3-11
「お見事ですソウタさん!すぐに手当てをしますから動かないで待っていてください!」
「ソウタさん!ご無……ぐえっ!」
セイレンが声を張り上げながら崖から降りてくる。ユニはまた米俵のように担がれていた。ユニ1人では高い崖を自由に上り下りできないとはいえ、もう彼女の中でユニは手荷物扱いになっていた。
ユニの声は着地の際の急激な重力負荷によって途切れてしまったが、無事を喜んでくれているのは間違いないと思う。
「うむ、見事であった。さすが私の見込んだ男子よ」
いつの間に降りていたのか、しれっとした顔で俺の傍に歩いてくるラオフー先生は両の頬に傷をこさえていた。片方は赤い手形の痕が残る程度で済んでいたが、もう片方は内出血で真っ青に腫れあがっていた。
今回の無茶振りに関しては俺も憤懣やる方なかったのだが、もう先生の顔面に俺のスペースは残っていないようだ。俺の偽らざる気持ちを代弁してくれた2人の友人に感謝しつつ握りしめていた拳を緩めることにした。
「ラオフー先生、気功術のご教授ありがとうございました」
そもそも気功術の存在を最初に教えてくれたのはセイレンだし有用なアドバイスをしてくれたのもユニとセイレンだしラオフー先生はフワフワした精神論を振りかざして傍観していただけだったが、それでも彼がいなければ未だにこの世界で戦うための力を得ることは叶わなかっただろう。
メイド学科に連れ込まれたり魔法が使えないと判明して落ち込んだりと、この2日間ひたすら回り道を重ねてきた俺は最後の最後でようやく当初の目的を果たすことができたのだ。
「酷い傷……ここでは止血と消毒だけに留めて、学園で本格的な治療を受けるしかありませんね。
……ごめんなさい、やっぱりあの時師範に背いてでも助けに入るべきでした」
「危うく死ぬところだったのは否定しないけど、土壇場で気功術は覚えられたんだしそんなに気にしなくていいさ」
「いいえ、まだちゃんとした教えを受けていないと分かった時点で止めなかった私の責任です。本当に、申し訳ありませんでした……!」
泣きそうな顔で謝罪の言葉を口にするセイレンに笑顔を返す。
実際傷はかなり深かったが、ラオフー先生に止められたとは言え一応助けようとしてくれたことはありがたかったので恨みつらみを言うつもりはなかった。
セイレンはボロボロになった俺の服を脱がせると包帯を巻いてくれた。その慣れた手つきを見る限り、格闘学科では今回のようなことが日常茶飯事なのだろう。
ろくでもない学科に目をつけられてしまったものだが、リスクに見合うだけの収穫はあったので、萎縮するセイレンにもう1度声をかけようとして……そいつに気付いた。
「やっぱり覚えたての1発だけじゃ倒せないか」
壁際で倒れていたガルムが、体を震わせながら起き上がって俺たちを見ていた。
すぐに襲い掛かってくるようには見えない。こちらの数が増えたこと、手痛い反撃を食らったことで自分が一方的な捕食者にはなれないと悟ったガルムは受動的な態度に変化していた。
自分から仕掛けることはないが、こちらの対応次第では命を懸けて戦う。そんな不退転の覚悟が漂っていた。こいつのバイタリティには本当に感服する。
「まだ息があるか……さすが魔物よな。ならばソウタよ、分かっておるな」
「はい」
俺はラオフー先生の言わんとすることを正しく理解し、微動だにせず警戒を続けるガルムに向かって……パンを投げた。
「うむ……?ソウタよ、それは何だ?」
「パンです。昼食に食べようと思ってたんですが、結局その機会がなくて」
「いや、そういうことではなくだな」
何を血迷ったのか敵に塩を送り始めた俺を見て他の皆は呆気に取られていた。
俺以外誰もこの行動の意図を理解していなかった。それはガルムも同様で、ガルムは不思議そうな目で俺とパンを見比べていた。
俺は、ただ待った。
そして待つこと数秒、ガルムは地面に転がっているパンの匂いを嗅ぎ、咥え、そして飲み込むと、俺たちに背を向けて弱々しい足取りで去っていった。
完全に足音が聞こえなくなった後、セイレンの後ろに隠れていたユニが、ガルムの抜けていった小道を恐る恐る確認しに行った。
「ガルム、行っちゃいましたけど……良かったんでしょうか?もしかしたらまた人を襲うかもしれませんよ」
「飢えるまでずっとこの荒れ地で迷ってたんだ。きっと出られないさ」
そう。どのみちあのガルムは死ぬ。だから俺の行動には何の意味もない。ただ、意図があっただけだ。
