4-6
その後、探索を再開してから10分足らずで、俺たちはあっけないほど簡単に黒スズランを発見することができた。
そこは道幅が他の区画より広くなっていたおかげで煙が比較的薄く、洞窟の奥にぽつんと1輪だけ咲いている黒い花を遠くからでもはっきりと視認することができた。
「あっ!ほらあそこ!あれがきっと黒スズランだよ!」
プリムラが声を弾ませる。彼女は落ち着かない様子で辺りを見回して、魔物が隠れていないことを確認すると、すぐさま隊列を抜けて走り出した。
「ちょ、ちょっとプリムラ、こんなところで走ると危ないわよ!」
「平気へいき──きゃっ!」
見通しがいい、といってもこれまでに比べればの話だ。リンが危惧した通り地面の出っ張りに足を引っ掛けたプリムラは盛大に転んでしまった。
「言わんこっちゃない。俺が行くよ」
みんなから離れてプリムラの元に駆けつけた俺は、前のめりになって膝をついているプリムラに手を貸して立たせてやった。
「怪我はないか?ちゃんと歩ける?」
「ん……足は大丈夫だよ、ありがとう。でも、ちょっと手を擦りむいちゃったかも」
地面に手をついた時に変な擦り方をしたのだろう、肘の皮が破れて血が滲んでいた。
毒溜まりほどではないだろうがこの辺の土に有害な成分が含まれていることは間違いない。傷が化膿するといけないので俺は腰に提げていた水筒に解毒剤を少し混ぜてプリムラの傷口を洗い流してやった。
「んっ……!ちょっと、沁みるかも……っ」
「自業自得だから我慢してくれ。毒溜まりにダイブしたらこの程度じゃ済まなかったんだぞ?」
されるがままに俺の応急処置を受けながら目をぎゅっと塞いで刺激に耐えるプリムラはいつもより幼く見えて、俺は改めて彼女が"年下"なんだと実感していた。正確な年齢を尋ねたことはないが、恐らく14~15歳くらいだろう。
俺はひとまずの消毒を終えた後、ハンカチで傷口を拭いて、ガーゼに包帯を巻いて、落ちていた帽子を被せてあげて、サービスで脚に付いていた土も払ってやった。気分は世話焼きお兄ちゃんだった。
「はい、これでおしまい。次からは気を付けてくれよ」
「えへへ、ソウタって優しいね」
転ぶ前より嬉しそうな顔をするようになったプリムラと一緒に黒スズランの傍に屈み込む。
それは名前の通り真っ黒な色をした植物だった。丸っこい形をしてこうべを垂れている花の部分だけでなく、茎も、それを包むように伸びる葉もすべて黒色をしていた。闇の気配に満ちた、どこか影絵を連想させるような外見だった。
日光の射さないダンジョンに生えているのだから光合成とは違った手段でエネルギーを作り出しているのだろうが、詳しい調査は学者にでも任せればいい。冒険者である俺たちにとってはこの花から得られる報酬の方が重要だ。
「これでクエスト達成、だね。大分時間かかっちゃったけど何事もなくて良かったぁ」
黒スズランを根元の方で手折ると、壊れ物を扱うような繊細さでポーチに仕舞っていくプリムラ。俺はその様子を見つめながら、ふとおかしなものに気が付いた。
「なんだ、この穴?」
俺とプリムラのいる場所から数十センチほど離れた壁の隅に、人1人がなんとか入れるくらいの窪みが開いていた。
窪みは奥行きがほとんどない代わりに底が抜けており、数メートル下に広い空間が見えていた。窪みというよりも下層へのダストシュート、あるいは直通路のようなものだった。
(誰かがショートカット用に掘ったのか?それならロープや梯子の跡がありそうなものだけど)
人為的に作られたというより、壁を削っていたら偶然下に通じる穴が開いたといった感じだった。
もう少し詳しく調べてみようと穴を覗き込んでみる。穴の縁はまるで何かで溶かしたみたいに滑らかな丸みを帯びており、壁面にはヌルヌルとした透明の液体が付着していた。
(色合い的に毒液とは別のものなんだろうけど……何か、気持ち悪いな)
嫌悪感と好奇心を天秤にかけた結果、思い切って触れてみると刺すような痛みを感じたのですぐに手を引っ込めた。溶解性のある液体のようだ。
恐らくこの液体が壁や地面を溶かして穴を開けたのだろう。しかし、誰がなんのために?
いろいろと推論に推論を重ねながら今度は穴の手前を観察する。"誰か"がこの辺りにあった"何か"を溶かそうとして、勢い余って下への道を開通させてしまったとすれば。
「……あった」
穴の手前にある地面をつぶさに観察してみると、同じく何かに溶かされたように凹んだ地面の上に少しだけ根っこが残っていた。黒い根っこ。黒スズランだ。ここもまた群生地の1つだったのだ。
"何か"は判明した。次は"誰が"だ。
どこぞの悪徳冒険者が強力な酸を振り撒いてここまでに咲いていた黒スズランをすべて枯らしたとは考え難い。そんなことをするぐらいなら摘み取って売り払った方が儲かるのだから。
魔物の仕業だというのなら、溶かすことは目的ではなく手段である可能性が高い。溶かしてドロドロになったものを食べるか、吸収する生態なのだろう。
黒スズランは端っこに1輪だけ残っていた。大雑把に食べて満足したのか、後で食べるために取っておいたのか。どちらにせよここはそいつの縄張りだ。
俺は全身から血の気が引いていくのを感じていた。
……俺たちはこのダンジョンに入ってからというもの、魔物に遭遇することなく探索を進めてきたが、それは遭遇しなかったのではなくて単に俺たちが見落としていただけではないのか?
