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探索を始めてからかなりの時間が経過した。進むにつれ地面に広がる毒溜まりの数は増えていき、今では床の3割近くを占めるようになっていた。それに比例して、辺りに満ちている黄煙もより一層濃度を増している。
学園の資料には揮発した毒に原液ほどの毒性はないと書いていたが、それでも長時間吸い続ければ体調を崩す者も出てくるだろう。パーティの中にも顔色の優れない者が目立ち始めていた。
「結構歩いたな……。今は何時くらいなんだろう」
「『星よ。我らが母よ。その輝きを示せ』、……。ええっと、太陽の傾きがこれくらいだから……、5時頃かな。もう2時間以上は経ってるね」
詠唱を終えたナギアの目の前にお椀をひっくり返したような半球状の膜が形成される。膜の表面には一際赤く輝く光点がじわじわとその高度を下げている様子が投影されていた。
はじめて見る魔術だが、おそらくこの光は太陽の位置を表しているのだろう。クリシュカでは外出時に携帯できるほど時計の小型化が進んでいないので、ダンジョンの中で現在時刻を知るのも一苦労なのだ。
「もうそんなに経ってるのかよ。道理で嗅覚が完全にイカれるわけだぜ。もう何も臭わねえ」
「なかなか見つからないね、黒スズラン。もっと奥に行かないと駄目なのかな?」
見通しの悪い洞窟を注意深く観察しながら捜索を続ける俺たちだったが、かなり奥まで進んでいるにも関わらず1輪の花さえも発見することができずにいた。
一面に広がる光景は瘴気の紫と煙の黄色と毒溜まりの虹色ばかりなので、その中に黒い物があれば必然的に目立つはずだ。俺だけならともかく全員が見落としてしまうというのは考えにくかった。
「リン、黒スズランってそんなに奥にあるのか?」
「学園の資料には入って30分ぐらいの場所に最初の群生地があるって書いてたんだけど……歩みが遅いとはいえ、もうとっくに通り過ぎてるはずよね」
30分。単純計算して4倍の距離を歩いていたことになる。
いくら黒スズランが高値で取引されているといってもこんなに奥まで来る冒険者はほとんどいないはずだ。そろそろ1つぐらい見つかっても良さそうなものだが。
さすがにリンもこの状況に違和感を覚え始めているようで、洞窟内に何か変わった点がないかと左右に目を走らせていた。
しかし、それでも俺たちの周囲には異臭を醸す毒溜まり以外に何も──
「……そういえばここまで1度も魔物に遭遇しなかったな」
"悪魔の胃袋"にはゴブリンやガルムのような一般的な魔物こそ存在しないが、毒トカゲの他にも毒に耐性を持つ魔物が何種類か生息していると聞いていた。
だというのに俺たちはそいつらを見かけることもなくここまで来ることができた。できてしまった。
いくらなんでも異常すぎる。ここはダンジョンだ。奥に進めば進むほど、凶悪な魔物が次々と現れる方がむしろ当たり前だ。
とても嫌な感じがした。探索自体には何の障害もないのだが、それが逆に俺の不安を煽っていた。
このまま黒スズランを求めて前進し続ける行為が取り返しのつかない事態を招いてしまうんじゃないか──そう思った俺は作戦会議を開くことを提案した。
「みんな、この辺で一旦休憩しないか?この環境でいつも以上に疲れてる人もいるだろうし、今後の方針を話し合うためにも休んでおいた方がいいと思う」
「あ、私も賛成。臭いもそうだけど、湿度が高くてムワッとしてるよね。髪がベトベトになっちゃった」
「俺はまだいけるんだが……まあ、今日はお前らに合わせてやるよ。戦闘は得意なんだが探し物なんてみみっちいのは苦手だしな」
強がってはいるが、アキュートもかなり疲弊しているようだ。コートの裾をはためかせて流れ出る汗を冷やしていた。
これ以上の強行軍はさすがに無茶だという方向で意見が一致した俺たちは、比較的毒溜まりから離れた場所を見つけると、そこになめし革のシートを敷いた。
シートは全員が余裕を持ってくつろげるほどの大きさではなかったが、毒を蓄えていそうな地面に直に座るよりはいくらかマシだった。
俺は額に溜まった汗を拭うとシートに腰を下ろす。俺の隣に並んだプリムラもスカートから花柄のハンカチを取り出して顔の汗を拭いていた。
……常々気になっているのだが、スカートのポケットっていったいどの部分に存在するんだろうか?
