6-7
特訓2日目。日の出と共にラオフー先生に叩き起こされ、昨日と同じようにロックジャイアントを相手取った耐久戦が始まった。
ミスティア先輩によっていつの間にか用意されていたスペアの学ランに袖を通し、サッパリした気分で戦いに臨む。
「次で80回だよ。ソウタ、ファイトぉー!」
「ああ、頑張るよ──っと!」
昨日1日クタクタになるまで頑張った甲斐もあり、もう数十回やそこらの連続発動では揺らぎもしない程度には、俺の魔力は底上げされていた。
頭上から落ちてきた平手打ちを両手でしっかと受け止めて、俺を押し潰さんとする圧力を力一杯撥ね退ける。
だが、これがマズかった。思わぬ反動にバランスを崩した巨人の体は、下り斜面側に体をよろめかせ、盛大にすっ転んだ。
「あ」
やりすぎた、と気付いた時にはもう遅い。石のようにツルツルして硬いロックジャイアントは1度勢いがつくとそう簡単に止まれない。雷が落ちるような音を立てて地面をバウンドしながら猛スピードで斜面を転がっていく。
小粒の岩ばかりでロクに樹木も生えていない"牙の山脈"に奴を止めてくれる都合のいい障害物など存在しない。呆然とする俺を置き去りにしたままロックジャイアントは崖下に転落していった。
思わず額に手を当てて「あちゃあ……」と言ってしまう。
仕切り直し。つまりはカウントリセット。あの調子なら念願の連続3桁防衛を達成できそうな手ごたえを感じていただけにこのミスは痛い。
新記録を樹立しても特にご褒美はもらえないのだが、こういう目標は案外モチベーションの維持に役立つのだ。
「ふむ、力加減を誤ったな、ソウタよ」
「どんまいどんまい、次は大丈夫だよ」
プリムラたちの声援を背中に受けながらテントの近くを離れ、新たな協力者を求めて無人の山腹に足を向ける。
ある意味1番つらいのはこの作業かもしれない。どの辺りにいるのかも分からないロックジャイアントを探して、だだっ広い山の中をあてどもなく走り回るのは精神的にきつい。
俺たちがキャンプを設営した場所は見晴らしの良い吹きさらしの斜面だったが、昨日今日と結果的に巨人を狩りまくったせいか、もうキャンプ地周辺に動くものは見当たらなかった。
「遠出するしかないか……」
ロックジャイアントをここまで誘導してくる手間を考えるだけでげっそりとするが、これも修行と思えば諦めもつく。
そうして靴紐を固く結び直し、走り出そうとしていた俺の横に、キャンプ地から1人駆け寄ってきたミスティア先輩が並ぶ。
「ソウタ様、ご同行いたします」
「え、先輩ですか?セイレンはどうしたんです?」
「セイレン様は今頃おねむの時間でございます。かなり疲れが溜まっていらしたようですので、差し出がましいとは思いましたが一服盛らせていただきました」
基本的にキャンプ地を離れる俺に同行するのは姉弟子であるセイレンだ。彼女がいれば強力な魔物に襲われても適切に対処できるし、方向感覚も優れているので遭難する心配もない。
だが、今朝のセイレンは夜の見張りを引き受けていたこともあって集中力が散漫になっており、一旦テントの中で休息を取っていたはずだ。
「そんなに無理してたのか……。やっぱり俺が見張りをした方が良かったのかな」
「それこそ本末転倒というものですよ。ソウタ様はご自身を鍛えるためにここにいらしたのでしょう?でしたら、あなた様がやるべきことは夜通し気を張って体調を崩すことではございません」
ミスティア先輩はそう言うと軽やかなステップで俺の前に進み出た。相変わらずこの人の一挙手一投足は舞台俳優のように洗練されている。
「自らが果たすべきことを粛々と果たし、そしてお世話になった方々に感謝の気持ちを伝える。真心からの献身に応えるには、それだけで良いのです」
「……分かりました。それじゃあ行きましょうか、先輩」
先輩には本当に頭が上がらない。生活面のみならず、精神的な部分においても俺はこの人の世話になっている。
