5-14
「嘘だろ……」
この世界に来てからというもの、大抵の不思議現象にはもう慣れっこになっていたが、さすがに今回ばかりは絶句するしかなかった。
人や物だけでなく魔術にまで影響を及ぼすことができるなんて、規格外にも程がある。俺たちはしばし戦闘中であることも忘れて石化した火球の破片に見入っていた。
「くっ、それなら……!『雷よ。憤怒の槌よ。仇なす者に喰らい付け』!」
喪心状態からいち早く復帰したジャンヌが攻撃手段を切り替える。疾走する電撃が茨のような軌跡を描きながらコカトリスに襲い掛かった。
しかし、それもまた石化ブレスによって迎撃されてしまう。電撃は細長い石の棒に成り果てた後、力なく地面に転がった。
駄目だ。魔術による遠距離攻撃ではコカトリスにダメージを与えることはできない。やはり呪符を頼りに強力な近接攻撃で仕留めるしかない。
そう判断した俺は2人に向かって声を飛ばした。
「2人とも、俺が囮になるからその隙に近付いて攻撃してくれ。安全策を取ってたらこいつは倒せそうにない」
「それは、構わないのだけど……ソウタは大丈夫なの?」
ジャンヌの目線は俺の左腕に向けられていた。ぶらりと垂れ下がっている左腕は当分使い物にならないだろう。またシスターに無茶を窘められそうだが、それを考えるのは生きて帰ってからでいい。
そういえば週末に特訓も控えているんだった。それまでには動かせるようになっていればいいが……。
横道に逸れた思考をシャットアウトして、ジャンヌに微笑み返す。ここで泣き言を言うのは男らしくない。何だかグロムの癖が伝染している気もするが、まあいい。
「大丈夫だよ。格闘学科の授業に比べれば屁みたいなものだから」
「なら、いいのだけど。無理はしないで」
「俺よりグロムを心配してやってくれ。あっちはもう呪符がないんだから」
「それこそ要らぬ心配さ。ボクが女性の前で膝をつくことは絶対に有り得ないからね」
軽口を叩いてはいるが、回避ではなく重装による受けが主体のグロムと石化ブレスを多用するコカトリスでは相性が悪い。本人もそれを自覚しているのか、あまり余裕のある表情ではなかった。
俺が囮としての役目を果たせば、それだけグロムに攻撃が行く危険性は減る。片腕が壊れているからといって怠けているわけにはいかなかった。
コカトリスの正面に躍り出た俺は、相手の攻撃目標を俺に向けさせるためにあえて無謀な突撃を敢行した。誘いに乗ったコカトリスは片脚を凄まじい勢いで踏み出して俺を押し潰そうとする。
丸々とした体に不釣り合いな細く骨ばった脚に自重が集中するのだから、その威力はオーガに勝るとも劣らないだろう。俺は指と指の間のわずかな空間に体を滑り込ませて圧死を逃れる。
コカトリスが足を止めている今が最大のチャンスだ。握り拳を作って反撃に移ろうとした俺の頭上に不意に影が差す。全身が総毛立つような直感に従ってすぐさま背後に飛び退いた。
その直後、俺が立っていた場所に先の尖った嘴が突き刺さった。数メートル上から振り下ろされたそれは、着弾点に散乱していた小粒の石ころを散弾銃のように弾き飛ばす。
思わず顔を覆って石が目に入るのを防ぐ。視界が遮られている状態で隣接し続けるのは危険だが、かといって離れすぎれば囮の意味がない。
一旦退くか、留まるか。逡巡していた俺の耳にジャンヌの声が響く。それは向こうの準備が完了した合図だった。
「もう十分よ、ソウタ。ここからは私たちが」
「悪い、ここは任せた」
コカトリスの射程外に逃れた俺が戦場に目をやると、ちょうどジャンヌとグロムがコカトリスを挟み撃ちにしているところだった。
前面には剣を両手に構え直したジャンヌ、そして背面には斧槍の根元近くを持って刺し貫くような構えをしているグロム。
既に魔法剣の詠唱を終わらせていたのだろう、ジャンヌの剣からは赤々とした炎が激しく立ち上っており、触れるものすべてを焼き尽くさんばかりの熱を漂わせていた。
一方のコカトリスは地面に突き刺さった嘴を抜くことに手間取って、自らが挟撃されていることにようやく気付いたばかりだった。
今度こそ勝負が決まる……俺はそう思っていたが、この妖鳥は俺たちの想像の更に上を行った。
コカトリスが取った行動は石化ブレスだった。問題はその矛先だ。
奴は誰を狙うでもなく、自身の真下に向かって最大級のブレスを吹きかけたのだ。
「きゃっ──!」
石化そのものは呪符によって無効化されたものの、ブレスに伴って地面に打ち付けられた強風で砂埃が巻き上げられ、今まさに魔法剣を振り抜こうとしていたジャンヌを怯ませる。
