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ようこそ冒険学部へ  作者: 嶋森智也
第3章:クエスト「学科を選択せよ!」
22/298

3-5

 学生寮の横を流れる水路に面した洗濯場で俺と少年は服を洗っていた。


「どうしてこんなことに……」

「あはは、ミスティア先輩は押しの強い人ですから。あ、ソウタさん、使い終わったら石鹸貸してください」


 あの後、メイドさんは俺にマンツーマンでみっちりと家事の手ほどきをすると、「新たな奉仕の徒を求めて」とか何とか意味不明なことを言いながら俺と少年に大量の洗濯物を押し付けてどこかに行ってしまった。

 香ばしい臭いを放っている薄汚れた衣類の山を少年1人に任せて逃げるのも気が引けた俺は仕方なく付き合うことにした。これもメイドさんの計画のうちなのだとしたら恐ろしい。

 あのメイドさんにユニと呼ばれていた少年は、俺から石鹸を受け取ると慣れた手つきでブラシに塗り付けていた。


「器用なんだな。俺の方は石鹸を砕いてるような惨状だよ」

「要は慣れですよ。両親と一緒にお屋敷の住み込みで働いてたので、家事は得意なんです」


 昭和の時代、洗濯機はテレビや冷蔵庫と並んで3種の神器と呼ばれていた。高校の教師からそれを聞いた時は何を大げさなと思ったが、俺は失ってはじめて神器の偉大さを思い知っていた。

 俺はブラシを一際黄ばんでいる部分に擦り付けながらその臭いに顔をしかめる。この、汗が発酵したかのようなチーズ臭さは元の世界でも馴染みがあった。運動部特有のものだ。


「この服、メイド学科のじゃないよな?どうしてこっちで洗濯してるんだ?」

「授業の一環だそうです。うんと汚れてないと練習になりませんからね。小遣い稼ぎにもなりますから悪くはありませんよ」


 さすがにタダではなかったが、よくやるものだと思う。この臭いはかなりキツい。俺の洗い桶に溜まった水は既に真っ黒になっていた。

 ユニの方を見ると、異臭をさして気にした様子もなく上機嫌で道着のような服を揉み洗いしていた。

 彼は道着を洗い桶から出して陽光にかざし、綺麗に汚れが取れたことを確認すると仕上げに水の魔術で石鹸の泡を洗い流し──


「え?魔術、使えるのか?」

「メイド学科の人は大抵学科を掛け持ちして基本的な魔術を覚えますよ。綺麗な水や火種はダンジョンでは貴重ですからね」


 ユニは何ということもないといった風に答えた。

 複数の学科を受けている生徒がいるという話は学部長からも聞いていた。

 魔術を学びつつメイド学科の技術で探索中の生活レベルを向上させたいということなら理解できるが、ユニはむしろメイド学科をメインにしているように見える。

 ……少し、気になった。この少年はいったいなぜメイド学科なんて変てこな学科に入っているのだろう?


「なあ、ユニってさ、他の学科に専念しようとは思わなかったのか?」

「うん?どういうことですか?」

「俺は外国の生まれだからクリシュカの文化はよく知らないけど、普通魔術が使えるならそっちの才能を伸ばそうと考えるものじゃないか?

