4-1
「──というわけで、神聖帝国は闇エルフを駆逐し、ついにこの大陸の覇者となったのじゃ。ここまでで質問はあるかの?」
板書を終えたエルフ族の老人が教壇の上から1-1の生徒たちを見渡していた。
彼の名はビリオーズ。このヴィエッタ学園の最高責任者、つまり学園長である。
齢千年を超えるこの薄毛の老人は、若人に人類種の歩みを伝えることこそが自らの使命と自認しているらしく、多忙を極める学園長職に就きながら歴史の授業をも受け持っていた。
俺もこの人の授業は嫌いではない。歴史の生き証人だけあって授業内容は分かりやすいし、異世界の歴史はどれも俺にとって目新しいものばかりで興味は尽きなかった。
だが、今の俺は学園長の授業よりも気にするべき事柄で頭が一杯だった。それは他の生徒たちも同様で、4時限目という本日最後の授業を迎えた教室の中はどこか浮足立った空気に包まれていた。
「やれやれ……。毎度のことじゃが、この時期になるとまるで授業にならんの」
学園長は揃って上の空な様子の俺たちを見て苦笑すると、深緑色をした外套の中に教科書を仕舞った。
「さて、おそらくあと数分で正午の鐘が鳴る。それで諸君らの待ち望んだ時が訪れるわけじゃが……その前に注意事項がある」
既に中腰になってスタートダッシュの準備をしていたアキュートをジロリと睨みつけると、学園長は杖代わりにしていたステッキで床を2度叩き、全員に注目を促した。
「探索に関して儂から言えることは何もない。儂らがどうにもできなかったからこそ諸君ら冒険者にダンジョンの攻略を任せているのじゃからな。
ただ1つ老婆心から言わせてもらうなら、過信は禁物ということを心に留め置いて欲しい」
100年前のダンジョン発見直後、国じゅうの騎士や軍人、英雄と呼ばれる者たちがダンジョンを制覇し魔物たちを撃滅せしめんと地上から旅立っていった。
だが、そのほとんどは無尽蔵に沸く魔物たちによって帰らぬ人となるか、薬も食料も尽きてほうほうのていで逃げ帰るかのどちらかだった。
これから俺たちが挑むのは、そういう場所なのだ。
「ダンジョンは人類にとって未知の領域じゃ。たとえ探索され尽した場所でも何が起こるのか分からん。くれぐれも、見誤ることのないようにな」
それは教師から生徒への言葉というよりも、かつてダンジョンに挑み、そして敗北した1人の老兵としての言葉だった。
俺はその言葉を深く心に刻んで、静かに正午の鐘を待った。
そして、ついにその時が来た。
今日で1期生が入学してからちょうど1か月が経過した。つまり、俺たち冒険学部の生徒が待ちに待った自由探索の解禁日なのだ。
「それでは、今日の授業はこれにて終了じゃ。気を付けて探索に行ってくるといい」
学園長の言葉をすべて聞き終えないうちに大半の生徒が慌ただしく教室を出て行った。真面目に座っていた俺は完全に出遅れた。
というか、もう教室には学園長と俺以外に誰も……と思ったらマナが椅子に引っ掛かって転んでいた。
「あぁぁぁ……これもう絶対間に合わないですよ。私が着く頃には『巨大蜘蛛の卵を取ってきて!』みたいなロクでもないクエストしか残ってない流れじゃないですか……」
「慌てすぎだろ。いや、気持ちはわかるけどさ」
床の上でべそをかいているマナを助け起こしていると、学園長が優しげな視線を俺たちに向けていた。
「この時期に珍しく落ち着き払っている生徒がおると思えば、君じゃったか。どうやらエカテリーナの目に狂いはなかったようじゃな」
「焦らなくてもダンジョンは逃げませんからね」
本当はクエストとは別の意味でそわそわしていたうえ、結果的に走り出すタイミングを逃しただけだったのだが、学部長のためにもここはしらばっくれておくことにした。
「みんな馬鹿だよね。どうせ向こうでクエスト内容を吟味しなきゃならないんだから、たった数秒を惜しんでも意味ないってのにさ」
「ナギアも行かなかったのか。意外……でもないか」
隣の席を見ると、ナギアはいつものように読書に耽っていた。今日は冒険者ギルドのある食堂付近がクエスト目当ての生徒で混雑することを見越していたのだろう、机の横には香ばしい匂いを放つ紙袋が掛かっていた。
確かに小柄で体力のないナギアではクラスメートたちを強引に押し退けて進むなんてことはできないだろうし、彼はそういうことをしそうな性格でもなかった。
ダンジョン実習を重ねていくうちに気付いたのだが、ナギアは探索という行為に消極的なのだ。
実習そのものは真面目に取り組んでいるものの、彼の興味は魔物にもダンジョンにも向いていないのがありありと見て取れた。
「もしかしてナギアって探索が苦手なのか?」
気になった俺はストレートに聞いてみた。理論派の彼には回りくどい言い方をするよりもこちらの方が効果的だろう。
ナギアは「苦手ってわけじゃないけど」とそっけなく答えると、本を閉じて俺の方に体を向けた。
「単に興味が沸かないんだよ。元々僕は魔術を学びたかっただけだし」
「冒険学部で、魔術を?」
意外な答えだった。冒険学部では魔術系の学科が数多く存在するが、それはあくまで魔物と戦うための手段だ。それ自体が目的ではない。
魔術そのものを学びたいのなら、もっと相応しい場所があるのではないだろうか。剣と魔法の世界なんだから、魔術師ギルドとか探せばありそうなものだが。
しかしナギアによるとそんなものはないようだった。少なくともクリシュカには。
「クリシュカってね、魔術後進国なんだ。魔術師の数も、技術も、他の国よりずっと劣ってる。まともに魔術を学べる場所はヴィエッタ学園しかないんだ」
「え?てっきりダンジョン攻略のために魔術に力を入れてるのかと」
「そうしたいのは山々なのじゃがな。そのためのノウハウも、有能な人材もクリシュカにはほとんどおらぬのじゃよ。エカテリーナもメリッサも元は国外の者じゃ」
いつの間にか教室の後ろまで来ていた学園長が話に割り込んできた。
魔法の存在しない世界から来た俺にはよく分からないが、現地の人々が遅れていると言うのなら、そうなのだろう。
とはいえ学園長の前でダンジョン探索に興味ないなんて言っても大丈夫なのだろうか?
探索についてのありがたいお言葉を聞いた直後にこんな話をしているとナギアが説教を食らうんじゃないかと心配だったが、学園長が気を悪くした様子はなかった。
「いいのじゃよ、目的など人それぞれじゃ。自由と自立こそが冒険学部なのじゃからな」
「そういうものですか」
「そういうものじゃ。そして君もな」
「俺?」
いきなり自分に話が回ってきた。冒険学部のモットーと俺がいったいどう関係するのだろうか。
「君はいずれ冒険者になる。それは喜ばしいことであるし我々もそれを望んでおる。
……じゃが、それは決して強制されるものではない。君がこれからどこへ向かうのか、それを決めるのは君自身なのじゃよ」
「……分かっています」
学園長は既に俺の心の内を見透かしているのかもしれない。そうでありながら自分の都合を押し付けることなく俺の意思を尊重してくれたのだとしたら、それはとてもありがたいことだった。
俺は、冒険者になる。だが、その前にやらねばならないことがあるのだ。




