わないわ。色々考えすぎてあまり眠れそうになかったから、むしろちょうど良かった」
「嘘だろ……ジャンヌならビシッと言ってくれると思ったのに」
「夜更かしは感心しませんが……まあ、少しだけなら許可しましょう」
ジャンヌに続いて学部長がOKを出したことで、マナは大手を振って修学旅行トークを始める権利を得てしまった。
俺は覚悟を決めて欠伸を押し殺した。明日のことは明日考えよう。
「それにしても、マナは本当に自然が好きなんだな。クリシュカって森と草原ばっかりだから、この国の人はもう見飽きてるのかと思ってたけど」
「それは偏見ですよ。昔ならともかく、ダンジョンが発見されてからは気軽に外に出られなくなっちゃいましたから。
冒険者でも行商人でもないほとんどの人にとっては、高い城壁の中と保護された農地だけが生活のすべてなんです」
「魔物の出現、か」
いくら町の外に自然が溢れていても、その恩恵に預かることができなければ、それはもうないのと同じだ。近くて遠い存在、それがクリシュカの自然なのか。
「特に私は両親が森育ちでしたから、余計に自然というものへの憧れが強かったんですよ。小さい頃から子守歌代わりに森の思い出を聞かされましたから。
町での忙しない日々とは違う、不便だけれど穏やかな暮らし。私の両親にとって、森や泉に囲まれた大地こそが本当の故郷なんでしょうね」
クリシュカ国内のエルフ事情は、ダンジョン発見以前と以後で大きく様変わりした。
少々脱線するが、そもそもの起こりから話そう。1000と数百年ほど前、当時未開の地であった北方の地クリシュカにエルフたちは移り住んできた。
当時は大陸屈指の安定期であり、目立った戦争もなく魔物も今ほど多くはいなかったので世界的に人口が増加し、新天地を開拓する動きが強まっていたのだ。
エルフに続いてやってきたのは人間族だ。彼らは持ち前の貪欲さと旺盛さですぐさまクリシュカの主要種族となったが、平野に住む人間と長い人生を森でひっそり暮らすことを望むエルフは領分を侵し合うことはなく、エルフの住む森は半ば自治領のように扱われ、長きに渡って平和的な共生関係が保たれていた。
しかし100年前のダンジョン発見以降、大量発生した魔物によってエルフはついに森を追われ、人間と共に町で暮らすようになる。
マナの両親もそういった経緯で町にやってきたエルフだった。
別々の集落で暮らしていた2人のエルフは町で巡り合い、結婚し、子をもうけた。
「お父さんもお母さんも、自分の住んでいた森が1番綺麗だったって言って譲らなくて、いつもそれで喧嘩するんですよ。終いには私に決めてもらうなんて言い出して。
それで、そんな両親を見ているうちに思ったんです。だったら私が魔物をやっつけて、家族みんなで故郷の森を見に行けばいいじゃないかって」
「……立派なのね。両親のためにそこまでの決意ができるなんて」
「うーん、どうなんでしょう?私は自分がやりたいことをやってるだけなので、褒められるようなものじゃないですよ。
それに夢は大きくても現実はへっぽこ冒険者ですから。両親からいっぱい魔術を教えてもらったのに、まともに使えるのはアレだけですし」
「そんなことはないわ。少なくとも私は……あの人のために何かしようだなんて、考えられない」
微妙な関係にある父親に思いを馳せているのか、ジャンヌの声は力ないものだった。
心の底から嫌ってはいないのだろう。ただ、1度こじれてしまった関係を修復することは容易ではない。
かといって完全に割り切ること、切り捨てることもまた不可能だ。それが家族というものなのだ、きっと。
「まだ、お父上と話し合う決心はつかないのですか?」
樫の木に寄り掛かって静かに目を閉じていた学部長が話に入ってきた。彼女は冒険学部を統括しているのだから、事情を知っていて当然か。
「話し合いも何も、父は取り合いませんよ。騎士なんてお前には務まらないの一点張り。少し前までは立派な騎士になれって言っていたくせに、本当に自分勝手」
「折れろとまでは言いませんが、お父上の気持ちを理解してあげるのも大切ではありませんか?
……お互い戦場に身を置く者です。伝えるべき言葉は、無事な内に伝えておくべきですよ」
「入学を許可してくださったエカテリーナ先生には感謝しています。でも、こればかりは……」
「……難しいものですね、親子というのは」
学部長もまた、俺たちの知らない様々な経験をしてきたのだろう。彼女のため息からは積み重ねられた歳月の重みが感じられた。
「事情は良く分かりませんけど、喧嘩なんて一緒に綺麗な景色を見て美味しいものを食べればすぐに仲直りできますよ!
私のお父さんとお母さんも、夫婦喧嘩の後は公園に行って緑を眺めながらイチャイチャしてましたから」
「その、そんな単純な話ではないのだけど……」
ジャンヌは困り顔だったが、先ほどよりは気分が上向いてきたようだ。のほほんとした気質のマナと生真面目なジャンヌ、2人は意外といいコンビになれるのかもしれない。
俺たちはそれからも子供の頃の話や家族の話といった普段話さないようなことを、学部長にもう寝なさいと怒られるまで語り合った。
俺も異世界のことは伏せて、少しだけ家族のことを話した。あくまで楽しかった頃の話だけ選んでいたつもりだったが、不思議と話題は尽きなかった。
いい思い出も、たくさんあったのだ。