 メイドが悪いってわけじゃないけどさ、せっかく冒険学部に入ったのに家事の勉強ばっかりっていうのは……」

「言われてみれば変わってますね、僕」


 そう言って笑うと、ユニは仕上げを終えて物干し竿に服を干しに行った。会話が途切れる。

 気を悪くしたのかと思ったが、こちらに戻ってきたユニは「手伝いますよ」と言って俺のノルマに加勢してくれた。

 2人で1つの洗い桶を使いながら無言で黄ばみ汚れを取り続ける。そのうちユニがぽつぽつと事情を語り始めた。


「本当はですね、騎士学部に入りたかったんですよ」

「騎士学部ってことは……冒険者じゃなくて騎士志望だったのか」

「はい。僕が奉公していたお屋敷の主人は軍人の家系で、出入りするお客様も軍や騎士団の方が多かったんです。

 だからでしょうか、宴の席で唄われる英雄譚(ブイリーナ)も、自然と騎士が活躍する類のものばかりで。

 物心がつく頃からそういうのを聞いていたら、やっぱり憧れちゃうじゃないですか。

 何者をも恐れず、何事にも挫けず、恐ろしい魔女(バーバ・ヤガー)やドラゴンたちを打ち倒し、美しい姫君を救い出す……そんな騎士になるのが僕の夢だったんです」


 俺たちのいる洗濯場から水路を挟んだ西側、黒い城壁の先には石造りの堅牢な城塞がその頂を垣間見せていた。あそこが騎士学部の校舎なのだ。

 今でも耳を澄ませると教官らしき野太い声の号令と共に剣戟の音が聞こえてくる。それはどこか遠い世界から流れてきた残響のようだった。


「でも、僕は体も小さいし、頭もそれほど良くないし、何より学費が払えませんでした。騎士学部って要はエリート向けの士官学校ですから」


 俺と話している最中も、ユニは作業の手を緩めることはなかった。ユニにとってこれは"終わった話"なのだろう。俺は担当部分の汚れを落としながら静かに話の続きを待った。


「そんな時、お屋敷の息子さんが騎士学部に入学することになったんです。

 僕と彼はとても仲が良くて、小さい頃に『先に騎士になった方が相手を従者にする』なんて約束もしてたんですよ。

 子供同士の、他愛ない口約束です。……でも、彼はちゃんと覚えてくれていました」


 ユニが手を止めて顔を上げた。洗い桶の中に浮いている服は、もう新品同様に真っ白になっていた。


「それでメイド学科か」

「従者なら主人の身の回りのお世話は全部できるようにならないといけませんからね。

 それに、最低でも自分の身ぐらいは守れないと騎士の傍にはいられません。それならいっそのこと冒険学部に入るのも悪くないかなって。

 何よりこっちでは勉強しながらお金も稼げるんですよ?こんなに素晴らしいことってありませんよ」

「臭いけどな」

「慣れですよ、慣れ」


 そうして汗臭い男たちが生み出したこの世で最も穢れた物体を浄化することに成功した俺たちは手分けして後片付けに入った。

 共に臭い思いを共有したことによる妙な連帯感を俺は感じていた。そしてそれはユニも同じだったようで、彼は俺が魔法入門学科を探していることを話すと、快くその案内を引き受けてくれたのだった。