俺が感謝するべき人たち、その中にはもちろん、変わり者だけど気遣いに溢れたメイドさんも含まれているのだ。
山肌を北に向かって進むことはや数十分、俺はその場で足踏みをしながら振り返り、ミスティア先輩がついてきていることを確認する。
「先輩、もう少しペースを落としましょうか?」
「ご心配には及びません。体力には自信がございますので」
今は軽いジョギング程度の速度だが、全面オフロードの山中では足にかかる負担も相当なものだ。現にプリムラはキャンプ地まで登ってくるだけでも疲労困憊だった。
俺は先輩が気を遣ってやせ我慢をしているのではないかと懸念していたが、彼女の表情にはまだまだ余裕があった。
「冒険者の皆様に快適な探索ライフを送っていただくことこそメイド学科の宿願ですから、探索の足を引っ張らぬように日々鍛錬を続けているのですよ」
「さすがですね。というか、そこまで平然とされるとむしろ俺が自信喪失しそうです」
俺は走る速度を落としてミスティア先輩に歩調を合わせる。別に先輩の言葉を疑ったわけではないが、ロックジャイアントがまだまだ見つかりそうにない以上、あまり急いでも意味がないと思ったのだ。
「もう、心配は無用と申しましたのに」
「俺が疲れてきたんですよ。先輩をダシにしてサボりたくなったんです」
「まあ!淑女を己が怠慢の口実に利用するなど、とても紳士の所業とは思えませんわ!」
「知らなかったんですか?どうやら俺は獣じみて、野蛮で、卑しい男らしいんですよ。俺も昨日教えてもらったんですけどね」
酸素の行き渡っていない脳みそで中身のないやりとりを交わす俺たち。無言で走り続けることにそろそろ気まずさを感じ始めていたので、内容が何であれ話し相手がいるのは喜ぶべきことだった。
「……そういえば、先輩はどうしてメイド学科に入ったんですか?」
この機会に俺はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
わざわざ冒険学部に入ってまでメイドという役目を選ぶのは、誰だって疑問に思うだろう。特別な理由がない限り、大抵の生徒は戦士とか、魔術師とか、そういったものを目指すのだから。
ユニは従者としての勉強をするためメイド学科に入った。ならば、ミスティア先輩は?この人もまた、冒険とは違うところに目標を据えているのだろうか?
「なぜ、ですか。ソウタ様は難しい質問をされますね」
「言いにくいことだったらすみません」
「言いにくいというより、説明が難しいと言った方が適切でしょうか。わたくしは"冒険者"よりも"メイド"に重きを置いているので、メイド学科以外を選ぶ理由がありませんでしたから」
「な、何だか深い言葉ですね」
「ただの我儘ですよ。わたくしは、普通のメイドでは満足できなかったのです」
ミスティア先輩は人差し指を唇に寄せて「淑女のプライベート情報ですから、取り扱いにはご注意を」と意味ありげに微笑むと、つらつらとここに至るまでの経緯を語り始めた。
それは、ミスティアという人間の、メイドという職業に対する心構え、引いては人生哲学そのものだった。
さる名家の家令とメイド長の間に生まれたミスティア先輩は、自身もメイドとして幼少の頃から厳しい教育を受けてきた。彼女もまたメイドを自身の天職と考え、めきめきと実力をつけていった。
ここまではユニとそう変わらない。ミスティア先輩が他の使用人たちと違っていたのは、その高すぎるプロ意識だった。
「メイド長である母を超え、メイドの仕事を極め尽したと実感したまさにその時、わたくしはふと気が付いたのです。わたくしの奉仕を真に必要としていらっしゃる方々は、もっと別のところにいるのではないかと」
屋敷は両親がいればつつがなく回るだろうし、万一のことがあったとしても、屋敷の主人には人を増やせるだけの余裕がある。
過分なまでに磨き上げられた自分の力はもっと、金銭的、時間的に困窮し、今まさに誰かの助けを求めて喘いでいる人々のために使われるべきなのではないか?
