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かすかに聞こえる水のせせらぎを頼りに、次第にその間隔を広げる木々の間を一歩一歩進んでいく俺たち。先頭に立って周囲を警戒しているリンが、うずうずした様子のアキュートを目で制する。
「本当に見るだけよ?中には絶対に入らない。先っちょだけもナシ。もし魔物が出てきたら大人しく逃げる。分かった?」
「しつけえな、わーってるって。俺だって死にたいわけじゃねえんだから、ヤバい場所ならちゃんと自重するっつーの」
「いっつも無茶してるから信用されないんだよ?とにかく、今日は特攻禁止!」
「へいへい……」
うんざりしたような口調で口を歪めるアキュートだが、その右手は背負っている大剣の柄にかかっており、いつ何が出てきてもいいように臨戦態勢を整えていた。
他の面々も不意の襲撃に備えて気を張りつめさせており、俺もまた非戦闘員であるシスターを庇うことのできる距離を常に維持していた。
そうして慎重に森を抜けた俺たちの眼前に、1本の川が見えてきた。
川幅は広く、20~30メートルといったところだろうか。流れの速い川だが、小さな丸石が敷き詰められた川底は浅く、注意して渡れば膝より上が濡れることはなさそうだ。
透明度の高い水は太陽の光をキラキラと反射して美しく輝いており、水中にはまだら模様をした川魚が元気そうに泳いでいる姿が見えた。
一見何の変哲もないのどかな風景だが、ここには恵みの水を求めて来る虫も、動物もいない。ゴブリンですら、この近くには寄りつこうとしないのだ。
「僕もはじめて来たけど、何ていうか……禍々しいね、これは」
少し遅れてやってきたナギアが、川の向こうに広がる光景に顔を強張らせる。
この川を境に、森の様相は一変していた。
一般的な草木は姿を消し、原始のジャングルを彷彿とさせる巨大な葉とツルに覆われた、鬱蒼とした樹海が口を開けていたのだ。
ツタなのかツルなのか、あるいは茎なのか良く分からない緑色のチューブのようなものが、のたうつように絡み合いながら縦横無尽に伸びて、俺たちの視界を遮っていた。
「これが、"蠢く樹海"……」
東部都市ピオネールの近郊からクリシュカの北東部にかけて広がる森林地帯、その中心部には、いくつかの川によって周辺区域から隔離された中州のような地域が存在する。
元々は珍しい植物の群生地に過ぎなかったこの場所は、100年前の魔物大発生を機にその姿を変えていった。
中州の奥に現れたダンジョン(もっとも、詳しい調査の手が入ったのは数十年前なので、前々からダンジョンの入り口はあったのかもしれないが)からやってきたのは魔物だけではなかった。
明らかにこの世界原産のものではない植物の種子が、魔物たちの体に付着して、ダンジョンの外まで運ばれてきたのだ。
生命力が強く、繁殖力に優れた魔界の植物は、瞬く間に既存の植物を駆逐しながら生息域を広げていった。
特に冒険者たちを悩ませたのは食人植物だ。植物でありながら機敏な動きと肉食獣並の獰猛さを併せ持つ人食い花が大繁殖したことにより、この森はとてつもなく危険なものに様変わりした。
クリシュカの政府は奥にある地下洞窟だけでなく、中州を含めた一帯をまとめて"ダンジョン"と認定し、人々に注意喚起を促すことになったのだ。
「お、着いたな。なかなか雰囲気出てるじゃねえ──ぶっ!」
軽く鼻を鳴らしたアキュートが川の中に足を踏み入れようとして、リンに首根っこを引っ掴まれていた。
今のところ、対岸に生き物の気配は感じられない。目立った物音といえば水音と木々の擦れ合う音ぐらいなもので、樹海の上方では太いツルが風に煽られて、マストが軋むような低音を立てていた。
とはいえ油断は禁物だ。この樹海から出てくる魔物というのはつまり、食人植物の脅威を跳ね除けてきた強敵に他ならないのだから。
ナギアも俺と同じことを考えていたのか、白色のゆったりしたローブを腕捲りしながら探知魔術の準備に取り掛かっていた。
「ああもう、めんどくさいな。何を好き好んでこんな危ない場所に首を突っ込みたがるのか、僕にはさっぱり理解できないね」
