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教会という建物が持つ神秘性や非日常性といったものは、どの世界においても変化することはない。
曇りガラスの向こうから差し込む柔らかな朝の光と周囲に漂う静謐な雰囲気は人の心を日常の煩悩から切り離し、舞い上がる埃すらこの世ならぬもののように感じさせる。
まるで天使の羽のようだな、と思いながら、俺は部屋の隅に集め終えた羽をちりとりで回収した。
「掃除は嫌いじゃないんだけど、ここまで広いとな……」
椅子を避ければバスケットボールの試合ができそうな程度には広い礼拝堂を見渡して、俺は独りごちた。
先のオリエンテーリングで最下位になった冒険学部第3チームは、学園長ビリオーズの予告通り、教会の雑用もとい奉仕活動を命じられた。
期間は10日間。その間俺たちは朝も早くから掃除、洗濯、祭具の磨き上げといった労働を"タダで"こなすことになったのだ。
「貴方に主のお助けがあらんことを。今日も休まず来ていますね、ソウタ君。とても良い傾向です」
入り口の扉を開けて入ってきたのは茶髪の中年男性だった。
癖の強いもじゃもじゃの髪質、潤沢なヒゲはもみあげと繋がって綺麗なアーチを作り出しているが、悲しいかな頭頂部だけは潤沢には程遠い。
服装は黒一色の修道服とこれまた黒の短いケープで、素人目にも「いいもの使ってますよ」というのが分かるぐらい高級な生地だった。
胸のロザリオも、ジュデッカの持っていたものとは輝きが違う。きっと純銀製だ。
彼こそがピオネール周辺の教区を取り仕切る主教であり、ある意味現状を作り出した元凶でもある男、コンラッドさんだ。
「おはようございます、コンラッドさん。今朝運ばれてきた荷物は全部倉庫に入れておきましたよ。後は礼拝堂の掃除だけです」
「さすがは冒険者、力仕事はお手の物といったところですか。やはり貴方たちにお願いして良かった」
「お願いというか、俺たちに選択権はなかったんですけどね……」
そもそもの原因は祭りだ。7月に行われる夏の祝祭を前にして、教会は人手不足に陥っていた。
例年この時期になると教会関係者は祭りの計画や準備に追われて雑務が疎かになりがちなので、是非ともヴィエッタ学園にも地域への貢献をお願いしたい……。
なんてことをコンラッドさんが言い出した結果、今年からのオリエンテーリングに最下位のペナルティが課されることになったのだ。
「ソウタ君はまだ納得していないようですが、我々は本当に助かっているのですよ。特にタダというのが素晴らしい」
「近くに信者がいないからって本音をぶっちゃけないでくださいよ」
何度か会話をしていて分かったことだが、コンラッドさんはとても現実的な聖職者だった。
「私にはこのピオネール教区の人々に主の教えを広め、彼らを悪しき者どもから守る責務があります。そのためにはどうしても先立つものが必要になるのです。
"信仰は奉仕で示せ"ですよ。金銭で示していただけるのなら、なお嬉しい」
「そういうの、俺の国では生臭坊主っていうんですよ」
「お金があれば香水で臭いを誤魔化せるのですよ、ソウタ君」
ああ言えばこう言う人だ。俺は大人しく掃除を続けることにした。
ここで宗教の腐敗を嘆いても仕方ないし、コンラッドさんのような人間も組織の運営においては不可欠だ。
宗教に疎い日本人の俺が言うのもおかしな話だが、クリシュカの人々はあまり信仰心に篤い方ではない。
もちろん、休日になれば多くの人々がピオネールの大教会に向かう姿を見ることができるし、今までに訪れた町にも大抵1軒は教会が建っていた。
ただ、彼らの興味はもっぱら教会がもたらすメリット、つまり神聖魔法に向いているのだ。
傷を癒し、高位の聖職者なら重い病まで完治させることのできる神聖魔法は魔物の存在がごく身近にあるクリシュカの民にとって欠かすべからざるものだ。
神に縋ることで心の安寧を得るよりも、実利的な恩恵を享受し上手に活用する……この国の人々は俺が想像していたよりしたたかだった。