興味は尽きないが体育座りになっているプリムラのスカートに目をやると必然的に柔らかそうな太ももとかその根元が見えてしまうので俺は涙を呑んで好奇心を殺した。
「こら、覗いちゃ駄目よ。プリムラは純粋なんだから優しくしてあげて」
「冤罪だよ。それよりどうする?俺としては学園に戻って情報を調べ直すべきだと思うんだけど」
リンに顔を抓られながら俺は早速会議を始めた。
「これだけ歩き回っても見つからないってことはナギアの言ってたようにもう採り尽されてしまったか、俺たちが探し方を間違えてるんだと思う。クエストの期限はまだ先なんだし、焦る必要はないさ」
「僕もそう思う。それに、このダンジョンは何かがおかしい。何時間も歩き続けてるのに一度も魔物に出会わないなんて異常だよ。こういう時は先生たちにも相談して意見を仰いだ方がいい」
「ダンジョン自体は資料とそれほど違いがあるようには思えないけど……。でも、確かに妙な感じはするわね。軽はずみな行動でパーティ全員を危険に晒すわけにはいかないわ」
慎重派のナギアと仲間の安全を優先する気質のリンは俺の意見に賛同してくれた。一方、残りの2人は探索継続を希望した。
「せっかくここまで来たんだし、もうちょっとだけ先に行ってみない?もしかしたらすぐそこまで来てるのかもしれないし、依頼してくれたお医者さんも早く薬の材料が欲しいはずだし……」
「魔物も全然見当たらねえんだし今がチャンスに決まってんだろ。流れに乗ってるんだよ俺たちは」
2人の言うことにも一理ある。今日魔物がいなかったからといって明日もいないとは限らないのだ。
ここまでの道中で目を皿のようにしても発見できなかった黒スズランが日を改めると突然生えてくるはずもなく、どのみち今いる場所より奥まで進むことになる。
どうせなら今日のうちに距離を稼いでおおよその目星ぐらいは付けておきたいと考えるのは自然なことだった。
「2人とも無謀すぎるよ。ダンジョンは奥に行くほど危険度が増すんだから、ホイホイ進んで帰れなくなったらどうするんだい?
先生たちのいない探索は今日がはじめてなんだから、経験を積むまでは安全重視で行くべきだよ」
「俺はいけるってさっきも言っただろうが。ただ歩いてるだけなんだからこちとら戦闘る気は有り余ってるんだよ。それともお前はもうグロッキーか?」
「ッ……、あまり舐めないでもらいたいね。この程度の距離でへばってなんかいないさ」
シートの上で胡坐をかいているアキュートと威勢よく立ち上がったナギアの間で火花が散る。
アキュートの指摘通りナギアの足は疲労で震えていたし、休憩をとる前はかなり顔色が悪そうだった。
当初に比べるとマシにはなっているものの体力不足という欠点を彼は未だ克服できていないのだろう。
「私も魔術使ってないから魔力満タンだし、もし魔物が出てきてもへっちゃらだよ。それより今帰っちゃう方がもったいないよ絶対」
「そうは言ってもな……」
この流れはホラー映画の導入部分に酷似していた。
曰くありげな廃屋に訪れた無謀な少年少女たちは、若さゆえの勢いに任せてどんどん奥へと立ち入っていく。そして彼らが容易く引き返せないほど入り込んでしまった後に惨劇が始まるのだ。
形のない不安が拭えない俺をよそに会議は進行していく。先に折れたのはリンだった。
「お願い!あとちょっとだけ付き合って!」
「はぁ……仕方ないわね。あと少しだけ進んで、それでも見つからなかったら大人しく帰る。延長もなし。それでいいかしら?」
「うん。我儘言ってごめんね」
「その辺が落としどころか。しゃーねえな」
リンが妥協案を出したことで進軍票が3となり、俺たちはシートを畳んで再び歩き始めた。
アキュートの発言を気にしているのか、意識して先ほどより大股で歩いているナギアが少し気になって、俺はプリムラに断りを入れてから前を進むナギアに追いついた。
「さっきのはあまり気にするなよ。アキュートもそれほど悪気があったわけじゃない」
「あいつが頭に浮かんだ言葉を咀嚼せずに吐き出す馬鹿だってことは分かってるよ。深い意味なんかないってこともね。……それでも、僕はあいつにだけは負けたくないんだ」
ナギアの目は対抗心に燃えていた。2人の関係は水と油だと知っていたが、どうにも腑に落ちない。
皮肉屋ではあるが理性的な性格のナギアがここまで感情的になるほどの理由があるのだろうか?