 魔法入門学科はメイド学科のすぐ近くにあった。外観もまたメイド学科と同じく何の変哲もない丸太小屋だった。

 黒魔術学科の学科棟に比べるとかなり小さく、また特殊な設備があるようにも見えない。それほど危険性のない、本当に基本的なことだけを教えているのだろう。


「人気がないな。まさか今日は休みってことはないよな?」

「大抵の生徒は入学してすぐに来ますから、1週間も過ぎれば毎回こんな感じです。

 でも期間限定って話は聞いたことがないので、たぶん誰かしら魔術の使える先生は常駐してると思いますよ」


 試しに扉をノックしてみると、内側から「開いてるよ」と女性の声がした。声に従って慎重にドアノブを回す。

 大丈夫だとは思うが、一応ここは魔術を扱う学科なのだ。開けた途端に生徒が暴発させた火球が飛んでくるなんてことが絶対にないとは言い切れない。

 だが部屋の中に入った俺は拍子抜けすることになった。そこは暖炉の傍に木製の小さなテーブルと揺り椅子があるだけの殺風景な一室だった。


「何もない部屋だな。入門とはいえ魔法って名前が付いてるんだからもうちょっと、こう……」

「光る水晶玉や怪しげな魔術書がそこらじゅうに転がってるのを期待してたのかい?残念だったね坊や」

「あ、メリッサ先生じゃないですか。学科棟で喫煙は禁止されてませんでしたっけ?」

「ユニかい、どうせ次の入学シーズンまで誰も来ないんだから固いこと言うんじゃないよ」


 声の主は、長い金髪を後ろで束ねた妙齢の女性だった。彼女は揺り椅子に腰かけながら気だるげな様子で細長いキセルを吹かしていた。

 くたびれた黒のキャミソールとスリットの大きく開いたスカートという煽情的な出で立ちでありながら、女性の纏っている赤いマントにはやけに上品そうな意匠が施された留め具が取り付けられており、そのちぐはぐさが見る者にどこか不安定な印象を与えていた。

 メリッサと呼ばれていた女性は足を組み替えながらしばらくの間俺の顔を訝しげに見つめていたが、すぐに何かを思い出したように頷いて椅子から立ち上がった。


「へえ、こんな時期に生徒が来るなんて珍しいと思ったら、エカテリーナのお気に入りじゃないか。大方あの子に言われて魔術を学びに来たんだろう?」

「学部長から勧められはしましたけど、別に強制されたわけじゃありませんよ」

「素直な子だねえ。人のお節介にいちいち真面目に対応してたら身が持たなくなるよ。これからは適当にあしらうことだね。

 あの子は堅物で仕事の虫だから人付き合いってものの上手い塩梅がよく分かってないんだ。あんたの場合はそれだけでもなさそうだけど」


 俺が学部長のお気に入りという話は初耳だったが、よく考えると俺は学部長の一存で入学が許可されたようなものだし、あながちその表現も間違いではないのかもしれない。

 何にせよ期待されていることには違いないのだ。俺は意気込みも新たにメリッサ先生と向き合った。


「俺、魔術を覚えたいんです。といっても何から始めればいいのかさっぱりで」

「だろうね。話を聞く限り、坊やの"故郷"にその手の文化はなさそうだし」


 事情を知らないユニがいることで配慮したのだろう。メリッサ先生は"世界"とは言わなかった。

 先生は一旦上を向いて大きな紫煙を天井まで届かせると、気持ちを切り替えるようにキセルを置いた。次に俺の方を向いた時、メリッサ先生は教師の顔をしていた。


「安心しな。私がいればもう魔術は習得したも同然さ。日が暮れる頃にはあんたもいっぱしの魔術師になってるはずだよ」





 俺とユニを伴って外に出たメリッサ先生は、木の枝を使って地面に直径1メートルほどの六芒星を模した魔法陣を描くと、その中心に俺を立たせた。


「魔術に限らず魔法って呼ばれるものはみな魔力を消費してこの世界に影響を与えるものなんだ。なら、魔力っていったい何だと思う?」

「精神力みたいなものですか?」

「惜しいね。魔力っていうのは生命力そのものさ。私たちの体を動かしているのも、魂とか感情とか精神とか呼ばれるものも、大雑把に言えば全部魔力なんだよ」


 メリッサ先生は俺の額に手をかざしながら講義を始める。彼女の指には色とりどりの指輪が嵌められており、その中の1つに半透明の"何か"がどんどん集まっていくのが魔術に疎い俺にも視認することができた。プリムラの杖がそうであるように、メリッサ先生にとってはあの指輪が魔術の触媒なのだろう。

