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真っ黒な暗幕で閉め切られた、薄暗く、埃臭い、カーペット敷きの一室。そのあちこちに雑然と積み上げられた本、本、本……。
壁際を占領する古風な本棚にきちんと収められているものはごくわずか、シリーズものの重そうな大判本のコーナーに至っては歯抜けどころか総入れ歯が必要な有様だった。
「リラ先生……お願いですからたまには整理してください」
「じ、時間ができたらやろうと思っていたんですよ?ですけど最近はいろいろ忙しくて、気が付けば1年2年と……」
見苦しい言い訳を重ねるリラ先生を尻目に本を一冊ずつ棚にはめ込んでいく。これだけスッカラカンだと並びを気にしなくていい分かえってやりやすい。
「うわ……ソウタさん見てください。この本なんてカビ生えてますよ。虫干ししないで放置するから……」
「わわ、こっちは蜘蛛の巣だらけ。先生もしかして掃除もしてないとか……?」
部屋の奥から顔を出したユニとプリムラが追撃をかける。見事な3連コンボを食らって教師としてのプライドをズタズタにされたリラ先生はガックリと崩れ落ちた。
星魔術学科の資料室を整理する手伝いが欲しい──メイド学科に舞い込んできた依頼を受けた俺とユニ、そして道中でばったり出会ったプリムラを加えた俺たち3人がこの魔窟の秩序の回復を試みてから、かれこれ数時間が経過していた。
リラ先生は学科棟に現れた俺とプリムラを見て相当焦っていた。メイド学科に頼んだはずなのに、まさか自分の担当しているクラスの生徒がやってくるとは思いもしなかったのだろう。
ご丁寧に学科を臨休扱いにしてナギアまで締め出しているあたり、この惨状を秘密裏に処理するつもりだったようだ。
だったらはじめから小まめに整理整頓すればいいと思うのだが、それができないのもまた人間なのだ。
「本はだいぶ片付いてきたんですけど、手前の方に置いてある機材はどうすればいいんですか?」
「それはそのままで構いませんよ。頻繁に使用するので出しやすい位置にまとめてあるんです」
俺が指差したのは、部屋の入り口近くで新しめの布に覆い隠されていたいくつかの大道具だった。
重量感のある長い筒、それに木製のイーゼル……いや、これは三脚か?星魔術用のマジックアイテムには見えなかった。
「これってもしかして、望遠鏡ですか?」
「ほほう、ソウタ君は学がありますね。それは大陸西部の大学からはるばる取り寄せた天体望遠鏡と呼ばれるものです。ドワーフの技術を取り入れることで小型化と性能を両立させた最新型ですよ。先生の5年分のお給金がすべて詰まっていますから、取り扱いには気を付けてくださいね」
「え、自腹で買ったんですか?こういうのって経費で落ちると思ってたんですけど」
「これは先生の趣味のようなものですから、星魔術の講義には使わないんです。それに、生徒の皆さんは星の子細な動きや星座の話より実践的な魔術を学びたがりますから」
星々の力を借りて超常の力を引き起こす星魔術に天体の知識は必須だが、あくまでダンジョン探索に有用な魔術に限定した場合、覚えておくべきなのは太陽と月、そして足元にある母星の動きだけで十分なのだという。つまり、それ以外は冒険学部において雑学でしかないというわけだ。
布をもう少し捲ってみると、天球図の入った紙袋や、地球儀っぽい形をした妙ちきりんなアイテムが次々と出てきた。
どうやらリラ先生は天体マニアのようだ。星魔術の講師をやっているのも星好きが関係しているのだろうか。まあ、この先生のことだから、星魔術を天文学の亜種か何かと勘違いして受講したなんて理由でもおかしくないが。
「星空なんて眺めても魔物は減らない、ダンジョンは上じゃなくて下にあるんだ……なんて良く言われますけど、先生は、冒険者にこそ星が必要とされているように思います。
日々の戦いに、恐怖心と閉塞感に押し潰されそうなダンジョンに疲れた時、ふと見上げた空にまたたく星々に心癒され、天啓を得る。そういうこともあるはずです」
「要するに気分転換は大事ってことですか?」
「平たく言えばそうですね。人は、ただただ最短距離を進むだけでは心の貧しい人間になりがちです。
常に心に余裕を持って、寄り道や回り道を積み重ねて、それらすべてを後の糧にしていくのが、本当の意味で"成長する"ということですから。
どうかソウタ君も、周りの見えない大人にだけはならないでくださいね」
