2027年1月。最悪飯は食える。女性店員を育てながら自分も平日相談を受ける。お客さんの悩みは仕事の話が多い。その問題解決できないかな?
二〇二七年一月。
十七年と少し勤めた会社を辞めた博之を最初に待っていたのは、自由でも成功でもなく、
十五万円の赤字だった。
十二月末の引っ越し代、新しいワンルームの初期費用、荷物の運搬、生活用品の買い直し。
家賃三万円ほどの古い部屋を選んだものの、敷金や手数料まで合わせれば、
それなりの金が出ていった。
「辞めた瞬間、十五万マイナスか。いきなりでかいな」
博之は通帳を見ながら苦笑した。
退職金として入った三百万円には手をつけない。
あれは店の運転資金ではなく、すべて失敗したときの最後の逃げ道である。
そのため、引っ越し費用は手元に残していた金から支払った。
年が明けてからの二週間ほどは、役所関係の手続きに追われた。
健康保険を切り替え、国民年金の手続きをし、必要な書類を集める。会社員時代は給与から
勝手に引かれていたものを、これからは自分で確認し、自分で払わなければならない。
窓口へ行っては番号札を取り、説明を聞き、足りない書類があれば出直す。
「会社辞めるだけで、こんなにやることあるんやな」
体調を崩さないよう、昼間はできるだけ寝た。
午前中に役所へ行った日は、午後から夕方まで眠る。
そして夜になれば、店を開ける。
一月からは家賃を六万円に切り替え、平日も使えるようになった。
広之が毎日店に立つわけではない。
空いている日は、仕事を覚え始めた女性に店を任せる。
女性だけでは対応が難しい客や、博之への相談を希望する客がいる日は、
予約出勤という形で広之も顔を出した。
店の前に置いた看板には、博之の携帯番号を書いた。
『相談したい方は、お電話ください。店主が近くにいれば来ます』
ずいぶん雑な営業方法だった。
それでも、看板を見た人や、YouTubeやSNSの告知を見た人から、少しずつ連絡が入った。
「今日、話聞いてもらえますか」
「今から二人で行っても大丈夫ですか」
「女の子だけの日ですか。それとも博之さんもいますか」
平日は、一晩に二人ほど来ればいい方だった。
客が一人も来ない日もある。
それでも週に四日ほど店を開け、営業日全体で見れば、
一週間に一万五千円前後の売上が上積みされるようになった。
土日のカレーと夜営業は、これまでどおり続けた。
一月の売上を荒く集計すると、六十四万円ほどになった。
原価が十万円。
家賃が六万円。
光熱費、清掃費、消耗品などの雑費が十二万円。
女性たちへの人件費が十二万円。
博之自身の給与を十万円とすると、店には十四万円が残った。
「給与十万と利益十四万で、合わせて二十四万か」
もちろん、利益のすべてを生活費に使うわけにはいかない。
設備の故障や、売上が落ちた月に備えて、店にも金を残しておく必要がある。
それでも、計算上は、会社の給料がなくても、一人で最低限暮らせるところまで来ていた。
「最悪、飯は食えるな」
博之は初めて、少しだけ肩の力を抜いた。
ただし、この働き方を一生続けたいかと聞かれれば、答えは違った。
毎晩自分が店に立ち、客の相談を聞き、酒を出し続ける。
それだけでは、いずれ体力も精神も持たなくなる。
博之が本当にやりたいのは、自分一人が食べていく店を守ることだけではなかった。
女性たちに店の回し方を覚えてもらい、自分がいなくても営業できるようにする。
さらに、自分と同じように会社からはみ出した人たちにも、小さな仕事を渡す。
週五日働けなくてもいい。
毎日八時間働けなくてもいい。
一日店長や、予約のある日だけの出勤、仕込みだけ、清掃だけでもいい。
できる仕事を、できる範囲で任せる。
小さなスナックやカレー屋を増やしてもいい。
初期費用の安いフランチャイズを見つけ、経験のある人に任せてもいい。
大きくできなければ、この六席の店を続けるだけでも構わない。
だが、何かできる余地があるなら、試してみたかった。
博之は茨木の商工会議所にも入会した。
補助金、融資、創業相談、専門家への相談。
使える制度があるなら、情報だけでも集めておく。
すぐに大きな借金をして店を増やすつもりはない。
まずは今の店を安定して回し、女性スタッフを育て、毎月の数字を確認する。
そこから先は、無理をせず考えればいい。
店に来る客の悩みは、やはり仕事の話が多かった。
「毎朝、会社に行くのがしんどいです」
「辞めたいけど、次に行けるところがありません」
「週五日は無理です。でも、働かんかったら生活できません」
博之は、その話を聞きながら思った。
「本人が全部悪いんやなくて、雇ってる会社の仕組みの方にも問題あるんちゃうか」
週二日なら働ける人。
午後からなら動ける人。
人付き合いは苦手でも、帳簿や仕込みならできる人。
普通の会社では、その条件だけで使いにくい人間と判断される。
だが、小さな店なら、その人ができる部分だけを切り出して任せられるかもしれない。
博之が全員の人生を背負うことはできない。
給料も住まいも、すべて用意することなど不可能だった。
それでも、一日店長として一度働いてもらう。
数時間だけ店に入ってもらう。
少し稼ぎ、誰かに必要とされる経験を持ち帰ってもらう。
その程度なら、自分にもできるかもしれない。
「これも一応、社会貢献になるんかな」
カウンターの向こうで客の話を聞きながら、博之はぼんやり考えた。
自分が立派な経営者になったとは思わない。
人を救えるとも思っていない。
ただ、自分と似たはみ出し者たちが、少しだけ無理をせず働ける場所を作る。
その考えを理解してくれる人が、一人ずつ増えていけばいい。
二〇二七年一月。
十五万円の赤字から始まった独立生活は、月商六十四万円と、
最低限食べていける二十四万円を博之にもたらした。
そして六席の古いスナックの中に、後にいくつもの店と仕事を生み出すことになる、
最初の小さな構想が芽生え始めていた。




