6-9
大鷲に見逃された俺とミスティア先輩は疲れきった足取りでキャンプ地の近くまで戻ってきた。
途中、何度となく振り返って空を確認してみたが、やはりあの大鷲が追ってくることはなく、俺たちは何とも薄気味の悪い気分を抱えたままあの場所を後にした。
「結局、あれって何だったんでしょうね?先輩は分かりますか?」
「恥ずかしながら、わたくしにも皆目見当がつきません」
非戦闘職とはいえそれなりに探索慣れしているミスティア先輩が知らないとなれば、一般的な魔物ではないのだろう。見たこともない魔法を連射する大鷲なんてそうそう出てこられても困るが。
それに関しては後でじっくりと調べるとして、だ。今現在俺の好奇心をチクチクと刺激しているのは誰あろうミスティア先輩であった。
先ほどから先輩は元気がない、というか覇気がない。いつものすまし顔はなりを潜め、俯き加減に俺の方をチラチラとうかがっている。
普段の先輩がデキるメイド長なら今の先輩は内気な新人メイドさんといったところだろうか。これはこれで新鮮だが、落ち着かない。先輩はもっと泰然自若としていなければ。
とはいえ「どうしたんですか?」と無遠慮に聞くのもはばかられたので、俺もまた先輩の様子をチラチラと盗み見するに留まっていた。
2人してそんなことをしていれば視線がぶつかるのも当然なわけで。とうとう気まずい雰囲気に耐え切れなくなったミスティア先輩が、内緒話をするように体を近付けてきた。
「あの、先ほどはお見苦しいところをお見せしてしまい、まことに申し訳ありませんでした」
「先ほど……って?」
「ソウタ様に助けていただいた際に、つまりはその……取り乱してしまったことでございます」
「ああ、言われてみればそんなこともありましたね」
あの時は大鷲の攻撃を凌ぐことで頭がいっぱいだったが、慌てふためいたり頬を染める先輩を拝めた貴重な機会だった。もっとじっくり見ておけば良かったと俺は軽く後悔した。
その辺りの感情が顔に出ていたらしく、ミスティア先輩は羞恥に顔を赤らめながら俺を非難してきた。
「そんなこと、ではございません!メイドたるもの、いついかなる時でも恐れず、動じず、萎縮せず、常に毅然とした態度で奉仕にあたらねばならないのです。
さもなければ主人は安心してメイドに仕事を任せることができなくなってしまいます。"はわわ"なメイドでは不適格なのでございます!」
「落ち着いてください先輩。っていうか"はわわ"って……」
大げさな気もするが、あの時の狼狽っぷりはミスティア先輩にとって痛恨のミスだったようだ。
先輩は攻められると弱いタイプなのだろうか?怒りと恥じらい、そして情けない姿を見せてしまったことに対する引け目が混在した表情は、何というか……とても悪戯心をそそられる。
俺は心の中にふつふつと湧き上がるS的な感情を必死に抑えつつ、極めて真面目に、理性的にフォローを入れることにした。
「先輩が気に病むことはありませんよ。むしろあれぐらい素を出してくれた方が俺的には安心します。余裕たっぷりな先輩もカッコいですけど、底知れない感じがあったので」
「そうでしょうか……?何事も優雅にこなすようにと躾けられてきましたので、ああいった姿を見せることには抵抗が……」
「別にいいじゃないですか、"はわわ"でも。肩ひじを張ってない先輩もなかなか可愛いものですよ」
「……ソウタ様、適当に機嫌を取って誤魔化そうとしていらっしゃいませんか?」
「いえそんなことは」
女性の扱い方というのは本当に難しい。俺がまともに人と交流するようになったのはこの世界に来てからなので、人付き合いそのものに四苦八苦しているのも確かだが、それを差し引いても同性相手より格段にコミュニケーション難度が高いのだ。
ミスティア先輩は何か言いたげな表情で俺を睨んでいたが、大きくため息をついて「まあ、ソウタ様がそうおっしゃるのでしたら」と言うと、柔らかく微笑んだ。
まだ少し照れが混じっていたが、だいぶ調子を取り戻してきたようだ。この分ならみんなのところに戻っても問題ないだろう。
「そろそろ戻りましょうか。結構時間を食いましたから、きっとみんなも心配してますよ」
「かしこまりました。ご主人様の仰せのままに」
「そういう冗談を飛ばせるならもう心配要りませんね」
「まあ!なんて心ないお言葉なのでしょう……!」
大げさなリアクションで俺をからかってくる先輩を促しながら、テントの前で手を振っているプリムラたちに駆け寄っていく。
思わぬアクシデントに見舞われたが、特訓は目下継続中だ。更なる強さを求めて俺は再び巨人との戦いに身を投じていった。
そして。
戦って、戦って、戦い続けて──
その先に待っていたのは。
「両手の骨にヒビが入っていました。というか、ヒビだらけです。バラバラになる寸前でした。……ソウタさん、今度はいったいどのような無茶をしでかしたのですか?」
医務室だった。
無事特訓を終えて学園に帰還した俺だが、部屋に戻ったあたりで腕に妙な違和感を覚えてシスターに診てもらったらこの様だ。
常識的に考えれば分かることだった。いくら気功術によって強化されているとはいえ、2日間で都合数百回にも及ぶ苛烈な攻撃を受け続けたのだ。無傷である方が異常だと言えよう。
俺は真っ白なシーツに覆われた診察用のベッドに腰掛けて両腕をゾンビみたいに伸ばしながら、傍らに立つシスターと対面するような体勢で治療を受けていた。
シスターはたった数日で新たな怪我をこしらえてきた俺に呆れ果てていた。返す言葉もなかった。本当にごめんなさい。こんなはずじゃなかったんです。
咎めるような視線に晒された俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった、
「ソウタさん、あなたは……"死にたがり"なのですか?」
俺の心中を推し量ろうとするかのように、灰色のくすんだ瞳が覗き込んでくる。シスターの眼差しは真剣そのものだった。
希死念慮なんて俺からすれば突拍子もないことだが、客観的に見ればそう思われても仕方のない状況だった。
「無鉄砲な戦い方を繰り返してるのは認めますけど、まだまだ死ぬ気はありませんよ」
「本当に、死にたいと思ったことはありませんか?これまでの人生で、1度も?」
……この人は鋭い。
確かに、"今の俺"は死を望んでいない。だが、ほんの1か月前まで、毎日のように毎晩のように、来る日も来る日も何年も"その思考"が頭を駆け巡っていたことは否定できない事実だ。
当時の俺にとって死は救いでありハッピーエンド、苦痛からの解放とイコールだった。
未来に絶望し、自暴自棄になった俺が魔物による婉曲的な自殺を試みる……プリムラたちに出会っていなければ、そういう結末もあったのかもしれない。
だから、俺はシスターの質問にこう答えるに留まった。
「今は、死ねません。やらなきゃならないことがありますから」
シスターがそうしたように、今度は俺がシスターの瞳を覗き込む。そこに映し出されているのは……同情、そして、憧憬?
残念ながら人生経験の少ない俺にそれ以上のことは分からなかった。
「……嘘は、言っていないようですね。もうほとんど濁ってはいないのですから」
にらめっこの末、視線を離したシスターは誰に聞かせるでもなくそう呟いた。安堵と悔しさが入り混じった、複雑なトーンだった。
このシスターと話をしていると、決まって心の内を吐露するような流れになっている気がする。意図してやっているのだろうか?だとすれば何のために?
大鷲の件に続いてハッキリしないことが増えた。
ハッキリしていることといえば、怪我のおかげでまた探索に行けなくなるということぐらいだった。




