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左右に林立する岩盤の隙間を縫うようにして進んだ先にある、大きな岩の陰に俺たちは隠れていた。
辺りは地盤の陥没なのか雨風による浸食か、緩やかなすり鉢状の窪地になっていて、その中心には赤い血の滴る肉片が置かれていた。
あれが市場で買っていたという"授業に必要な物"の正体だった。肉屋で売り物にならないクズ肉を安く譲ってもらったらしい。
「あの肉で何かを誘き寄せるつもりなのは分かるんですが、こんな荒れ地に生き物なんているんですか?」
水場もなく草木すら生えないこの場所にいるものなんて、せいぜい小さな虫やトカゲ程度だろう。ねぐらにするにしても乾いた砂だらけで居心地は悪そうだ。
……と、俺は思っていたのだが、意外と早くお目当ての奴は現れた。
そいつは鼻をヒクヒクさせながら窪地にやってくると、これ見よがしに置かれている肉に向かってまっしぐらに飛びついた。
「あれは……ガルム、か?」
ちょうど今日の授業でイラスト付きの説明を読んだので覚えている。
ガルムとは要するにオオカミの一種だ。クリシュカに生息していたオオカミが魔物と交配を重ねた結果凶暴化したものらしい。
灰色の毛並みを持つガルムは姿形こそただのオオカミだが、大きさは段違いだ。牛のような巨体から繰り出されるパワーはそこらの野生動物とは比べ物にならない。
「数日前、稽古の最中に見つけたんです。きっとここに迷い込んで出られなくなったんですね」
言われてみればガルムはの体はどことなく痩せ細っているような気がする。こんな荒れ地ではあの巨体を維持するだけの獲物など捕れるはずもない。
ガルムはよほど腹が減っていたらしく、周りを警戒することもなく一心不乱に何日ぶりかの食事にかぶりついている。群れからはぐれてたった1匹で不毛の地に幽閉されているガルムの背中にはどこか哀愁が漂っていた。
(こいつは、こんな状況になっても生きることを諦めてないんだな)
俺はどこまでも生きることに対して真摯な姿勢を貫く獣を眺めながら、胸の辺りが嫌にざわつくのを感じていた。
獣如きを相手に何を焦っているんだ、俺は?
俺だって負けていないじゃないか。一人前の冒険者を目指して日々前向きに努力している。
前向きに。前向きに。決して後ろを振り返ることなく。
(……気持ちを切り替えよう。今は修行だ。目の前のことだけに集中しよう)
それにしてもこの状況……俺はかなり嫌な予感がしていた。
1匹だけのガルム。動き回るのにおあつらえ向きの空間。そしてここに連れてこられた理由。
もう答えは分かりきっていたが、俺は一縷の望みに賭けたかった。
「ラオフー先生……まさかとは思いますが、あのガルムと1人で戦って気功術を覚えろって言うんじゃないでしょうね?」
「左様」
「あぁ……やっぱり」
この世界の人間は誰も彼も「とりあえずやってみろ」と俺に言う。言うのはいいが失敗した時のことはちゃんと考えているのだろうか?
「安心するがいい。私とて教師の端くれよ。いよいよもって絶対絶命ともなれば助けに入ろう」
「それ、裏を返せばギリギリまで助けないってことですよね?」
「死地に踏み込んではじめて得られる極意というものがあるのだ。そう考えれば腕の1本や2本安いものよ」
「ま、まあさすがにそうなるまでには助けますから。とにかくソウタさん、ファイトです!」
道理で格闘学科に入った生徒が戦士学科に流れるわけだ。タルカス先生はあくまで生徒の安全を守りながら実戦を体験させていたが、ラオフー先生は死にさえしなければどうとでもなると割り切っている。
俺はようやく噂の真相に辿り着いた。"絶対に受けてはいけない学科"とは……格闘学科だったのだ。
「ソ、ソウタさん……この人たち大丈夫なんですか?」
人命を手拭きナプキン程度にしか考えていないアブナい連中に囲まれてユニは怯えていた。少なくとも一般的なクリシュカ民にとって彼らの価値観は受け入れがたいものらしい。ちょっと安心した。
(どうしようもないな、これは)
この時俺の心に浮かんだのは"どうしよう"ではなかった。なぜならこれからどうするかなんて、もうとっくに決まっていたからだ。
連日のように押し寄せる命の危機が俺の中にある恐怖や不安といった生物的な危険回避機能を著しく摩耗させていた。
もう、なるようになれだ。どのみち明日から地獄のダンジョン実習期間が始まるのだ。ここで死にかけるか、明日から死にかけるかの違いでしかない。
「こういうのにはもう慣れたよ。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ」
俺は岩陰から飛び出してガルムの前に立ちはだかった。たった今食事を終えたばかりのガルムはそれでも空腹を満たしきれていないようで、新しい獲物を見つけたその目は貪欲な輝きを放っていた。
「うむ、よい覚悟だ。それでは見事ガルムを打ち倒して気功術を体得してみせよ!」
ラオフー先生の号令を受け、俺は腰を低くして戦闘態勢に入る。
そして俺の後ろから聞こえてきた「そういえば師範、気功術の具体的なやり方って教えてましたっけ?」という聞き捨てならない台詞と共に戦いは始まった。




