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何の前触れもなく俺たちに牙を剥いた鷲は、山の斜面を駆け上る逆風を物ともせず、ぐんぐんとその速度を上げていく。
「あんなに離れてたのに、何でいきなり……?」
「わたくしたちを食べようとしている……にしても、少々不可解な動きですね。もしや、ソウタ様は鳥に嫌われやすい体質なのでしょうか?」
「そんなことはない、と思うんですが……」
つい先日デカいニワトリに石を投げつけたところだが、さすがにそれが原因で鳥類の恨み的な業を背負ってしまったなんてことはないと信じたい。
銀色に輝く羽毛に独特な翡翠色の瞳は、明らかにこの鷲がただの魔物ではないことを示しており、加えて大きく広げた両翼によってただでさえ大きな体がより一層威圧感を増していた。
この山のヌシ、なのだろうか?だとしても、その行動には不審な点が多い。
そうしている間にも鷲……いや、もうこれは大鷲と言ってもいいサイズのそいつは、凄まじい勢いで距離を縮めてくる。
「先輩、伏せてください!」
白銀の大鷲は俺たちの寸前まで接近すると両翼の向きを調節し、パラシュートのように減速をしつつ脚を突き出してくる。
俺は先輩を庇って折り重なるように地面に倒れ込む。一瞬の遮光、突風と共に背中スレスレを鋭利な鉤爪が通過していった。
「思ってたより大きいし、速いな。油断しないようにしないと」
「ソ、ソウタ様?いけません、このように強引な……」
「すみません、非常事態ですから大目に見てください」
俺に押し倒された先輩は珍しく余裕のない表情だった。岩だらけの地面で頭を打たないようにと腕を先輩の後頭部に回していたこともあり、図らずも抱擁をするような姿勢になっていたのだ。
僅かに上気した顔に乱れた髪、そして荒い呼吸に伴って上下する双丘は厚手のメイド服越しに──じゃなくて、今は戦闘に集中しよう。
立ち上がって空を仰ぎ見ると、大鷲はちょうど180度の旋回を終えて再び俺たちに狙いを定めたところだった。
今度は追い風、麓からの気流に乗った大鷲は俺の頭部目がけて爪を振り下ろした。
「──甘いっ!」
俺は避けなかった。気功術を発動して頭部を強化、そのまま大鷲の脚に頭突きを食らわせる。
人間の頭蓋骨、特に前面は意外と硬い。気功術を併用すれば、下手に指を伸ばして防御するよりも有効な攻防一体の拳と化す。小気味良い音を立てて大鷲の爪が飛び散った。
結果的にこちらは無傷、一方向こうは何本かの指が根元からへし折れて、大鷲の表情に険しさが増した。少なくとも、俺にはそんな風に見えた。
これで諦めてくれれば……という俺の願いも空しく、大鷲はなお果敢に突撃を行おうとしてくる。
その執拗さには単なる狩り以外の目的があるとしか思えない。この大鷲は、間違いなく俺たちを"敵"と認識しているのだ。
大鷲が次のターゲットに定めたのは、地面から起き上がったばかりのミスティア先輩だ。攻撃の効かない俺は後回しと決めたのか、警戒するような視線を送るだけだ。
「先輩、俺の後ろに隠れてください。あいつは俺が」
「いいえ、むしろ今こそわたくしの出番でございます。ユニからお聞きになっていませんか?メイド学科の者は一通りの基礎魔術を嗜んでいるのですよ」
ミスティア先輩は両手をぴんと伸ばして手のひらを重ね合わせると、急降下を始めた大鷲に狙いをつける。
「本職の魔術師のようにはいきませんが、魔物1匹撃ち落とす程度の威力は保証いたします」
「……危ないと思ったら、力づくで退避させますからね」
「また組み敷かれてしまうのでしょうか?ソウタ様は意外と情熱的な方なのですね」
「もう好きに解釈してください……」
まあ、空を飛ぶ魔物相手であれば、近接オンリーの俺よりも魔術の使える先輩の方が適任であることは確かだ。
投石という手段もあるが、振りかぶる動作が見え見えなので俊敏な大鷲には回避される可能性が高い。その点、魔術なら発射のタイミングを悟られる心配がない。何しろ鳥の知能では詠唱の意味が理解できないのだから。
「『炎よ。天の御子よ──』」
先輩が呪文の詠唱を着々と進めていく中、大鷲はこちらの意図を知ってか知らずか、愚直なまでに真っ直ぐこちらの懐に飛び込んでくる。