そう言って優しい目で俺を見るリラ先生は、いつものおっちょこちょいで放っておけない女性ではなく、経験と豊かな心を持ち合わせた立派な大人だった。
「……というわけで、ソウタ君も天文学を学んでみませんか?今なら先生が手取り足取り教えてあげますよ!」
「すみません、これ以上掛け持ちするのは時間的に厳しいです」
「そ、そうですか……」
しなしなとしょぼくれるリラ先生には悪いが、格闘学科とメイド学科、そしてクエストによって俺の時間はほぼ埋まっている。教養や息抜き成分の補給は他で賄おう。
カビが生えたり痛んでいた本を分別して、予め持参していた編みカゴの中に詰め込む。こちらはメイド学科でクリーニングしてから後日返却することになる。
ユニとプリムラは自分の担当箇所を整理し終えたらしく、俺の横に並んであとわずかとなった棚の隙間にてきぱきと本を差し込んでいく。
メイド学科の手伝いをするようになってしばらく経つが、ユニと俺の家事スキルは差が開く一方だった。さすが従者志望と言うべきか、細かいところに気が付くし手も早い。
「悪いな。2人にはいつも助けてもらってばかりな気がするよ」
「気にしない気にしない。私もいっぱい助けてもらってるからおあいこだよ」
「そうですよ。それにソウタさんは怪我してるんですから、はりきりすぎると治りが遅れますよ」
「だから、それはもう完治したんだって」
採石場の一件はもう3日も前のことだし、俺の左手はシスターによる継続的な治療の末、今朝をもって稼働許可が下りた。性懲りもなく大怪我をして帰ってきた俺にシスターはおかんむりだったが。
だから俺としてはいたって普段通りのなのだが、ユニはどうあっても俺を怪我人扱いしたいようだ。
「骨はちゃんと元通りになったし、痛みも残ってない。むしろこれ以上動かさないでいると筋肉がなまりそうで怖いんだよ」
「変な後遺症でも残ったらなまるどころの話じゃありませんよ。もしそんなことになったらおじょ……パーティの皆さんも悲しむんじゃないですか?」
ユニがここまで強く出てくるのは割と珍しい。だがまあ、心配性になる気持ちも分かる。
なぜなら俺はまもなく例の特訓に向かうことになるのだから。
ラオフー先生のエキセントリックな授業(と称されるもの)はユニにとっても忘れ難いトラウマになっていた。いくら実戦主義の冒険学部とはいえ生徒を死地に送る教師がいるとは彼も予想していなかったに違いない。
そして今日はいよいよ運命の週末、ラオフー先生肝いりの強化合宿初日である。あと1時間もすれば、諸々の準備を整えたセイレンと合流して、目的地に向かう運びとなっている。
手伝いを申し出たのだが、「ここは姉弟子としての甲斐性を見せるところですから」と意味が合ってるんだか合ってないんだか良く分からない発言に押されて、俺は嬉々として買い出しに向かったセイレンを見送った。
ともかく、ユニにとっては今日が俺と会う最期の機会になるかもしれないのだ。特訓1つで今生の別れみたいなムードになるのは滑稽だが、これが格闘学科なのだ。
「本当に大丈夫なんですか?もしやせ我慢してるなら、今回は日を改めた方が」
「大丈夫、大丈夫だって。子供じゃないんだからその辺で勘弁してくれ」
「ならいいんですけど……」
ユニはまだ納得していない様子だったが、ちょうど本棚の整理がキリ良く終了したこともあり、この話はお開きとなった。
その後部屋の簡単な掃除を終えた俺たちは上機嫌のリラ先生から報酬を受け取り、資料室を出た。報酬が心持ち多めだった理由を聞くのは憚られた。まさか口止め料なのか……?
メイド学科棟の前でユニと別れ、プリムラと2人でブラブラと散歩がてらグラウンドの端を歩く。
「俺ってそんなに危なっかしく見えるのかな……確かに怪我は多いけど」
「ソウタはつらい時につらいって言わないタイプだから、みんな気にしてるんだよ」
「そこを突かれると痛いな……」
ばつが悪そうに頭を掻く俺を見てクスクスと笑うプリムラ。
長い間相談できる相手がいなかったせいか、俺はどうにも他人に頼ったり甘えたりすることに抵抗があるのだ。自分ではうまく隠し通せてきたつもりだったのだが、友人たちにはお見通しだったということか。
学部長がやけに世話を焼いてくるのも、ともすれば1人で抱え込みがちな俺を慮ってのことなのかもしれない。
(ありがたいことなんだよな、これって)
自分が独りではないと実感できることは、今の俺にとって何にも代え難い力を与えてくれる。
生きるための原動力とでも言うのだろうか。誇張ではなく、彼らの支えによって俺は息を吹き返したのだ。




