6-10
「はい、あーん。ほらほら、早くお口開けて」
「さすがにこの歳であーんはちょっと……」
医務室から出てきた俺を待ち構えていたのはプリムラだった。
彼女によって寮の談話室まで連行された俺は、小さくちぎられたパンの欠片を口に詰め込まれていた。
食事の介護ということらしいが、やたら装填ペースが早いので俺の口内はパンくずで渋滞していた。
両腕を負傷した俺のために世話を焼いてくれるのはありがたいが、今回は比較的軽傷なので食事や着替え程度なら自分1人でも何とかできるのだ……と言ってもまったく聞き入れてもらえなかった。
「まるで親鳥からエサをもらう雛だね。まあ、ソウタの自業自得なんだから観念しなよ。あの馬鹿だってここまで頻繁に怪我しないんだから」
「鳥の話はもう聞きたくない……」
向かい側の席で課題をこなしていたナギアはやれやれと首を振ると、淀みない動きで筆を走らせる。座学に限れば彼はもう敵なしだった。
「にしても……魔法を使う鳥、ねえ。それってハーピィやガーゴイルを見間違えたわけじゃあ、ないんだよね?」
「いや、普通の鳥だったよ。体は大きかったけど、それ以外は特に変わった点もなかった。強いて言うなら色が珍しかったかな?羽の色が銀色だった」
「色違いの魔物か……。突然変異か、あるいは何らかの訓練を受けているとか。どれも想像の域を出ないけどね」
瞬く間に課題をやり終えたナギアは椅子に深く腰掛けると思索の海に沈んでいった。探索にあまり精力的ではない彼にとっても、件の大鷲は興味を引くものだったようだ。
あの大鷲については学園側にも報告済みだ。とはいえ、学園の資料にもあれについての目撃情報は皆無であり、捜査は難航しそうだった。
「スッキリしないな……。せめて、あの鳥の目的が分かれば良かったんだけど」
「それじゃあさ、もう1度行ってみる?みんなでちゃんとしたパーティを組んでいけば何とかなるんじゃないかな」
「僕は反対だね。あの辺の地域は魔物も強いし、調査も進んでない。新人には荷が重すぎるよ」
キャンプに戻った後、地図で確認してみたのだが、俺たちが足を踏み入れようとしていたのは1年を通して雪が吹きすさぶ高原地帯だった。
その先は恐らく山脈の深部へ通じているものと思われるが、途絶えることのない吹雪によって道が閉ざされているため、地図の線は高原の手前でぴたりと止まっており、その先は空白のままに捨て置かれていた。
「星魔術なんて便利なものがあるのに地図が未完成ってのもおかしいよな。そんなに道が険しいのか?」
長机の上に広げられていた地図の写しを摘み上げて、天井を彩る魔力灯の照明に透かしてみる。当然ながら隠されたルートが浮かび上がったりはしなかった。
「それもあるだろうけど、星魔術も万能じゃないからね。魔法で妨害されることだってあるし、地中に含有される魔力にも影響を受けるから」
ナギアの話によると、"牙の山脈"の岩盤はマジックアイテムの精製や整備に必要な魔石を豊富に含んでおり、その魔石が発する魔力によって星魔術の精度が落ちてしまうのだという。
専門的な用語が多くて半分も理解できなかったが、磁場の強い場所で方位磁石が狂うようなものだと勝手に納得しておいた。
「どうしても行くっていうなら止めはしないけど、もっと実力をつけてから再挑戦すべきだと思う。命あっての物種だからね」
ナギアの言う通り、今の俺たちでは"牙の山脈"を踏破することは難しいだろう。
大鷲は強敵だし、ダンジョンにはない気候の変動という不確定要素も厄介だ。第一、大鷲に仲間がいないとは限らないのだ。あれが編隊を組んで襲ってくるかと思うと、安易な決断をすることはできなかった。
「絶対に怪しいと思うんだけどなぁ……」
人の立ち入りを拒絶するように聳える険しい山岳地帯、そしてその入り口に立ちはだかる未知の魔物。これがゲームならイベントやレアアイテムが眠っていて当然の場所だ。
とはいえ現実はゲームのようにはいかないものだ。案外、あの大鷲も近くにある巣を守っていただけなのかもしれない。
怪しいといえば、あの冒険者2人組も相当なものだった。
男の方はもう、俺の中では完全に要注意人物として認定されていた。何を考えているのか知らないが、"牙の山脈"で会ったあの男からは危険な匂いしか感じ取れなかった。
本音を言うと少しだけ残念だった。彼とは何となく分かり合えそうな、そんな幻想を抱いていたのだ。なぜ、と聞かれても上手く説明ができないのだが……。
女性の方はすぐに去ってしまったので彼女の人となりを知ることは叶わなかったが、何にせよ警戒は必要だろう。冒険者である限り、彼らとは再び顔を合わせる機会もあるのだから。
確か、男の名前は──
「マクベス、って呼ばれてたっけ」
「……マクベス?君、マクベスに会ったのかい?」
俺の独り言を耳にしたナギアが驚いたように声を上げた。黙想に耽っていたナギアがいきなり反応したことで、俺だけなくパンの残りを頬張っていたプリムラも彼に目を向けた。
「野営をしてた時にマクベスって冒険者がやってきたんだよ。何をしに来たのかは良く分からなかったけど」
「なんか途中から喧嘩腰だったよね。お腹減ってイライラしてたのかな?」
さすがにそれはないだろう。
すべての人間がプリムラのように善良ならいいのだが、生憎と生命の懸かった極限状況において、倫理や良心というのはとかく忘れ去られがちだ。
いつ果てるとも知れない魔物との戦い、その最前線に立つ冒険者が、己が生き延びるために他者を傷つけることがないとは言い切れない。
実際のところ、あの2人が生活に困窮して野盗まがいのことをしていたという可能性も、あるにはある。俺個人としてはそんな単純な話ではないと思っているが。
「それで、マクベスっていったい誰なの?ナギアの知り合い?」
「ソウタはともかく君まで知らないの?アキュートにも言ったけどさ、もうちょっと探索以外の世事にアンテナを張ってないと世の中に置いていかれるよ。ただでさえ冒険者ってダンジョンに籠りがちなんだし」
ナギアは無知蒙昧な俺たちを哀れんだ後、仕方ないなぁといった感じでマクベスという人物について教えてくれた。
その風評は、俺の抱いていたイメージとはかけ離れたものだった。
「冒険者マクベス──若き"英雄"さ」
6章終了。




