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6月になった。
過ごしやすい春に別れを告げて夏に片足を踏み入れたクリシュカの地は、本格的な夏に向けてウォーミングアップを始めた太陽の洗礼を受けていた。
「クリシュカの夏は比較的過ごしやすいって聞いてたのに、話が違うじゃないか」
「あくまで"比較的"ですよ、ソウタさん。どこの国でも夏は暑いものなんです」
洗濯場でユニと共に薄汚い服の成れ果てと格闘しつつ、照りつける太陽に恨めしげな視線を送る。太陽の奴は「これはまだ小手調べだぜ?」と言わんばかりの傲慢ぶりでこちらを見下していた。
暑いと当然、汗が出る。そして服が臭くなる。気温が上がるにつれメイド学科に運び込まれる洗濯物は加速度的に増加し、俺たちは毎日のように洗濯場へと駆り出されていた。
洗い桶に貯まった水は、隣の水路から汲み上げた時の気持ちのいい冷たさを失い、嫌な感じのぬるさになっていた。
「早く冬が来てほしいなぁ……」
「そんなこと言ってると後悔しますよ。冬は雪かきでもっとつらいんですから」
雪かき。そういうのもあったのか。俺の住んでいた地域では積もるほど雪が降るなんて滅多になかったので失念していた。
それなりに魔法技術が浸透している社会とはいっても、炎のマジックアイテム的なもので雪を急速解凍……なんてわけにはいかないのだろう。これは覚悟しておく必要がありそうだ。
「それにしても、1期生はこんな暑い時期にアレが開催されるんですから大変ですね」
じゃぶじゃぶと桶の水を攪拌しながら他人事のようにユニがつぶやく。
アレ、とはかねてより学園側からアナウンスされていた、とある行事のことだ。
「学部対抗オリエンテーリング」──その名の通り、ヴィエッタ学園に存在する2つの学部合同で行われる、クリシュカ東部一円を利用した広域オリエンテーリングである。
この行事は年に2回、6月と11月に開催され、参加者は直近の新入生……つまり、今回は4月に入学した1年1期生の俺たちだ。
ちなみにユニは俺の1期前、去年の9月に入学した2期生なので、11月のオリエンテーリングに参加したらしい。
クリシュカの11月といえば既に雪が降り始めている頃なので、これはこれで移動に難儀したそうだ。
なんでも、冒険学部と騎士学部双方が互いに技術を競い高め合うため、同時に入学から2か月を迎え学園生活に馴染んできた、悪く言えば気が抜けてきた新入生に喝を入れ直すために考案されたものらしい。
運営には多数の教師が動員されるので、期間中はすべての必修授業が休講扱いとなる。そのため上級生には歓迎されるが、参加者は1日でも早くチェックポイントを回りきって学園に帰ってこないとヘトヘトの体を休める暇もなく翌日からいつも通り授業を受けることになってしまう。
とはいえ参加者に旨みがないわけでもない。上位入賞者にはそれなりの報酬が与えられるし、騎士学部の場合は部隊編成などにある程度融通が利くようになるとのことだ。
お祭りや運動会のような学園全体での盛り上がりはないものの、新入生たちはそれなりに期待と野心を膨らませてその日を待ち望んでいた。
「僕たちの頃はクラスのみんなが気合入ってましたけど、ソウタさんもやっぱり優勝を目指すんですか?」
「いや、俺は……どうしようかな」
正直、報酬にさほど興味はなかった。お金があって困ることはないだろうが、今のところそこまで生活に困窮しているわけでもないし。
冒険者業が軌道に乗ってきたおかげで、今の俺は学費も含めてすべての出費を自分の力で賄うことができるようになっていた。
学部長は支援の継続を希望したが、彼女には金銭面以外でも十分すぎるほどお世話になっているので、丁重にお断りした。
俺が気になっているのは順位や報酬のことよりもむしろ、競合相手である騎士学部だった。
「競技はともかく、騎士学部の生徒がどんな人たちなのか知るちょうどいい機会かなって、そんなところ」
汚れを退治し終えた俺は物干し竿に服を干しながら、水路の向こうに聳えるくろがねの城壁を仰ぎ見る。
校舎から見て西の方角、冒険学部の敷地と隣り合うようにして存在する騎士学部だが、彼らとの交流はほとんどない。