熱心な信者の獲得に苦慮し、寄付金も思うように集まらないクリシュカの教会が金勘定にうるさくなるのは当然の成り行きでもあったのだろう。
「お金の話とは別に、感謝しているのは紛れもない事実ですよ。特にソウタ君、貴方にはね」
「俺……ですか?裏方仕事ばかりなので、むしろ他の2人より楽してる感じなんですが」
単純作業ばかりの俺とは違い、ジャンヌとマナは町の教会で子供たちの世話を頼まれることが多かった。
教会では幼い子供向けに読み書きや計算を教えているため高等な教育を受けたジャンヌは重宝され、意外と子供の扱いが上手かったマナもそちらに駆り出されるようになったのだ。
俺は……その、一人っ子だったので、残念ながら多感で元気爆発な年下の相手は務まらなかった。
「いや、仕事の話ではありませんよ。シスター・ジュデッカのことです。彼女は貴方と話すようになってから実に明るくなった」
「明るくはなりましたけど、果たしてあれでいいんですかね……?」
俺が教会の手伝いに来ることを知ったジュデッカはとても喜んでくれた。それはもう日々の業務に支障をきたすほどに。
彼女は暇さえあればお勤めを抜け出して俺とおしゃべりしようとするし、1度話を始めれば1時間は止まらない。
そのくせ他のシスターたちはジュデッカを厳しく叱責するようなことはせず、むしろ放任しているような節すらあった。いくら何でも若者を甘やかしすぎではないだろうか?
「彼女は今までが真面目すぎたのです。若者らしい遊びも知らずに教会に引きこもってお祈り三昧など、不健康極まりない。
人間、若い内に羽目の外し方を覚えておかないと年を取ってから大きな過ちを犯すことになってしまうのですよ」
「割と緩い風紀なんですね……」
コンラッドさんの方針なのか、はたまた彼らの信仰する神様が大らかな性格なのか。
ただ、コンラッドさんの言いたいことは理解できる。息抜きとか、心の栄養とか、そういったものは誰の人生にも必要なのだ。
冒険者も例外ではない。どんな勇者であれ年がら年中ダンジョンにこもっていれば精神を病むし、そんな探索の仕方はあまりにも非効率だ。
「我々は主に仕える僕ですが、同時に主と人々の橋渡し役でもあります。
過ぎた清廉さは、ともすれば近寄りがたい印象を与えてしまうもの。人と関わるためにはある程度俗に揉まれていた方がかえって受けが良いのですよ」
「コンラッドさんはもう少し清廉さを追求するべきだと思いますけど……」
「貴方も立場を持つようになれば分かりますよ、私の気持ちが」
コンラッドさんはしばらく俺の仕事ぶりを見学した後、司祭たちと打ち合わせをするため奥の部屋に引っ込んでいった。
粗方掃除を終えた俺は、まとめたゴミを藁の袋に詰めて外のゴミ置き場に持っていく。袋の口をしっかり結んだことを確認して、低いレンガ囲いの中に放り込む。
ゴミがこの後どうなるのかは知らない。一応有機物と無機物の分別はしているようなので、魔法か何かで堆肥にでも分解するんだろうか?
興味は尽きないが、そろそろホームルームが始まる時間だ。今日も何とか授業開始までに仕事を終えた俺は、教会の裏手で掃除をしているジャンヌとマナを呼びに行こうかなと考えていた。
そうして教会の前に戻ってきた俺を出迎えたのは、ガタイのいい中年の男だった。
「こんなところにいたのか。寮にいなかったもんだから随分と探したぜ」
赤ら顔で目つきの悪い筋肉質の男、冒険者ギルド・ヴィエッタ学園支部のマスター、通称ギルドの親父だ。
親父はいつも頭に巻いていたバンダナをタオル代わりに脂汗を拭くと、ポケットから薄茶色の封筒を取り出した。
「この封筒って……もしかして、クエストですか?」
「ったく、お前も立派になったもんだ。学生の身分で直接指名の依頼なんざそうそう受けられるもんじゃないぜ?くれぐれもヘマするなよ」
親父から手渡された封筒の裏には、達筆な文字で依頼人の名前が記入されていた。
騎士学部2年生、ガウェイン=アストラン。ジャンヌの兄であり将軍の息子、そして騎士学部きっての逸材と呼ばれている男だった。