半分はラオフー先生の言う通りにするのが癪だったからだ。これだけ振り回されて危険な目に遭ったのだから少しぐらいお返しをしてもいいだろう。
もう半分は同情だった。あのガルムがどんな半生を生きてきたのか知らないが、ここに来てからの彼はずっと独りで、食べるものもなくさ迷い続けていたのだろう。
魔物とはいえ、そんな孤独を味わいながらも懸命に生き続けてきたガルムが俺たちの個人的な事情だけでその一生を終えてしまうことに、俺は言いようのない虚しさを感じてしまったのだ。
はっきり言ってしまうと、俺はガルムに自分を重ねていた。だからこんな意味不明な行動を取ったのだ。
「最近ちょっとセンチな気分になりすぎじゃないのか、俺?」
新しい居場所と、知り合って日は浅いが信頼の置ける友人と、やりがいのある目標まで得られて、これ以上ないほど恵まれているというのに。
何か、大切なものを置き去りにしている気がしてならないのだ。
それが焦燥感の正体だった。
少なくとも今の俺は、あのガルムのようにひたむきに生き抜いているとはもう言えなかった。
学園に戻った俺はすぐに医務室に運び込まれた。
冒険学部に医務室は2つある。1つは校舎内にあり、いくつかのベッドと簡単な応急処置をする道具があるだけの、いわば"保健室"のようなもの。
そしてもう1つは、学生寮の隣に建てられた教会の中にある"病院"といっても差し支えのないような医療機関である。
薬や魔法による治療はもちろん、外科手術まで可能な設備を備えた先進的な施設であり、時には外部から患者が運び込まれてくることもあるという。
命懸けで日々魔物と戦う冒険学部の性質上、医務室といえば主に教会の方を指す。俺が運び込まれたのもそちらだった。
治療してくれたシスター曰く、肩の怪我は相当なものだったらしい。あと数時間遅かったら左腕に血液が行き渡らず壊死してしまう可能性もあったと言っていた。
自分でも多少はヤバいんじゃないかという認識はあったので、帰り道を歩いている時に魔力を集中させて治癒力を高めようとしていたのだが、付け焼刃の気功術では大して意味がないのか、みるみるうちに傷が塞がったりはしなかった。
「『お救いください、生に縋る我々をどうかお許し下さい』……はい、これで治療は終了です。ですが激しい運動はしばらく厳禁ですよ」
シスターは胸の前で組んでいた指を解くと肩の包帯を新しいものに替えていく。背中の方の傷はもう完全に消えていた。
これが学部長の言っていた神聖魔法というやつなのだろう。白魔術とどのような違いがあるのかは知らないが、少なくともナギアの白魔術よりその効果は高かった。
「ありがとうございますシスター。でも、運動が駄目ってことはやっぱりダンジョン実習もですか?体感的にはさっきの魔法で完治したような気分なんですけど」
「冒険者の方は揃って同じことを言うのですね。傷が癒えたといってもそれは表面上だけのことです。無理に動いて、内部の体組織が炎症を起こしてしまう可能性もあるのですよ」
ほんわかと心地よい暖かさを伴っている左腕はもういつも通りの感覚を取り戻していたが、シスターは穏やかな表情で俺を窘めた。
「あなたたち学園生が1日1日を大切にしているのは分かっています。ですが、急ぐあまり自らの命を危険に晒すようなことを許容するわけにはいきません。
……命もまた、1つしかないのですから」
シスターは俺をベッドに寝かせると「何かあればベルを鳴らしてください」と言い残して衝立の向こうに消えていった。
隠れてしまった彼女と入れ替わるように部屋の外で待っていたユニとセイレンがやってきた。
2人の後ろにもう1人、毛皮のコートを着たワイルドな感じの男が立っていたが、その顔に見覚えはなかった。病室に他の患者はいないので、彼も俺に用があるのだと思うが……。
「ソウタさん、怪我は大丈夫ですか?僕もう心配で心配で……」
「しばらくは安静にしないといけないけど、後遺症が残るようなものじゃないから。
……ところで、そっちの人は?」
半泣きのユニを落ち着かせると、俺は後ろで所在なさげに頭を掻いている見知らぬ男に顔を向ける。男はようやく自分の用件が回ってきたことに安堵すると、ぶっきらぼうに告げた。
「あのガルム、俺が世話してやるよ」
「…………へ?」
あまりにも余計な単語を省略しすぎた発言は俺を混乱させた。ガルムというのが先ほど戦ったあいつだというのは理解できた。だが世話とは?というかなぜ?