それは不運な偶然だった。なぜならコカトリス自身は目潰しを目的としていたのではなく、単に前後の獲物をまとめて石化させようとしていたにすぎなかったのだから。
石化成分を含有する大量の灰が、コカトリスの足元から全方位に向かって地を這うように広がっていく。その一部は腹の下を抜けて背後にいたグロムへと迫っていた。
「くそ、間に合えっ──!」
俺は姿勢を低くして、自分の呪符をコカトリスの股下をくぐらせるように投擲した。
呪符は横向きに高速回転しながら地面スレスレを飛んでいく。硬めの材質であったことも幸いし、呪符は気流の影響をほとんど受けることなくグロムの腰あたりに着弾した。
「ゴ、ゴメン……助かったよ」
既に首まで石化しつつあったグロムだが、呪符が発動したことによって、ぎこちない状態ではあるものの体を自由に動かすことができるようになっていた。
しかし、状況は彼の完全回復を待ってくれるほど優しくはなかった。
翼を横に大きく広げたコカトリスが、周囲をミキサーするように体ごと半回転する。硬質な鱗を纏った巨大な2枚羽による薙ぎ払いだ。
ジャンヌはかろうじて攻撃範囲から逃げおおせることに成功したが、石化から復帰したばかりのグロムに行動の猶予は残されていなかった。
「ぐ、あああっ!」
十数メートルに渡って吹き飛ばされたグロムは、ピンポン玉のように2、3度バウンドして砂利の上に倒れ伏した。
「グロム!?」
「だ、大丈夫……この鎧は、先祖伝来のミスリル製だから……ぐっ……!」
顔だけをこちらに向けて空元気を見せるグロムだが、鎧はともかくその中身は相当なダメージを受けているようだ。首から下がピクリとも動いていない。
この時点で俺たちは完全に呪符を使い切ってしまった。だというのにコカトリスは未だ健在、そのうえグロムは満身創痍だ。
さらに間の悪いことに、翼を折り畳んだコカトリスはグロムを狙っていた。ブレスの射程内に入ってしまえば今度こそグロムの命はない。
「させないっ!『炎よ』!」
コカトリスの動きを止めるため、簡易詠唱を終えたジャンヌが複数の火球を連続発射するが、首だけを後ろに向けたコカトリスはそれらすべてをブレスによって無力化してしまう。奴の歩みは止まらない。
正直なところ、万策尽きたに等しい状態だ。が、仲間の危機に指をくわえたまま突っ立っていられるほど、俺は薄情者じゃない。
俺たち3人は結成からわずか24時間の即席パーティだ。お互いを完全に理解し合えているかと聞かれれば間違いなくノーと答えるだろう。
それでも俺はこの2人のことをもっと知りたいと思った。また、彼らと冒険したいと、そう思えた24時間だったのだ。
だから、死なせない。絶対に。
とにかく動かなければ。一か八か全力で攻撃すればせめてグロムが立ち上がる時間ぐらいは稼げるだろうか……。
そう考えて足を踏み出そうとした時、道端に転がっていたそれに気付いた。
迷っている時間はない。俺は自分の閃きを信じてそれを拾い上げると、右手にすべての魔力を集中させた。
「ジャンヌ!今だ!」
空気を切り裂くような猛スピードで右手を振り回し、それをコカトリス目がけて投げつける。俺が投げたものの正体に気付いたジャンヌもまた、すべてを理解して走り出した。
再び首をこちらに回したコカトリスはさして動じた様子もなく石化ブレスによる迎撃を行い──"その物体"の直撃を受けた。
「鳥頭め。石は石化しないに決まってるだろ」
俺が投げたのは付近に落ちていた石の塊……つまり、石になった魔物の一部だ。石化しているのだから、ブレスを受けてもこれ以上変化することはない。速度も十分なので逆風を受けて減速する心配もない。
逆転のヒントは、はじめから俺たちの目の前に用意されていたのだ。
硬い石の砲弾を頭に受けたコカトリスは長い首を大きく仰け反らせる。俺の合図に合わせて懐に入り込んでいたジャンヌがその隙を逃すはずがなかった。
「炎よ、噴き上がれ!」
白い羽毛が豊かに生い茂る下腹部に向けて振り上げられる、炎の魔法剣。
刃先から工業用バーナーのように噴出する、爆炎とも表現すべき真っ赤な炎が、斬撃の延長線上にあるコカトリスの巨体を焼き、焦がし、溶かし、蒸発させてゆく。
断末魔の悲鳴すら掻き消されてしまうほどに激しく、苛烈な炎舞だった。
俺たちを散々苦しませた採石場の主は、最終的に左右の翼と2本の脚だけを残して、跡形もなく消滅した。