そう考えた先輩が着目したのは、冒険者という存在だ。
「冒険者の方々は、クリシュカの希望なのです。彼らはいつも、皆の希望と期待を一身に背負って戦い続けていらっしゃいます。
ですが、冒険者が人々を助けることはあっても、彼ら自身を助けてくれる者というのはいないのです。人々のため、身を粉にして働く方々がそのようなご無体な扱いを受けて良いはずがございません。彼らには支える者が必要なのですよ」
だからこそメイド学科というわけか。確かに、冒険者としてのメイドは特殊な立ち位置だ。戦闘や探索ではなく、冒険者そのものへのサポートを目的としているのだから。
「風の噂でメイド学科なるものの話を聞いた時、まさに天啓を得たような気分でした。冒険者の皆様に付き従い、そのお仕事を陰に日向に支援する……わたくしの生きる場所はここにしかないと、そう確信したのです!」
興奮気味に話すミスティア先輩に俺は圧倒されていた。いつもは1歩引いた位置で構えている先輩が、これほどまでに熱いものを秘めていたとは……。
鼻息も荒く語り終えた先輩はしばらくの間溌剌としていたが、俺の視線に気付くとハッと我に返り、慌てて微笑の仮面を被り直した。
「む、無駄話が過ぎましたね。そろそろ真面目にいたしましょうか」
「そうですね。……まあ、それでも一向に見つからないんですけどね、ロックジャイアント」
元来た方角に目を向けてみると、キャンプ地に張ってあるテントはもはや豆粒ほどの大きさになっていた。だというのに、どこまで行ってもお目当ての巨人は見当たらない。
そこら辺にガルムでもいればひとまずの代替にはなるのだが、こういう時に限ってエンカウント率が悪いのはお約束というか、黒っぽい山肌には魔物一匹潜んでいなかった。
「どうします?このまま進んでいくと正直迷いそうで怖いんですが」
今のところは晴天なので問題はないが、山の天気は変わりやすいというし、未開の地で拠点からどんどん離れていくことに対する不安もあった。
あと少し進んで、それでも成果がなかった場合は1度戻ることを提案しよう、そう思っていた時、ミスティア先輩がふと稜線の方に視線を移した。
「ソウタ様、あちらを探してみてはいかがでしょうか?」
先輩が指差したのはここからいくらか上に登った先、直近の峰と峰の狭間にある、残雪のまばらな区域だった。
この位置から巨人族らしき影は見えないが、その代わりに、上空には鷲のような姿の鳥が眼下を観察するように辺りを巡回していた。
「あの鳥、見たところ肉食系の魔物かと思われます。恐らくはあの下に獲物となる生き物か、警戒すべき敵がいるものと思われますわ」
「それが、もしかするとロックジャイアントかもしれないと?」
「当たってみる価値はあるのではないでしょうか?少なくとも、何もない、ということは有り得ないでしょうから」
「うーん、上に行くのは禁止されてるんですけど……手ぶらで帰るよりマシ、かなぁ」
ラオフー先生は例の冒険者を刺激しないようにしろと言っていたが、今はまだ太陽が昇っているし、霧も出ていない。
これだけ見通しがいいのだから、少しぐらい上に登ったところであの2人とばったり鉢合わせ、ということにはならないだろう。もし彼らを見つけても、それ以上近寄らないようにして来た道を戻ればいい。
そう決めた俺たちは鷲がいる方角に足を向け、斜面を登り始めた。
──その瞬間だった。
ついさっきまで悠然と大空を漂っていた鷲が急旋回を始め、こちらに向かって矢のような速さで突撃してきたのだ。
「なっ──」
青空にぽつんと佇む小さなシルエットにすぎなかった鷲が、みるみるうちにその大きさを増していく。
どう考えても、狙いは俺たちだった。