「この方はですね、魔物使い学科の生徒さんなんです。私が話をしたら、ちょうどいいから飼ってやると」
成り行きが呑み込めていない俺にセイレンが補足をしてくれた。この男はセイレンが連れてきたらしい。
魔物使い学科。その名の通り、魔物を手懐けてその力を借りる技術を教えている学科である。言われてみれば、男の首には魔物に指示を飛ばす際に使うと思しき呼子笛のようなものが提げられていた。
「話を聞く限りじゃそれほど人間に敵意がありそうには思えなかったからな。俺もそろそろ自分専用の相棒が欲しいと思ってたところだし気にすんな」
男は目を逸らしながら照れ臭そうに言った。どうもこの男は人見知りするタイプのようだ。彼は話を終えるとそそくさと後ろに下がった。
「……セイレン、いったいどういう風の吹き回しなんだ?」
彼がここに来た意味は分かった。分からないのは、なぜセイレンがわざわざガルムの世話を頼む必要があったのかという点だった。
ガルムに妙なシンパシーを感じていた俺ならいざ知らず、セイレンがたった1匹の魔物にそこまでしてやる理由がない。
俺はベッドの前でやや緊張気味に気を付けの姿勢を崩さないでいるセイレンに顔を向けた。
「どういうことも何も……ソウタさん、あのガルムのことを気にしていましたから。あのまま放置するよりも誰かに飼われて人を襲わないようになってくれた方がいいかなと思いまして。
……それに、これは私なりの罪滅ぼしでもあるんです」
「罪滅ぼし?」
「はい。今回のことは私の危機感のなさが招いた失態です。
今までにも怪我をして格闘学科を抜けてしまった人はいたんですけど、こんなに酷い怪我をした人なんてはじめてで……。
気が抜けていたんだと思います。何とかなるって、今回も大丈夫だろうって。
ですから、そんな半人前の自分を戒めるためにもソウタさんに何かお返しできることがあれば……と」
「だからそれはもう気にしなくていいって。結果オーライってことでいいだろ」
「いいえ、それでは筋が通りません!」
興奮したセイレンが壁を叩く。部屋が揺れる。衝立の向こうから顔を出したシスターが非難がましい目を向けてきた。
俺的にはもう終わったことなのでどうでもいいのだが、セイレンはまるで納得していなかった。というか、なぜ俺が怒られているような空気になっているのだろう?
何にせよこのまま問答を続けてもセイレンが折れることはなさそうだ。なら、俺の方が折れるしかない。
「それじゃあさ、俺に気功術の稽古をつけてくれないか?」
「稽古、ですか?それはもちろん……でも、どうして師範ではなく私に?」
そんなことは決まっている。命を守るためだ。
セイレンの中ではラオフー先生は偉大な指導者なのだろう。だが俺がこの先も格闘学科において彼の授業という名の拷問を受け続けていたら間違いなく死ぬ。
むしろセイレンの方が教えを仰ぐに相応しいのではないかと俺は思い始めていた。説明は分かりやすいし、少々ズレているところはあるがラオフー先生よりもずっと安全を重視している。
とはいえそれをストレートに言ってしまうとセイレンを傷つけそうなので、俺は遠回しな方法で彼女を説得することにした。
「今日気付いたんだけど、セイレンの教え方って凄く俺に合ってるんだ。相性がいいっていうのかな」
「相性がいい……ですか?」
「それにほら、ラオフー先生って気難しそうっていうかさ、ちょっと近寄り難いところがあるだろ?