 準備にはもう少し時間がかかるらしく、メリッサ先生は"何か"をさらに集中させながら説明を続ける。


「だから、原理的に言えば意思あるものは誰でも魔術を扱えるんだよ。人間だろうと魔物だろうと幽霊だろうと関係なくね。使えない奴はただコツを知らないだけさ」

「それじゃあ、そのコツっていうのはどうやれば身に付くんですか?」

「実際に1度魔術を使ってみればいいのさ。体内の魔力を集めて、自分がイメージする形に変換して、体の外に出す。それができるってことに体が気付けば後はどうにでもなる」

「え?いや、それは……?」


 メリッサ先生の言っていることは矛盾していた。魔術を使うためのコツを、魔術を使うことで覚えるとはいったいどういうことなのか。

 カギの掛かった箱を中にあるカギで開けと言っているようなものだ。ピッキングしてカギを取り出さない限りそんなことは不可能だ。

 俺はヒントを求めるようにユニの方に目をやったが、ユニは木製の手すりに寄り掛かりながら「すぐに分かりますよ」と微笑むだけだった。

 彼もまたこれから起きる現象を体験済みなのだろう。その目は俺にも自分と同じ驚きを味わってほしいと雄弁に語っていた。心の友に裏切られた俺は大人しくメリッサ先生の術式が完了するのを待つ。

 それから1分ほど経過しただろうか。十分に"何か"を溜め終えたメリッサ先生の手が俺の額に触れたかと思ったその瞬間、足元の魔法陣がまばゆく発光して全身を揺さぶられるような衝撃が俺を襲った。


「うわっ!」


 俺はたまらず身を引こうとする。だというのに、俺の体は微動だにせずその場に硬直していた。

 それだけなら足がつったとかびっくりしすぎて身動きが取れなかったという理由付けもできたが、あろうことか次の瞬間俺の体は俺自身の命令を無視して見当違いの方向に行進を始めたのだ。

 まるで体の操縦桿を誰かに奪われて運転席から追い出されたかのような不愉快な感覚だった。

 そして、それを為したであろうメリッサ先生は口に手を当てて必死で笑いを堪えていた。


「くくっ……やっぱりたまんないねえ。この顔を見るために教師やってるようなもんだよ私は」

「先生が凄いのはよく分かりましたから遊ぶのをやめてください。いったいこれは何なんですか?」


 意に添わぬロボットダンスをさせられながら唯一自由に動かせる口でメリッサ先生を批難すると、ようやく先生は俺の体を静止させて種明かしをしてくれた。


「これが幻惑魔術さ。幻惑魔術ってのは相手の肉体や精神に干渉するそれはもう恐ろしい魔術でね」

「その幻惑魔術とやらが魔術の習得に役立つんですか?なんか遊ばれてるだけのような気がしてきたんですが」

「さっき説明しただろう?魔術を使うコツは魔術で覚える。……それなら、私が魔術のマの字も知らないあんたを操って強引に魔術を使わせることができるとしたら?」

「…………あっ」


 そこまで説明してもらってはじめて俺はその結論に思い至った。

 感覚的なものに大きく依存する魔術は、知識や口頭で教えることが極めて難しい分野だ。ならば"実際に使わせてみて"その感覚に慣れさせるという先生の理屈は的を射たものだった。


「さて……。やっぱり最初の魔術といえばアレかね。そうだね、アレにしよう」


 俺が、魔術を使う。

 この世界に来て、プリムラの魔術を目にしてからというもの、心の奥で密かに憧れていた瞬間が近付いてきた。

 俺は気を引き締めて(といっても俺は見ているだけなのだが)事の成り行きを見守っていた。

 右手が地面と水平の角度に固定され、体の奥底に眠っていた何かが身じろぎしてその姿を明確にしていく。

 俺の手足を、脳を、心臓を動かしている原動力たるエネルギーが全身を駆け巡る血流を通して右手に集まっていくような、そんなイメージだった。


「これが、魔力……」


 メリッサ先生が魔力を溜めていた時のように視覚的な変化が表れることはなかったが、それでも俺の手のひらは確かな熱感を伴って魔力の存在を証明していた。

 そして俺の口はメリッサ先生の指示通りにひとりでに動きはじめる。紡がれる言の葉は、聞き覚えのある呪文だった。


「──『炎よ。天の御子よ。我が手に集いて敵を討て』」









「………………………………あれ?」


何も起きなかった。

意味深な引きですが別に魔力無効化体質とかではないです。

あとメイドさんは今回まだ顔見せだけなんだ……すまない

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