4-9
「『風よ。触れ得ざる者よ。螺旋の如く舞い踊れ』っ!」
プリムラの唱えた風の魔術が俺たちを中心に大きな竜巻を発生させる。
俺たちの目と鼻の先まで迫っていたスライムたちは、洞窟内に突如として吹き荒れた旋風によってその体を大きくくねらせ、壁際に押しやられていった。
「逃げ道、できたかな?」
「無理っぽいな。割と重いみたいだし、予想してたほど後退してくれない」
スライムの群れに包囲された俺たちは手詰まりに近い状況に陥っていた。
スライムに物理攻撃の類は効果がない。最も有効なのは炎の魔術だが、倒しても倒してもその後ろから沸いてくる連中を相手にいつまでプリムラが保つのか疑問だった。
それならばと風の魔術でまとめて吹き飛ばしてその隙に逃げようとしたのだが、これも上手くいかなかった。
壁に押し付けられて餅みたいに伸びていたスライムが、風が止んだ途端にケロリとした表情で(あくまでそんなイメージという意味だが)押し迫ってくるのはなかなかに攻める側のやる気を削いでくれる。
「困ったね。もう魔力もあんまり残ってないし……どうしよっか」
「魔術が使えない俺にはどうしようもないな。せめて他に攻撃手段があればよかったんだが」
「錬金学科に行った時に解毒剤だけじゃなくて爆弾とか買っておけば良かったなぁ」
「そんな危ないもの学生に売っていいのか……?」
俺の背中におぶさっているプリムラはもう普段通りの調子を取り戻したようだが、彼女の全力の魔術をもってしても未だ絶体絶命のピンチを覆すことはできずにいた。
まだ何十匹もその数を残しているスライムは、前後の通路をその数に任せてぴったりと封鎖しながら確実に俺たちとの距離を縮めてくる。
あえて好転した部分を挙げるなら、先ほどの竜巻によって周囲を覆っていた黄色い煙が綺麗さっぱり晴れて見通しが良くなったことぐらいだろうか。
「氷の魔術でスライムを凍らせるってのは?」
「ごめんね、私まだ四大元素の魔術しか使いこなせないの。火とか水とかのやつ」
「氷と水は別系統なのか。変な区分だな、それ」
「"水を出す"と"水を冷やす"の違いだってエカテリーナ先生は言ってたよ」
「なるほど。それなら別だな」
軽口を叩く俺の顔は強張っていた。ただのスライムがここまで脅威になるとは思わなかった。スライム=弱いという固定観念は異世界では通用しない。
ようやっと俺の中でいろいろな覚悟が決まってきたところだというのに、こんな手抜きデザインの魔物に殺されてたまるか!……という気概は十分なのだが肝心の打開策が思いつかないようでは意味がない。
何とかして連中の気を逸らす方法でもあれば逃げることができるのだが……
(……ん?……そういえば、こいつらはどうやって俺たちを認識してるんだ?)
半透明の体に感覚器官らしきものは何もない。だからといって視覚がないとは限らないが、あれほど濃い煙の中で俺たちを見失うことなく追いかけてきたのだから、もっと別の知覚手段を持っているはずだ。
俺たちが黒スズランのあった区域に入ってからスライムが現れるまで若干のタイムラグがあった。その間に連中は何かを察知して、そして俺とプリムラを優先して襲ってきた。
その理由に俺は心当たりがあった。
「血の匂いか」
「匂い?どういうこと?」
「たぶん、スライムは匂いで周囲の様子を把握してるんだよ。だから俺たちを……正確に言うとプリムラを狙ってた」
異臭に満ちた洞窟の中でも通用する優れた嗅覚。それが目も耳も持たないスライムの武器だった。
スライムはとても鈍い。そんな奴らが確実に獲物を捕まえるためには、手傷を負って弱りきった生物を相手にした方が効率的だ。だからこそ、連中は血の匂いに殊更鋭敏になるよう進化していったのだろう。
黒スズランについても、他の魔物たちを粗方食べ尽して腹が減っていたところに花のいい香りが漂ってきたので非常食感覚で食べていたのかもしれない。
「最初にスライムが出てきた時プリムラが転んで怪我をしただろ?あの時の出血で気付かれたんだと思う」
「ええっ、そうだったの!?じゃあやっぱり私のせいなんじゃ……」
「いや、それは今はいいから。俺が言いたいのは──」
そう言いながら俺はポケットの中をまさぐって、取り出したハンカチを丸めるとスライムの群れの向こう側に向けて力一杯投擲した。
その途端、足並み揃えて俺たちに迫っていたはずのスライムたちが、前後に割れるようにして2手に別れ始めたのだ。一方は変わらず俺たちの方へ。もう一方は俺たちから離れるようにしてハンカチの方へ。
「スライムが……逃げてる?」
「正確にはハンカチを追ってる、だろうな。連中は匂いばかり重視してるから、あれが生物じゃないってことになかなか気付けない」