だから親しみやすいセイレンに教えてもらえたら、弟弟子としては嬉しいかなって」
「弟弟子……」
「どうかな?」
「な、なるほど……。そこまでおっしゃるのであれば。このスイレン、姉弟子として、手取り足取りソウタさんに教えて差し上げましょう!」
セイレンは真っ赤な頬を抑えながら嬉しそうにしていた。俺のゴマすり作戦は効を奏した。やはり女性は褒めろという一般論は万国共通だった。
これで俺は死の危険から逃れつつ安全に気功術の研鑽ができるようになったのだ。助かった……。
……と、密かに安堵した俺を不意打ちするように、今度は病室のドアがいきなり大きな音を立てて開け放たれた。
魔物か何かが襲撃でもしてきたのかと一瞬飛び上がりそうになったが、そこにいたのは魔物でも野盗の類でもなかった。
「が、学部長!?どうしたんですか?」
「どうしたは私の台詞です!大丈夫ですかソウタ、怪我の程度は?後遺症はありませんか?これは何本に見えます?」
全然大丈夫ではないエカテリーナ学部長がユニとセイレンを押しのけて俺のベッドまで走ってきた。いつもと違う切迫した雰囲気に2人は目を丸くしていた。
「落ち着いてください学部長。怪我はもうほとんど治りましたし意識もはっきりしてますから、まず深呼吸してください」
「え。ええ……。すみません、少し取り乱しましたね」
少しどころではなかったが、ようやく自分の状態を客観的に見ることができるようになった彼女は呼吸を落ち着けて乱れた髪を整えると、なんと深々と頭を下げ始めたのだ。これには俺も目を丸くした。
「あの、学部長?これはどういう……」
「ごめんなさい。貴方が魔術師になれないことをそれほど気に病んでいたとは気付きませんでした」
「あ、メリッサ先生から聞いたんですか?それについてはガッカリしましたけど、別に気に病んでいたということは」
「良かれと思って魔術を薦めたことが知らず知らずのうちに貴方にプレッシャーをかけていたのですね。
本当に……本当にごめんなさい……!まさかラオフーに頼るほど思い悩んでいたなんて……」
「……あー、そういうことですか」
要するに学部長の中では、魔術系学科への道を断たれ精神的に追い詰められた俺がラオフー先生の甘言に引っかかって格闘学科に入ったことになっているのだ。その想像は100%間違いではないのだが……。
この態度から判断ずると、ラオフー先生の授業がアレであることは教職員の間でも有名のようだ。
それでも格闘学科が存続しているのは、厄介なことに時折あの非常識な授業についていけるセイレンのような逸材が出てくるからなのだろう。
俺は悔恨極まった表情で謝罪する学部長を再び落ち着かせて誤解を解くために苦心する羽目になった。
それにしても……俺に対する学部長の入れ込みようは後見人という立場を若干逸脱しているように思えてならない。
昨日のこともそうだが、どうにも彼女は過保護というか、俺に気を遣いすぎているきらいがある。まるで何かの埋め合わせをしているような……
「学部長……もしかして、俺を入学させたことに引け目を感じてるんですか?」
学部長が肩を震わせる。どうやら図星だったようだ。
俺は自分の意志でこの学園に入学したつもりでいたのだが、学部長にしてみれば自由と引き換えに危険な取引に応じざるを得なかったとみなされていたのだ。
彼女は観念したように息を吐くと、申し訳なさそうに体を委縮させながら心の内を語り始めた。
「……私は優れた冒険者を育て、ダンジョンを打ち倒すためにここにいます。クリシュカの未来のため、この人生を捧げることに迷いはありません。
ですが、貴方は違うでしょう。本来なら見ず知らずの土地のために命を懸ける必要はないのですから」
「学部長が責任を感じることはありませんよ。というかお互い納得ずくで入学証書を書いたんじゃないですか」
「責任なら大有りですよ。私は貴方の後見人なのですから、貴方の行動とその結果すべてに責任を持たなければなりません」
「真面目だなぁ……」
「これはけじめですよ。貴方という1人の人間を利用することに対する私なりのけじめです。
……私は、全力で貴方を立派な冒険者に育て上げてみせます。魔物などに殺させてたまるものですか」
学部長はどこまでも真剣で、そして優しい人だった。
そこまでの覚悟をもって俺を見出してくれたことが少し照れくさくて、とても嬉しかった。
俺は、その覚悟に見合うだけの人間になれるのだろうか?
