8-19
その夜、そろそろ日付も変わろうという時間だというのに、寮の談話室にはまだ明かりが灯っていた。
あの後めでたく最下位と相成った第3チームがしめやかに残念会を開いていたところ、プリムラやアキュートといったいつもの面子が集まってきて、最終的には1期生全員によるどんちゃん騒ぎが始まってしまったのだ。
はじめは少し気後れしていたジャンヌも、途中からは勢いに呑まれて積極的におしゃべりに参加していた。この辺りはリンが上手く誘導していた節もあるが。
俺たちは大いに飲み食いし、話し、歌い、ほぼ全員が眠りこけてようやく宴会はお開きになった。
そして運悪く最後まで起きていた者には、散らかりまくった談話室を元通りにするという崇高な使命が寮長のおばさん直々に課せられた。
「ソウタ、こっちはゴミ出し終わったよ。後は机拭いたらおしまいだね。お疲れさま」
プリムラと手分けして掃除を終えた俺は今夜のラスボス、食べカスとジュースの染みにデコレートされた長机を磨く作業に取り掛かった。
そこにはサッと拭くだけでは取れないようなしつこい汚れが端から端まで広がっていた。疲れきっていた俺には机の向こうが霞んで見えた。
プリムラもまた布巾を持って逆サイドから机を綺麗にしていたが、彼女の傍まで来ると、手を止めてその寝顔を見つめていた。
「ジャンヌが居眠りなんて珍しいよね。ジャンヌってもっと隙のない感じの人だと思ってたからちょっと意外かも」
ジャンヌは椅子の背もたれに体を預けて静かに寝息を立てていた。彼女が人前で無防備な姿を晒すのは恐らくはじめてのことだろう。
夢の中では誰もが童心に帰る。今この瞬間だけは、彼女は貴族でも将軍の娘でもない、ただの女の子だった。
「色々あって疲れてたんだよ。もう少しだけ寝かせてやってくれ」
ジャンヌを起こさないようにそっと近付いて、ずり落ちそうになっていた毛布を優しく掛け直す。6月を迎えて暑くなってきたとはいえ、布団なしで眠るには早すぎる。
余談だが、この毛布はリンが用意していたものだ。宴会が始まった時点で何人かがそのまま寝てしまうことを予期して調達してきたらしい。
宴会で並べられた料理もリンがほとんどの代金を立て替えていた。やけに羽振りがいいと思ったので金の出所を聞いたところ、彼女はけろりとした顔で「賞金よ」とのたまった。
今回のオリエンテーリングにおいてチェックポイントの位置や魔物の少ないルートといった情報をどこからか仕入れてきたリンは、驚異的なスピードですべてのチェックポイントを巡り、大会記録を塗り替えてチームを優勝へと導いたのだ。いったいどんな裏技を使ったのやら。
……もしかして、今夜の宴会もリンが間接的に仕組んだことだったのか?ジャンヌを皆の輪の中に入れるために?
げに侮りがたき女、リン。何にせよ結果オーライなので感謝はしておこう。
「ソウタも何だかいい顔してるね。男前っぷりが2割くらい上がってるよ」
「色々あったからな。たった4日間なのに、まるで1か月ぐらいオリエンテーリングをやってたような気がするよ」
「ほほう、また"色々"ですかなソウタ君。意味深だなー気になるなー」
「変な意味じゃないって」
オッサンみたいなニヤケ面で顔を覗き込んでくるプリムラから逃げ回る。いや、冗談抜きで変なことはなかったぞ?競技期間中は終始時間に追われてばかりだったし。
俺とプリムラは布巾片手にしばらく鬼ごっこを楽しんでいたが、柱時計が0時を告げたところで我に返り、後片付けに戻った。
「でも、みんな無事に帰ってきて本当に良かった。今回はいつもと違ったから、もしかしたらって思っちゃって」
「……そうだな」
このオリエンテーリングで不測の事態に見舞われたのは俺たちのチームだけではなかった。
ほとんどのチームが何かしらの形で異状に遭遇し、危うく死人が出そうになったチームまでいたという。
魔物の数がいつもより多かった、普段は比較的安全な場所に大量の魔物がやってきた、見たこともない魔物が徘徊していた……等々、生徒たちの証言はどれも魔物の増加を示唆するようなものばかりだった。
「キマイラに出会った時はツイてないなんて思ってたけど、みんな同じだったんだな」
「私もキマイラ見たかったなぁ。伝承の魔物って響きがなんか神秘的だし。私のところなんてゾンビだよ?」
「ゾンビ!?」
「ゾンビっていってもゴブリンとかのだけどね。臭いし気持ち悪いし、もうホント最悪だったの」
人間のゾンビでなくて良かった。魔物には慣れてきたが、さすがに人間の死体を相手にするのは抵抗があるし、怖い。魔物の怖さと死体の怖さは俺の中で別物なのだ。
ゾンビというのは……いや、もう外見の説明は必要ないか。とにかくゾンビだ。
魂の抜けた死体が何らかの原因で動いているもの全般をゾンビと呼ぶらしいが、詳しい仕組みは判明していない。
アンデッド対策は教会の寡占市場みたいなものなので、部外者にはあまり情報が回ってこないんだとか。所謂既得権益というやつなのだろうか?