あのハンカチはプリムラの手当てをした時に付着した血液が残っている。その匂いに反応した一部のスライムが捕食対象を変更したのだ。
おかげで前方に広がる群れの中心に、ほんの少しではあるもののスライムが存在しない空白地帯ができていた。
この距離なら、いける。
このダンジョンに入ってから大した役に立てていなかった俺にもようやく出番が回ってきたのだ。
「プリムラ、しっかり捕まってて」
俺は助走をつけながらスライムの群れに向けて走り出した。最前列のスライムがのろのろと触腕を伸ばしてくるが、不意を打たれたわけでもない単調な攻撃を見切るのは容易いことだった。
触腕が接触するギリギリまで距離を詰めた俺は速度を殺さないようにしつつ膝を軽く曲げて跳躍の準備を整えると、踏み切りの瞬間に両足の魔力を高めて、地面を蹴った。
幅跳びのような姿勢で天井近くまで跳躍した俺は、スライムの海を眼下に見据えながら10メートル近く飛び続けた後中央の孤島に降りて、そこから更に2,3歩ステップを踏んで勢いそのままに再度飛び上がった。
スライムたちが慌てたように触腕を上に伸ばすが間に合わない。俺たちはスライムの囲みを飛び越えてなお飛び続け、最終的に奥の壁に"着地"することで余分な勢いを殺し、地面に降り立った。
「ふう、これでやっと面目躍如ってところか」
「す、凄い凄い!私たち空飛んじゃったよ!」
興奮したプリムラが体を揺らす。動きにくいのでもう少し大人しくしてほしいが、俺のささやかな自尊心は満たされたので差し引きプラスだった。
最大の難所は越えた。後は仲間たちと合流を果たすだけだ。一息ついた俺は周囲を見渡して……げんなりした。
通路の先にはまた別のスライムたちが列をなして俺たちを待ち構えていたのだ。
一難去ってまた一難。つまるところ挟撃されているという状況に変わりはなかった。
「次から次へとキリがないな……」
他に囮にできるような小物がないか、いっそのことわざと血を流して床に垂らしてみるか?
色々と考えを巡らせながらスライムの群れを忌まわしげに見つめていると、不意に群れの向こう側から聞き覚えのある声がした。
「血の匂いでスライムを誘導できる……どうやら君たちの方も気付いたみたいだね」
大量のスライム越しに見えるぼやけた景色に見覚えのある白いローブのシルエットが写っていた。
「ナギア!無事だったのか!」
「それ僕の台詞なんだけどな……。とにかく、すぐ助けるから待ってて」
「ねえ、リンとアキュートは?一緒じゃないの?」
「2人は陽動だよ。近くにいるスライムを釘付けにしてくれてる。こんな風にね」
そう言うとナギアは手に持っていたものを無造作に投げ捨てた。すると何匹かのスライムが進路を変え、彼が捨てた何かに吸い寄せられるようにして道を開けていく。
ナギアがさらにいくつかの薄っぺらいものを道の隅に落としていく度に俺とプリムラの行く手を塞いでいたスライムの壁が薄くなっていく。
俺たちとナギアを隔てるスライムが残すところ数体となった時、ようやく俺は彼の姿をはっきりと見ることができた。
ナギアは指先から血を流していた。それは小さな刃物で皮を切っただけの軽微なものだったが、彼はその傷口を手当てすることなく自らのローブに押し当てた。
真っ白なローブが赤く染まる。ナギアは血を吸った部分の布を躊躇なく破ると、その切れ端を遠くに放り投げた。
「やっぱり新鮮な血の方が食いつきがいいみたいだね。こいつらが馬鹿で助かったよ」
素人の俺が見ても分かるぐらいに高級な布地を惜しげもなく使い捨てるナギアは、どこか清々しい表情をしていた。
進路上にいるスライムはあと1体だった。そいつだけは囮に引っ掛かることなく真っ直ぐ俺たちに近付いてくる。
「そろそろ僕は下がってるよ。僕自身血が出てるからスライムがいつこっちに向かってきてもおかしくないし。それに、後は君たちだけでどうにかできるだろう?」
ナギアの言う通りだ。1匹だけならもう魔力を温存する必要はない。最後に思いきりぶちかましてやればいい。
プリムラは俺と頷き合うと、右手を前に伸ばして俺の上で前のめりになった。後頭部に彼女の柔らかいお腹が押し付けられ、熱い鼓動が伝わってくる。
「よぉっし、それじゃあ凄いのやっちゃうから、ちゃんと見ててねソウタ」
延々と逃げ続けてフラストレーションが溜っていたのか、プリムラの声には珍しく好戦的な響きが混じっていた。
そして、いつもの聞き慣れた呪文と共に、煌々と輝く火球が緩やかに回転しながらその体躯を膨らませていく。
「……炎よ!天の御子よ!我が手に集いて、敵を討てっ!!」




