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2030年7月。見えるところから、手の届く範囲で。千里山に美容院。江坂にネイルサロンつくる

 二〇三〇年七月。

 博之は、また二つの箱を増やすことを決めた。

「千里山に美容院一つ。江坂にネイル一つやな」

「もう“考える”じゃなくて“やる”なんですね」

「やる」

 統括の一人が苦笑した。

 江坂方面には、新しく老人ホーム訪問営業のおじさんを配置することになっている。

 ならば、その地域に実店舗が一つもないまま営業だけ先行させるより、小さくても

 拠点を作っておいた方が話が早い。

「施設に営業行って、『うち江坂にも店あります』って言える方が信用あるやろ」

「ネイルのスタッフも、そこから出せますしね」

「そうそう」

 江坂のネイルサロンは、小さな箱。

 家賃は茨木より高いものの、大掛かりな工事はせず、初期費用は七十万円ほどで見る。

 一方、千里山の美容院は重い。

「こっちは二百万ぐらいか」

「美容院は設備ありますからね」

「ほんま金飛ぶなあ」

「社長が出してるんですよ」

「分かってるわ」

 博之はため息をついた。

 本来なら、吹田方面への美容院展開はもう少し後にする予定だった。

 高槻のネイル、美容、スナックを固めてから、ゆっくり西へ伸びる。

 だが千里山にはすでにネイルがある。

 さらに老人ホーム営業が吹田から江坂方面へ広がっている。

「千里山に美容院置いといたら、吹田方面の訪問美容はここから出せる」

「江坂も?」

「しばらくはな」

 本当なら江坂にも美容院が欲しい。

 ただし、そこまで一気にやると箱が増えすぎる。

「順番や。ネイルだけ先に刺しとく」

 千里山にネイルと美容。

 江坂にネイル。

 それで吹田から北大阪急行方面へ、一応の足場ができる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「しかし、また二百七十万出ていきますよ」

 経理のおじさんが冷静に言った。

「出るな」

「会社になってから金の出方が速いです」

「その分仕事できるやん」

 美容院が一つ増えれば、美容師の枠が増える。

 ネイルサロンが一つ増えれば、ネイリストの枠も増える。

 店長。

 統括。

 清掃。

 訪問。

 周辺の小さな仕事も付いてくる。

「目先の利益だけ見たら、そら出さん方が金残るで」

「じゃあなんで出すんです?」

「人が働ける場所作れるからやろ」

 博之自身、別に慈善事業をしているつもりはない。

 赤字を垂れ流す気もない。

 ただ、既存店が利益を出していて、新しい箱を作る余力があるなら、少しずつ次へ回す。

「年末、ちゃんと金残ってたらええ」

「税金もありますからね」

「それな」

 最近は経理担当と税理士に先回りして金をよけられるので、昔ほど自由には使えない。

「税金用の金まで店に突っ込まんように見張っといて」

「そのために僕がいるんです」

「頼むわ。俺、見えたら使うから」

「自覚あるんですね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 地域の広げ方についても、博之なりの線引きができてきた。

「高槻より東は、今はもうええ」

 島本、山崎、さらに長岡京。

 仕事が来れば高槻から対応する。

 だが、わざわざそこへ箱を置くほどではない。

「茨木はもうガッチリあるやろ」

「はい」

「なら次、摂津、吹田、江坂、豊中。この辺や」

 地図で見れば連続している。

 既存スタッフも動きやすい。

 営業のおじさんも回れる。

「枚方は?」

「また路線変わるやろ」

「車なら近いですけど」

「うち営業車持ってへんしな」

 カーシェアを使えば行ける。

 だが、行けることと、広げるべきことは別だった。

「手に取れる範囲でやるって決めてんねん」

 大阪市内の激戦区へ行く必要もない。

 京都方面へ飛ぶ必要もない。

 今、自分たちの店から人を出せる。

 客を紹介できる。

 統括が見に行ける。

 営業担当が回れる。

「そこだけで十分広い」

「でも社長、地図見るたび箱増やしてますよね」

「見えるところに何もせえへんのも気持ち悪いやん」

「病気ですね」

「経営者病や」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 博之が今、特に見ている数字は新店舗だった。

「既存店は、もう俺が毎日見る必要ないねん」

 大きなトラブルさえなければ、店長と統括に任せる。

 人員の入れ替え。

 シフト。

 細かな客対応。

 スタッフ同士の揉め事。

「そのために手当出してるからな」

 博之が見るのは、むしろ新しい店。

 三十人。

 五十人。

 百人。

 二百人。

 客数がどう伸びるか。

「パンパンになったら、横に逃がす」

 高槻のネイルが埋まったから二号店を出した。

 茨木でも同じだった。

「新店作って、既存店からちょっと客分けて、新規を拾って、また埋まったら次」

「ずっとそれやるんです?」

「必要な間はな」

 すでに安定した店舗は、会社のドル箱として淡々と回してもらう。

 博之は、新しいところだけを見る。

「新しく作るんが俺の仕事やろ」

「現場は?」

「任せる」

「人事は?」

「統括」

「経理は?」

「おっちゃん」

「税金は?」

「税理士先生」

「社長、何するんです?」

「箱作る、金出す、指示する」

「やっぱりそれだけじゃないですか」

「重要やぞ!」

 笑いが起きた。

 二〇三〇年七月。

 千里山に美容院。

 江坂にネイルサロン。

 また二つ、新しい箱が増える。

 博之は既存店の細かな日常から、少しずつ離れていた。

 その代わりに見るものは、新しい街。

 新しい客。

 新しい人。

 そして、次にどこへ仕事を分けるか。

「まあ、届くところからやな」

 地図の吹田と江坂に丸をつけ、博之は笑った。

 会社は大きくなっていた。

 けれど、やっていることは昔と変わらない。

 人が増えたら、仕事を分ける。

 客が増えたら、箱を分ける。

 そしてまた、ほどほどをちゃんと続けるだけだった。

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