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医務室の奥、衝立と白いカーテンによって仕切られた簡素な診察室で、上半身裸になった俺はシスターの検診を受けていた。
"牙の山脈"での特訓によって粉砕骨折の危機を迎えていた俺の両腕は、もはや恒例となりつつあるシスターの神聖魔法によってどうにかこうにか完治しようとしていた。
「……はい。今回で治療は終了です。骨は元通り繋がりましたし、神経の損傷もありません。これも主のお導きによるものでしょう」
白磁のような指先が俺の肘から手首まで続く筋線維の束を労わるように撫でる。緊張が抜けていくようだった。
「ありがとうございます、シスター。これでもう探索に行っていいんですよね?」
「肉体的に支障はありませんが、ソウタさんには休息が必要かと思われます。少々、生き急ぎすぎていませんか?」
「目標みたいなものができて気分が盛り上がってることは否定しませんけど……焦ってはいませんよ。何より今は毎日が充実してるんです」
シスターの目から見ると俺は何かに追い立てられているように見えるらしい。むしろそういう状態を脱却したからこそ、何事にも前向きでいられるようになったのだが。
無気力だった時代の反動か、やりたいこと、やるべきことが多すぎていくら時間があっても足りないほどなのだ。
……あれ?ということはやはり生き急いでいるのか?分からなくなってきた。ポジティブな意味で行動的になっているのだから悪いことではない、はずだ。
「まあ、無理をしていないのなら良いのですが。……本当に変わりましたね、あなたは。はじめてここに運び込まれてきた時とは大違いです」
シャツに袖を通してそそくさと診察室を出ていこうとする俺を、シスターは複雑な表情で見つめていた。
この人は時折こんな顔をする。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、様々な感情が入り混じって彼女のほっそりとした顔立ちを軋ませていた。
俺の変化はシスターにとって素直に喜べないものなのだろうか?それなりの付き合いになるが、彼女の考えていることはさっぱり分からない。
「学園で色んなことを経験したおかげで、モヤモヤしてたものがだいぶ晴れてきたかなって、そんな感じですよ。シスターの助言もその1つです」
「私の……ですか?」
「けじめとは目を背けないこと……シスターがそう教えてくれたから、自分のすべきことがはっきりしてきたんです。ありがとうございます」
シスターの思惑がどうであれ、あの言葉が最後のひと押しとなって、過去と対峙する決意が芽生えたことは確かなのだ。俺はシスターに深々と頭を下げた。
「そうですか……。あの時のやりとりが、あなたを」
シスターは、何というか、とても居心地が悪そうに苦笑していた。
「あれは失言でしたね。あなたを立ち直らせるつもりなどなかったというのに」
「えっ?」
「あなたにはあのままでいてほしかった。そうすれば私は……、いいえ、それこそ失言ですね。忘れてください」
「いや、そう言われても意味深すぎて忘れられないんですが……」
「私事です。お気になさらず。それよりも早く行った方が良いのではありませんか?お友達を待たせているのでしょう?」
聖職者としてあるまじき爆弾発言を投下しておきながら気にするなとは無茶を言う。
しかし、どれだけ待ち続けてもシスターはただ微笑むだけだったので、俺は真相の究明を断念して彼女に背を向けた。謎の多い人だ。
仕切り代わりのカーテンの向こう側では、3つの影がもぞもぞと蠢きながら俺の帰還を今か今かと待ち侘びているところだった。
「おい、まだ終わらねえのかよ?何か怪我と関係ない話始まってんだけど」
「聞き耳立てるのやめなよ、みっともない。君の脳にはデリカシーとかプライバシーってものを理解するだけの容量が残ってないのかい?」
「耳がいいんだから仕方ねーだろーが。聞かれたくなきゃもっと小さい声で喋ればいいんだよ」
「もう、2人とも他の患者さんがいるのに騒いじゃ駄目だよ」
「診察は終わりましたから、入ってきても構いませんよ」
「やべ、聞こえてた……」
「聞かれたくなければもっと小さい声で喋りなよ」
「うるせえよ」
賑やかな声と共にカーテンが勢い良く開かれ、お馴染みの顔ぶれ──プリムラ、アキュート、ナギアの3人が入ってくる。
アキュートはロングコートのポケットに両手を突っ込みながら頭を突き出して、俺の体を舐め回すように観察する。
アキュート的には怪我の治り具合を確かめているつもりなのだろうが、傍目から見ると不良がガンを飛ばしているようにしか見えない。アキュート慣れしている俺たちはともかく、シスターは威嚇されている俺を守るために飛びつきそうな勢いだった。
シスターに心配要りませんよとジェスチャーを送っている間に視診は終了し、アキュートは「確かに完治してるな」と訳知り顔で頷いた。
蓄積された微小なダメージによってヒビが入っていただけなので、怪我の前後で外見に目立った変化はないのだが、彼はいったい何を見て完治と判断したのだろうか……?
「んじゃ、ソウタ復活記念ってことで、早速クエストでも受けて軽く流すとしようぜ」
俺の訝しげな視線に頓着せず肩を組んできたアキュートは、上機嫌で親指を立てている。一方シスターは渋い顔をしていた。
「確かに、探索に行っても問題ないとは言いましたが……今からですか?慌ただしいのですね。少しばかり羽を休めたところで、主はあなたたちを怠慢と断じたりしませんよ」
「シスターは分かってねえなあ。1日実戦から遠ざかると勘を取り戻すのに3日かかるって言うだろ?俺たち前衛は1番危険なポジションだからよ、なまった体に早めに喝を入れとかねえと後でつらいんだよ」
それは俺も危惧していたことだった。数日体を動かさないだけで筋肉や技術はもちろんのこと、戦闘中のふとした瞬間に起きる、体がひとりでに最適な動きをトレースしてくれる状態……プロのアスリート選手が時折口にする無意識の閃き、無我の境地とでも言うのだろうか、そういった言語化し辛い感覚が錆び付いてゆくのが分かるのだ。
特に、今の俺はつい数日前に行われた格闘学科の特訓によって技術的にもかなりの成長を遂げていた。
あの時のフィーリングを忘れないうちにしっかりと体に覚え込ませておかないと、せっかくの特訓が無駄になってしまう。
「大丈夫ですよシスター。俺も病み上がりって自覚はありますから、ほどほどのクエストで軽く汗を流す程度です」
「……仕方ありませんね。少し、待っていてください」
そう言うとシスターは診察室の奥にある関係者用の通用口を開けて、その中にいた同僚らしき女性と二言三言会話すると、再び俺たちの方へ戻ってきた。
「では、行きましょうか」
「ええっと、『行きましょう』って……?」
困惑する俺たちをよそにシスターは身支度を整え、デスクの上に置いてあったロザリオの紐を首に通した。
「同行すると言っているのですよ。ソウタさんを放っておくとまた無茶を始めますから、どうせなら私もその場にいた方が、治療の手間も省けるでしょう?」
そんなわけで、シスターがついてくることになった。
素直に感謝するべきなのか、それともしょっちゅう怪我をする問題児として目をつけられたことを嘆くべきなのか、微妙なところだった。