「冒険者ってのは常に新しい刺激を求めるものなんだよ。危険なんてのはその手間賃みたいなもんだ」
「そんな馬鹿は君だけだよ」
「いや……そうでもないみたいだぜ」
川岸に漂着した流木に片足を乗せ、前のめりになって辺りを見渡していたアキュートが目を細める。彼が見ていたのは樹海の方角ではなく、川のこちら側、俺たちから見て左の方だった。
黒い短髪の男が1人、腕を組んで静かに樹海の奥を見つめていた。
彼我の距離はそれほど遠くなかったものの、ずっと樹海の方ばかりに目を光らせていた俺たちは男の存在に気付くのが遅れてしまった。
男は気だるげな様子で俺とプリムラに顔を向けると、「またお前らか」と吐き捨てるように言った。
「……マクベス」
「ふーん、あれがマクベスなんだ」
地面にしゃがみ込んで探知魔術を発動しようとしていたナギアが、半信半疑といった感じで顔を上げる。
以前にナギアから話を聞いた時に、俺は男が何者なのかを知ることになった。
冒険者マクベス。数年前、クリシュカの辺境に出現した魔物の大群をたった1人で撃退し、国難を救ったとされる伝説の男。
その功績を称え、この国の人々は彼を"英雄"と呼んでいる。
平民出身でありながら爵位や騎士の称号を持っているだとか、王家の援助を受けているなんて話まであるそうだ。要はアメリカンドリームならぬ冒険者ドリームの象徴のような男というわけだ。
しかし、俺の知るこの男はどう贔屓目に見ても英雄と呼ばれるような振舞いをしてはいなかった。
言動もそうだが、その瞳に宿る何かが、昔日の俺と似ているようで違う、濁ったような輝きが、俺の心をざわめかせるのだ。
えも言われぬ不安に晒されている俺がマクベスにどういった言葉をかけるべきか躊躇しているうちに、リンが軽い調子で口を開いた。
「奇遇ね、英雄さん。あなたもこれからクエスト?」
「馴れ合いは他所でやれよ、女狐」
「あら、ご挨拶ね。同じ冒険者同士、親睦を深めるのも悪くないんじゃない?」
第一の矢はあえなく叩き落とされてしまったが、リンは特に気分を害した様子もなく話を続ける。こういう面の皮の厚さは俺も見習いたいものだ。
だが、彼女の態度のどこかしらがマクベスの癇に障ったらしく、彼は露骨な冷笑を浮かべていた。
「は。"親睦を深める"ってのは"利用する"って意味だろ。おためごかしを言うんじゃねえよ」
「ヒネてるのね。そんなことばかり言ってるとお友達が減るわよ?」
「お友達、ねぇ……。まあ、せいぜい後ろのガキどもと薄っぺらい友情ごっこを楽しんでればいいさ」
「……それは、私の仲間たちへの侮辱?」
リンの眉がぴくりと動いてその目つきに険しさが増す。何やら空気が重い。
さすがにリンが手を出すことはないだろうが、マクベスの方は分からない。今の彼には人としての一線を越えないようにするためのブレーキが、壊れているように感じるのだ。
とにかく、この場は穏便に済ませなければならない。冒険者同士で切った張ったの殺し合いなんて冗談事ではなかった。
2人を仲裁すべく前に進み出ようとした俺だったが、それを引き留める者がいた。シスターだ。
「ソウタさん、あの男に関わるのは危険です」
予想外に強い力で腕を掴まれて、俺は一歩も進めなくなる。シスターの表情は今までに見たことがないぐらい真剣なものだった。
「似ていますね。ですが、濁りすぎている。あれはもう"どうしようもなくなってしまった"ものです。近付けばあなたが傷つくでしょう」
「良く分かりませんけど、このままだと喧嘩に発展しそうなので、早く止めないと」
「心配要りません。あの手の緊張状態はいずれ外部からの作用によって霧散するものです。そして、あなたが間に入るより"彼ら"にその役を担ってもらう方があの男を刺激せずに済むでしょう」
「彼ら……?」
シスターは俺の腕を離すと、樹海の奥に続く木々の隙間を指し示した。
「あ、ソウタ!見てあれ!」
他の仲間たちもそれに気付いたようだ。プリムラの声に反応して、その場にいた全員が樹海に目を向ける。
「──た、助けてくれっ!」
何人もの冒険者たちが、先を争うようにして、ほうほうのていでこちらへと逃げてくる。その顔には恐怖が浮かんでいた。