毒トカゲをはじめとする既知の魔物たちが姿を消しているのは、もしかすると何でも溶かすそいつによって残らず食べ尽されてしまったからなのでは……
「ソウタ、採集終わったよ。みんなのところに戻ろう」
プリムラの声に俺は振り返
「プリムラ、こっちに来るんだ」
「え?」
「早く!」
「何──わっ!」
俺たちに最も近い場所の毒溜まりが、重力に逆らって大きく盛り上がっていた。
そいつは毒液を体のてっぺんから滴らせながら、極めて緩慢な動きで毒溜まりから這い出てきた。
手も、足も、頭も、目も耳も口も、およそ生物に必要な器官を何1つ有していないそいつは、半透明の体を身震いさせると地面の上を滑るように近付いてくる。
捕食するために。溶かして食べて自らの一部とするために。
青ざめるプリムラを背中の後ろに隠しながら、俺はこのブヨブヨした不定形の塊と対峙する。
「剣と魔法の世界なんだから、こいつがいないはずないよな……」
俺のいた世界における魔物の代表種。ファンタジー世界の看板娘。スライムが襲い掛かってきた。
スライムがその体を左右に大きく伸ばし、俺たちの逃げ道を塞ぐようにしながらじわじわと距離を詰めてくる。
その動き自体は亀のように鈍重。プリムラを抱えて脇をすり抜けること自体は難しくないだろう。こいつ1体だけであったのなら。
「ゲッ!?こっちにもヤバいのが出てきやがったぞ」
触腕を広げるスライムの後ろで液体が地面に飛び散るような音が続々と聞こえてくる。それは毒溜まりからこいつが出てきた時と同じ音だった。
「2人とも気を付けて!このスライム、全部そっちに向かってるわ!」
「言われなくても分かってるよ。何せ向こうが透けて見えてるんだからな……」
声を張り上げるリンに俺は引きつった笑顔で軽口を返す。正面にいるスライムの奥にいるスライムの更に奥にスライムがいてその奥に……もう数えるのも面倒だった。
辺り一面にひしめき合うスライムの群れが壁を形成して俺とプリムラに迫ってくる。隙間なんて1ミリも存在しなかった。
「こんなにいっぱい隠れてたんだ……」
「盲点だったな。毒溜まりの中に潜む魔物がいるとは思わなかった」
少なくとも俺は"悪魔の胃袋"にスライムがいるなんて話は聞いたことがなかったし、反応を見る限り他の皆も同様だろう。
だからといってそんなことは有り得ないとは言い切れない。ダンジョンは人間の管理が行き届くことのない魔の領域なのだから。
「プリムラ、頼めるか?スライム相手だと俺にはどうしようもない」
「そ、そうだね。ぼーっとしててごめんね。ちょっと待ってて」
大量のスライムにしばし圧倒されていたプリムラだが、彼女は俺が声をかけるとすぐに我に返って詠唱の準備に取り掛かった。
武闘家である俺の攻撃手段は今のところ近接攻撃だけだ。気功術の中には高めた魔力を撃ち出すような技も存在するのだが、生憎魔力を外に出せない俺には使えない。
弾力性のありそうな体を持つスライムを殴ったり蹴ったりしてもダメージを与えられるとは思えない。おまけに溶解液まで持っているときた。向こう側にいるリンたちも攻めあぐねているようだった。
やはり液体生物であるこいつらはプリムラの火球で蒸発させるのが1番だと考えた俺は彼女に任せることにした。
せっかくの初クエストで活躍できないのは残念だったが、適材適所というやつだ。
「『炎よ。天の──』」
俺はプリムラが俺の1歩前に進み出て杖を高く掲げるさまを固唾を飲んで見守っていた。
壁際に追いやられているといってもスライムたちとの距離はまだ数メートルあった。連中の速度を考えればプリムラの詠唱が終わる方が先だ。
包囲に穴が開いたらすぐに仲間と合流してダンジョンを脱出する。シミュレートは完璧だった。
……だが、そういう時に限って予想外の事態というのは起こるものなのだ。
天井から一滴の水が滴り落ちてくる。プリムラのすぐ傍に落ちたそれは地面の上で弾け飛沫となって彼女の靴を濡らし……そして炭酸が泡立つような音を立ててその表面を溶かした。
「『我が手に──』、え?」
プリムラが唖然とした声を上げる。見ればプリムラの杖が根元の部分を残して綺麗さっぱり消え失せていた。触媒としての機能を失った杖は無情にも魔術を発動させるために蓄えられていた魔力を霧散させてしまう。
杖は消えたのではない。上から音もなく降りてきた、蛇のように長い触腕に絡め取られ、そいつが分泌する体液によって溶かされてしまったのだ。
「プリムラ、下がれ!」
「わ、わ、あっ──きゃあっ!」
間一髪だった。先ほどまでプリムラが立っていた場所にスライムの本体が落ちてきたのだ。
プリムラは俺の警告に反応して杖を捨てて飛び退いたまでは良かったが、運の悪いことに彼女の後方にはスライムが開けた下層への穴が口を開けていた。
そのまま足を滑らせて落ちていくプリムラ。彼女を追って急いで穴の縁に足を掛ける。俺1人ではスライムたちの囲みを破ることは不可能だし、何より彼女が心配だった。
「みんな!ここは1度逃げてくれ!後で落ち合おう!」
スライム相手に打つ手もなく向こう側で立ち往生している仲間たちに向かって最後にそう言うと、俺は穴の奥へと身を投じていった。