とりあえず分かっていることは、死体が野ざらしになっていた程度でゾンビ化するケースは極めて稀、ということだ。
「こんなに短期間で魔物の数が増えたことなんて前例がないみたいで、先生たちも戸惑ってた。何が原因なんだろうね?」
「分からない。マクベスのことといい、分からないことだらけだな……」
「ん?マクベス?マクベスがどうかしたの?」
「ああ、そういえばプリムラには伝えてなかったか」
マクベスの性格は知っての通りだが、あれでも彼は救国の英雄、人々の希望の象徴なのだ。
英雄の後ろ暗い秘密と陰謀なんてスキャンダラスな風評を軽々しく広めるわけにはいかなかったので、俺は確証を得られるまで1人で調査を進めることにしていた。
だが、それもここまでだ。プリムラは信用できる人間だし、マクベスの企みは彼を止めてほしいというシクサの言葉によって裏付けが取れた。
俺はこれまでのこと、英雄マクベスに対する疑惑と不審な行動の数々をプリムラに打ち明けることにした。
「そっかぁ……。英雄っていっても、1人の人間だもんね。ついつい魔が差しちゃうってことも、あるのかもね」
俺の話を聞いたプリムラは割とマクベスに同情的だった。
彼が具体的にどのような悪事を働こうとしているのか判然としないだけに、危機感というものがいまいち湧かないのだろう。かくいう俺もプリムラと同様だった。
「にしても……やっぱり凄いね、ソウタは」
「そう、かな?分不相応なことに首を突っ込んでるだけのような気がするんだけど」
プリムラに説明しながら自分でも頭の中を整理していたのだが、やっぱりこれは俺の手に余る案件なんじゃないかと思い始めてきたところだった。
俺のめんどくさい心情はともかく、事件の早期解決だけを考えるなら学園や騎士団にタレ込んでしかるべき機関に捜査してもらった方がいいんじゃないだろうか?
とはいえ「英雄が何か悪いことをしようとしていますが証拠は何もありません」なんて言っても誰も信じてくれないか。悩ましいところだ。
だが、どうもプリムラの言わんとしていることはそういうことではなかったようだ。
「うーん、ちょっと伝わりにくかったかな。凄いっていうか、優しいって言いたかったの」
「優しいって……それこそどうして?」
「だってソウタ、悪い奴をやっつけたい!じゃなくて、マクベスを止めたいって言ってるから。相手の気持ちを理解したいって思ってないと、そんな言葉絶対に出ないよ」
「……どうなんだろうな。確かに理解したいとは思ってるけど、同時に独りよがりかもしれないって思ってもいる」
他人の気持ちを完全に理解することは不可能だ。相手がそうされることを望んでいない場合だって少なくない。
俺の行動が、マクベスを更に追い詰めてしまう可能性もあるのだ。
「大丈夫だよ。ソウタはきっと間違ってない。だからシクサって人もソウタを信用してくれたんだよ」
俺とは対照的にプリムラは自信たっぷりだった。
正直シクサの行動原理は俺にとって理解しがたいものだが、勘のいいプリムラが言っているのだから、たぶん俺はシクサに認められたのだと思う。
「とにかく悩むのは後で後で!今は足を使って証拠を固める時だよ」
どこぞの名探偵か刑事のような台詞のプリムラに後押しされて、俺は改めて英雄マクベスの調査を進めることにした。
(これから、忙しくなりそうだな)
何かが動き始めている気がする。
そして「これからはどんどん増える」というキマイラの予言を裏付けるように、クリシュカ各地で新たな魔物たちの出現が噂され始めたのだった。
8章終了。