完全に射線上。詠唱が完了すれば、大鷲は反応する間もなく黒焦げになるだろう。……そいつが"普通の大鷲"であったならば。
「『──我が手に集いて敵を討て』!」
ミスティア先輩の凛とした掛け声に応じて、小型の火球が大鷲の全身を紅蓮に染める……はずだった。
しかし火球は大鷲の鼻先で爆散し、立ち上る黒煙を抜けてきた大鷲はまったくの無傷だった。
「そんなっ!?これはいったい、どういう──」
理解不能な事態にミスティア先輩の体が硬直する。その隙を見逃さなかった大鷲が、2発目を発射した。その時になって、俺はようやく何が起こったのかを理解した。
黒い球体。魔術によって形成される赤の火球と対をなすような、真っ黒に燃え上がるもやもやとした魔力弾が、大鷲の口から撃ち出されたのだ。
「有り得ないだろ、これはっ──!」
いちいち驚いている暇はない。先輩を抱きかかえて必死でその場を飛び退く。黒い球は俺たちがいた場所の地面を大きく抉ったあと、嫌な臭いのする煙を上げて消失した。
もしあれが直撃していたらと思うとぞっとする。先輩の放った火球も、あれによって相殺されてしまったのだろう。
「も、申し訳ありません。油断いたしました……」
「今のは仕方ありませんよ。俺だって鳥が魔法を使うなんて思いませんでしたから」
この世界において、魔法やそれに準ずる異能を魔物が使用するのは別におかしなことではない。ただし、それは知能の高い魔物や、悪魔族といった特定の種類の魔物に限った話である。ただの大型動物が魔法を使うなど授業でも聞いたことがなかった。
何より1番恐ろしいのは、こいつが意図的に魔法を隠し持っていたということだ。はじめから切り札を見せるような愚を犯さず、俺たちが相手を"ただの鳥類"と見なして気を抜いた瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。
こいつには知能がある。確たる知性がある。本能だけの獣では持ち得ない、悪意がある。
俺たちが山の上に行こうとした途端に襲ってきたことといい、この大鷲は何か異質だ。
このまま戦闘を続行するのは、あまりにも危険だった。
「先輩、逃げますよ」
「どうやらそれが賢明のようですね。でしたら、そろそろ降ろし……ソ、ソウタ様っ!?」
そんな余裕はありません、と言う時間すらなかった。俺たちの頭上を取った大鷲が立て続けに黒い球を降らせてきたのだ。
胸元に先輩の体温を感じながら山肌をジグザグに疾走する。背後から近付いてくる衝撃。空爆のあおりを受けた近くの岩がポップコーンのように破砕して瓦礫のシャワーを浴びせ掛ける。
早々と撤退を決めたことは正解だった。アウトレンジからの絶え間ない高火力魔法。こんなもの、勝負になるはずがない。
さっさと逃げ帰ってプリムラたちの手を借りないと、強力な遠距離攻撃を持たない俺たちでは嬲り殺しにされるのがオチだ。
「お、降ろしてくださいませ!このままでは共倒れになりますからっ!」
「大丈夫ですよ。先輩は軽いですし、何よりこういう時のために鍛えてきたんですから……っ!」
「あ、いえ、でもその……きゃあっ!」
黒い球がかかとの地面を抉るように着弾、間一髪で跳躍して難を逃れる。ミスティア先輩が悲鳴を上げて俺の首にしがみついた。
先ほどからずっと気功術は全身全開だった。掠っただけでも手足が吹き飛ぶ攻撃に、魔力をケチれば即死は必至だ。
特訓のおかげで持続力も十分……いや、それほどでもないか?とにかく、キャンプ地に辿り着くまでに息切れする心配はなさそうだった。
平べったい岩盤の上に着地した俺はそのままの勢いで走り続けようとして……ぴたりと止んだ轟音に、思わず足を止めた。
「…………えっ?」
振り返った俺が見たものは、あれほどまでに執拗な追撃を行っていたはずの大鷲がアッサリと背を向けて、稜線の向こうに飛び去っていく姿だった。
わけが分からない。諦めるのが早すぎないか?俺たちを殺すのではなかったのか?
「……もしかして、あの場所から俺たちを遠ざけようとしてたのか?」
その問いに答える者は誰もいなかった。俺たちはただ、呆然とした表情で銀色の大鷲を見送っていた。