それからも何人かが俺のお見舞いに訪れ、それもひと段落ついた後、俺はベッドでここ数日の間に起こったことを思い返していた。
異世界に飛ばされて、プリムラと出会って、冒険学部に入ることになって、色々な人たちと出会って……
俺は充実していた。かつてないほどに。
だけど。
「けじめ、か」
白い漆喰が塗られた天井をぼんやりと見つめていると、衝立の向こうで事務仕事を終えたシスターが視界の端に映った。
「お悩み事ですか?」
「ええ、まあ。色々とあるんです」
シスターはベッドの隣に小さな丸椅子を持ってくると、そこに腰を下ろして頭巾を脱いだ。少しウエーブのかかったセミロングの銀髪が解放される。
こうして見ると年はかなり若い……というか俺より1つ2つ上といった程度だろう。落ち着いた雰囲気はとても同世代には思えなかった。
目を閉じて、膝の上で両手を重ねたシスターは、何も言わず俺が話し始めるのを待っていた。
「……シスターは、けじめってどういうことだと思いますか?」
根負けした俺はそれだけを呟いた。抽象的すぎるが事情を知らないシスターにすべてを話すわけにはいかない。
シスターは少し思案した後(といってもこの人の表情はほとんど変わらなかったが)はっきりと言い切った。
「私にとっては"目を背けないこと"ですね」
「目を、背けない……」
彼女にとってそれが何を意味するのか分からなかったが、その言葉の重みだけは伝わってきた。
「シスターは凄いですね。自分をしっかり持っている人じゃないと、そんなことは言えませんよ」
「私は凄くなどありませんよ。だからこそ教会に留まっているのですから」
シスターが俺を詮索しなかったように、俺も彼女の事情に深く立ち入ることはなかった。
(けじめ、か)
俺は心の中でもう1度繰り返す。
俺がつけるべきけじめ。そんなのはもうとっくに分かりきっていたのだ。
ただ、前向きになった振りをして目を背けていただけだ。
ユニも、セイレンも、学部長も、ラオフー先生も……この学園にいる人々は皆真剣だ。目指すものや価値観の違いはあれど、誰もが妥協することなく全力で己の進むべき道を邁進し続けている。
ラオフー先生は「人には勝たねばならぬ戦いがある」と言っていた。それと向き合うことが冒険者の資格だというのなら。
俺はまだ宿題を終わらせていない。
本当の意味で前に進めるように。胸を張って彼らの仲間だと言えるように。
俺は、もう1度あの2人に会わなければならないのだ。
**
月明りに照らされた校舎の一室で、2つの影が会話していた。
会話は主に小さい影が話し、大きい影がそれに対して「へえ」とか「そうなんだ」といった相槌を打つ。両者の関係は友人のように気安いものだった。
今日見聞きした出来事を一通り話し終えた小さい影は、いつものように大きい影の感想を待った。もっとも、影といっても彼女には"影"が存在しないのだが。
『──へえ。何それ、その子凄く面白そうじゃない』
大きい影は上機嫌だった。彼女が何にでも面白さを見出すのはいつものことなので小さい影は特に気に留めなかった。
『"英雄"に期待できそうにないと分かったらすぐそれか。移り気だな君は』
『なら破滅主義の英雄様より先にその子の話をしてくれればよかったのに』
『無茶を言うな。……だが、確かにおかしな少年だったな。自分を殺そうとした、会話すらままならん魔物に対して情けをかけるとは。相当平和ボケしている』
『いいじゃない、私優しい子は大好きよ』
『君のそれは豚肉が好きとかの類ではないのか?』
『興味の対象であることに変わりはないでしょう?』
相変わらず人を食ったような態度の彼女に小さい影は肩をすくめた。
『まあ、特殊なニンゲンであることは認めよう。異世界から来たという話もそうだが、まさか魔法すら使えんとはな。どれほど枯れているのだその世界とやらは』
『特殊性、大いに結構。凡庸なニンゲンよりずっと可能性に満ちているわ』
『君はあのラオフーとかいう変人教師が赴任してきた時も似たようなことを言っていただろう』
『あれはひっきりなしに騒動を引き起こしてくれるから面白いって意味よ。その子とは意味合いが違うわ』
『なおさら期待できんと思うがな。あの少年は少し変わっているが、特別何かに秀でているわけでもなし、現状ただの一生徒の域を出ない』
『冒険者に必要なものは力や知恵だけじゃないわ。意外性よ。一見無意味で無価値なことを積み重ねて偶然を必然に変えていく力こそが重要なの』
『ギャンブルで負けの込んだニンゲンはなけなしの金で1番倍率の高い役を狙うらしいが、今の君はまさにそれだな』
『もう何年負け続けてるのか忘れてしまったけどね』
小さい影はやれやれと首を振った。彼女の興味は完全にあの少年に向いてしまったようだ。
『仕方あるまい。君がそう望むなら、しばらくは彼のことを見守ってやるとしよう。どのみち無力な我々には事態を傍観することしかできないのだからな。
……願わくば、彼が君の望みを叶えてくれるといいのだが』
『天にでも祈ってみる?』
『よしてくれ。君がやると天罰が降ってきそうだ』
そう言うと小さい影は窓の隙間から逃げるように飛び出していった。大きい方の影も、いつしか消えていた。
**
3章終了。最後のアレの出番は当分先です。