騎士学部の校舎は堅固な城塞でありこの地域における軍事拠点としての性格も有しているため、通行許可がなければおいそれと中に入ることはできないし、騎士学部の人間が冒険学部に来るような用事もない。
一応、職員寮が立ち並ぶ冒険学部の敷地北西部には騎士学部に通じる小さな跳ね橋があるのだが、ここを使用しているのは会議に向かうエカテリーナ学部長か、騎士学部の方に自室を持つビリオーズ学園長ぐらいのものだ。
「こんなに近くにあるのに騎士学部の話って今まで全然聞かなかったからさ、やっぱり隠されると気になるだろ?」
この城壁の向こうにいるのはただの新兵ではない。エリートの中のエリート、国の未来を担う精鋭たちなのだ。
クリシュカ国内に士官学校や騎士養成校はいくつか存在するが、ヴィエッタ学園の騎士学部はその中でも有数の名門校であり、ここを卒業した者の多くが今日のクリシュカ軍、あるいは領主や教会が組織する騎士団の中核を成している。
ここを卒業したからといってすぐさま騎士になれるわけではないが、それでも手堅く仕事をこなしていけば騎士に任命されるのは時間の問題である。高学歴というのはどの世界でも優遇されるのだ。
名門というからには入学する者のほとんどが貴族や富裕層の生まれであることは想像に難くない。現にユニなどは学費の高さゆえに入学を諦めたのだから。
何不自由ない暮らしをしていた彼らがあえて死と隣り合わせである魔物との戦いに身を投じようとするのはいったい何故か……
……なんてそれっぽく言ってみたが、要は野次馬根性だ。剣と魔法の世界に来たからには、未だ候補生とはいえ純粋培養のいかにもな騎士を見てみたい。
探索中にたまに見かける騎士団の人たちはどちらかといえば叩き上げの兵士だし、マクベスも騎士の称号を持っているらしいが、あれはちょっと特殊すぎるケースなのでカウントしない。
まだ見ぬ騎士学部の面々に対して期待を膨らませる俺を、ユニは洗濯の手を止めてどこか懐かしそうに目を向けていた。
「向こうだってまだ学生なんだから、休日に町に遊びに行ったりとかしそうなものなのに、ピオネールでそれらしき人影を見たことがないんだよな」
「冒険学部と違って、騎士学部の人たちはほぼ軍属みたいなものですからね。訓練漬けで自由に外に出る機会なんて少ないんじゃないですか?」
「はは、そんなことはないよ。無趣味で出不精な者が多いから、任務以外で外に出たがらないというだけの話だよ」
唐突に会話に混ざってきた穏やかな声に振り返ると、そこに立っていたのは金髪の青年だった。
身長は俺と同じぐらいだが、その体は服の上からでも分かるほど重厚な筋肉に溢れ、かといってムキムキになりすぎない程度のちょうどいいバランスを維持していた。
服装はまさに由緒正しき名門校の学生といった感じで、赤い厚手のリーファージャケットに身を包み、下は紺のスラックスで、裾の先を頑丈な作りのブーツに差し込んでいた。
ジャケットの左胸に金糸で刺繍されている、後ろ足で立ち上がって威嚇のポーズを取るイタチっぽい動物には見覚えがあった。あれは確か、ヴィエッタ学園の校章だ。
「ガウェイン様!しばらくぶりです」
「ユニも元気そうで何よりだ」
ユニが慌てて洗濯物から手を放し、居住まいを正す。
流れるような金髪を額の中央で分けた青い瞳の青年は、ユニと軽い挨拶を交わした後、人当たりのいい笑みを湛えてこちらに歩み寄ってきた。
「ユニ、彼が例の?」
「はい。ちゃんと信用の置ける方ですよ。保証します」
「例の……って?」
親しげな雰囲気の2人は俺を前にして何やら内緒話を始めた。話に置いていかれた俺は居心地の悪い気分だった。
そんな俺の様子に気が付いたガウェインは、「すまない、何も聞いていないとは思わなかった」と自身の非礼を詫びると、改めて俺に向き直った。
「私はガウェイン=アストラン。騎士学部の2年生だ。我が父イグニス=アストランの長子であり、アストラン家の次期当主でもある」
「アストラン家……」
その苗字を聞くのはこれがはじめてではない。思い当たる節のあった俺を見てガウェインが頷く。
「そう、つまりは君の友人であるジャンヌ=アストランの兄にあたる。我が妹が世話になったようだね」




