3-3
各学科棟が立ち並ぶ区域は学生寮から校舎を挟んで反対側、つまり敷地の東側に存在する。
棟といってもその大きさは学科によってまちまちで、生徒が荷物を置くだけの控室のような扱いのものもあれば、多人数を収容できる大規模な施設もあり、遠目に見てもなかなかに混沌とした景色が広がっていた。
グラウンドを横切って学科棟に向かう途中、前方に同じく学科棟を目指している赤い軍服姿を見つけたので俺は声をかけた。
「こんにちは、エカテリーナ学部長」
「ソウタですか。学園にはもう慣れましたか?」
「まだ2日目ですよ」
「ふふ、そうでしたね。貴方があまりにも自然に溶け込んでいたものですから」
「クラスメートは個性的な面子ばかりですからね。あの中に入れば大抵の人間は埋没しますよ」
学部長は俺が追いつくまで足を止めて待ってくれた。メリハリのある体つきにタイトスカートからスラリと伸びる足がさながら将の前に整列する軍人のようにぴたりと静止して、定規で測ったような均整を保っていた。
相変わらず立ち姿も絵になる女性だ。あまり待たせるのも申し訳ないので小走りに近付いて横に並ぶ。
俺より一回り小柄な学部長を急がせすぎないように、彼女に足並みを揃えてゆっくりと……歩き……歩いて……
……さすがにこれはゆっくりすぎないか?公園を散歩してるんじゃないんだから。
学部長の歩行速度は先ほどの3分の1以下だった。俺が呼びかける前は背筋をピシッと伸ばしてモデルのような足取りで堂々と歩いていたというのに。
「そ、そういえばですね。これから各学科を見学に行くつもりなんですけど、学部長はどの学科がオススメだと思いますか?」
ここで指摘して学部長の気遣いを無下にするのも無粋な気がしたので、俺は学科棟に着くまでの猶予時間が延びたことを有効活用して学部長の意見を聞くことにした。
若いながらも冒険学部を統べる立場に身を置いている彼女なら、最も的確な助言をしてくれるだろうと俺は確信していた。
「学科ですか……何か目星をつけている分野はありますか?」
「正直なところさっぱりです。どれも冒険に不可欠な技能ばかりですから。いっそのこと全部受けてみようかなんて考えているぐらいですよ」
「教育者としては嬉しい感想ですね。確かに複数の学科を掛け持ちしている生徒も少なくありませんが、やはり最初は1つに絞るべきでしょう」
よりどりみどりのラインナップを前にして立往生する俺が面白いのか、学部長は口に手を当ててくすくすと笑っていた。
現時点で俺が把握している学科は戦士学科と黒魔術学科、そしてナギアが習得していた白魔術と星魔術もおそらく個別の学科として存在しているはずだ。
トリッキーな近接戦闘を行うリンの戦闘スタイルもまたタルカス先生のイメージとはかけ離れているので、相手の虚を突くような技術を教える学科もあるのではないかと俺は睨んでいた。
この選択肢の広さこそが冒険学部の強みであり俺の悩みの種でもあった。
「私が強く推奨するのは魔術系の学科です。種類に関わらず、"魔法"という概念は戦闘や探索における選択肢を大きく増やしてくれます。どれも道具での代用が困難なものばかりですからね。
奇跡を行使する"神聖魔法"というものもありますが、なにぶんあれは信仰に依存していますから、この世界の宗教に疎いソウタには向かないでしょう」
学部長の理路整然とした言葉には確かな説得力があった。アキュートには悪いが俺の気持ちは魔術サイドにグラつき始めていた。
そんな俺に対して学部長はここぞとばかりに勧誘攻勢をかけてくる。
「貴方は初心者ですから、まずは魔法入門学科に入るのがいいでしょう。あそこなら魔力を操る基本から教えてくれます。
本格的に魔術を学ぶつもりなら私に言いなさい。貴方がすぐにでも他の生徒たちに追い付けるように……いいえ、追い越せるように指導してみせます」
「それはありがたいんですが……仕事はいいんですか?」
「問題ありません。生徒のために時間を費やすことは私の責務でもあるのですから。それに夜までには仕事も終わります」
「いやいや、夜はちゃんと休んでくださいよ。学部長を寝不足にしてまで俺の都合に付き合わせるわけには」
「私は貴方の後見人ですよ?いわば親のようなものです。子が母に甘えるのはおかしなことでしょうか?」
「ご自身が立場ある身だということを自覚してください。倒れたら一大事ですよ」
俺は執拗に食い下がる学部長にちょっと引きながら、どうにか彼女を宥めすかした。
長時間に及ぶ説得を経て学部長は渋々引き下がったのだが、その代わり魔術系の学科を選択したら必ず連絡するように約束を取り付けられてしまった。
入学手続きの時もそうだったが、この人は妙なところで謎のスイッチが入るので心臓に悪い。
(それにしても……子供が親に甘えるのは当たり前、か)
後見人を果たして親と呼ぶのかという問題は別にして、学部長の考え自体はそれほど突飛なものではない。
ただ、親に甘えるなんてもう何年も考えたことがなかった俺にとって、その言葉はむず痒さを感じるものだった。
学部長の心遣いはありがたいと思う。だが、どれだけ良くしてもらったとしても、俺が"母"だと感じる女性は、あの人以外にいないのも事実だった。
「ところで学部長はどんな魔術が使えるんですか?黒魔術学科で教えているとは聞いているんですが」
黒魔術学科の学科棟を目の前にして、俺は学部長と別れる直前に疑問をぶつけてみた。個人指導を行うとまで言っていたのだから、きっと習得しているのは黒魔術だけではあるまい。
学部長は「ふむ」と顎に指を当てて少し思案すると、さも当然そうに答えた。
「既存の魔術であれば、ほぼすべて」
天才とはどの世界にもいるものだな、と俺は遠い目をしながら思った。この偉大な魔術師に師事する人間は鉄の心臓でも持ってないとプレッシャーに耐えきれないだろう。少なくとも俺には無理だ。




