2030年5月。美容院とネイルの統括達との会議にて。うちはそこそこをちゃんとやるんや。
二〇三〇年五月。
新しい店を増やさない代わりに、博之はネイルと美容院の店長、統括を集めて、
少し長めの打ち合わせをしていた。
「最近どう?」
博之が聞くと、数字以外の話もいろいろ出てきた。
「美容院なんですけど、シャンプーとか薬剤、もう少しいいやつに変えません?」
「今よりええやつ?」
「はい。仕上がりもいいですし、評判もいいみたいです」
「なるほど」
別の美容師からは、
「ヘッドスパやりたいです」
という提案も出た。
「今、カットとかカラーで来てもらってるじゃないですか。そこに二千円とか三千円追加で
ヘッドスパ付けたら、客単価上がりますよ」
「そら上がるやろな」
「じゃあ?」
「やらへん」
「早っ」
その場が笑った。
「なんでです?」
「いや、ヘッドスパが悪いとは言うてへんねん」
博之は少し考えてから、全員を見た。
「一回、うちの店が何なんか整理しよか」
美容院もネイルも、最初から高級店を目指して作ったわけではない。
技術はある。
資格もある。
しかし自分一人で店舗を借りて、広告を出して、客を百人集めるところまではできなかった。
あるいは、大きな美容院で朝から晩まで働くのがしんどかった。
そんな人たちが少しずつ仕事を分け合える場所として始めた。
「俺がYouTubeで客呼んだり、店増やしたり、みんなでGoogleレビュー積んだりして、
集客の入口を作ってきたやろ?」
「はい」
「で、そこそこの値段で、ちゃんとしたサービスする。仕事も一人に集中させず分ける。
これが基本やねん」
美容院の中心価格は九千円前後。
地域の高級店と正面から殴り合う価格ではない。
「ヘッドスパ入れたら付加価値は上がるよ。でも、そのうち一万二千、一万五千って
コース作り出すやろ?」
「まあ……」
「そこ行ったら、相手変わるねん」
設備も違う。
内装も違う。
広告も違う。
技術を売りにするトップクラスの美容師とも競争することになる。
「俺、そこ行きたない」
「安売りするってことですか?」
「違う。そこそこを、ちゃんとやる」
安かろう悪かろうにはしない。
だが、高級路線にも行かない。
「薬剤変えるんは反対ちゃうで」
博之は先ほどの提案に戻した。
「ほんまに今よりええなら、全店舗でまとめて変えられへんか考えて」
「まとめて?」
「仕入れ先に言うたらええやん。何店舗もあるんやから、全店切り替える代わりにちょっと
勉強してくれませんかって」
「ああ」
「一店舗だけバラバラに高いもん使うより、その方がええやろ」
値段は九千円のまま。
材料原価だけ上がれば、その分利益は減る。
「利益減ったってええ場合はある。ただ、その利益で次の店作ってんねん」
五十万円。
百五十万円。
二百万円。
少しずつ貯まった利益を次の箱へ回す。
そこでまた新しい人に仕事を渡す。
「全部お客さんに還元します、利益ゼロです、やったら次の子の仕事作られへんやろ」
店長たちが頷いた。
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ネイル側からも似た話が出た。
「もうちょっと派手なのやりたいっていうお客さん、結構いますよ」
「ゴテゴテの?」
「そうです。パーツいっぱい付けたり」
「それはええんちゃう?」
「いいんですか?」
「原価と時間次第」
博之の答えはそこだった。
今まで八千円以内で回しているものに、材料だけ三千円余計にかかる。
一人二時間で終わっていたのが三時間になる。
それなら簡単には増やせない。
「今、高槻なんか二百人超えてるやろ?」
「超えてます」
「一人当たりの時間伸びたら、入れる客減るやん」
ただ、今ある材料を組み合わせるだけ。
少し手間が増える程度。
その範囲なら現場判断でやっていい。
「全部俺に聞かんでええ」
「どこまでが現場判断です?」
「値段と原価と時間が大きく変わらん範囲」
「ざっくりですね」
「そこは統括の仕事や」
「逃げた」
「手当五万出してる!」
また笑いが起きる。
ただし博之が言いたいことは一つだった。
「もっと高級なネイルやりたい。もっと高い美容メニュー作りたい。それ自体は全然ええねん」
むしろ技術者として自然な気持ちだと思う。
「でも、それをやる場所がここじゃない可能性はある」
将来自分の店を出した時。
独立した時。
その時は好きな価格で、好きな薬剤を使い、好きなサービスを作ればいい。
「ここは練習場でもあるねん」
「練習場?」
「技術だけちゃうで。客と喋る。リピート取る。クレーム対応する。予約管理する。店長やる。
そういうの全部」
一人で店を持てなかった人が、少しずつ経験を積む。
それで十分だった。
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「そもそもな」
博之は最後に言った。
「うちの美容とかネイルって、最初どっから始まった?」
「スナックですね」
「そうやろ」
スナックで働いていた女性が、
「実はネイルできます」
「美容師免許あります」
と言った。
なら、その仕事も作ろう。
そこから始まった。
「スナックで働かざるを得なかった、いうたら語弊あるけどな」
博之は苦笑した。
「一本の仕事だけでは食えへんかった子が、夜ちょっと働いて、昼ネイルして、美容して。
それで生活作る。そこが出発点や」
いつの間にか店舗数が増えた。
客も増えた。
レビューも増えた。
会社にもなった。
だからこそ、勘違いしやすい。
「うちら、急に一流チェーンになったわけちゃうで」
「社長がそれ言うんですか」
「言うよ」
「夢ないなあ」
「夢はある。でも土台忘れたらあかん」
強い人をさらに強くする会社ではない。
少し自信がない。
一人では客を集められない。
長時間は働けない。
それでも技術はある。
そんな人が、小さく仕事を持てる場所。
「そこブレたら、うちじゃなくなるからな」
博之が言うと、店長の一人が笑った。
「結局、社長が一番こだわってますね」
「そらそうや」
「美容のこと分からないのに」
「経営の話してんねん!」
二〇三〇年五月。
店舗が増えたからこそ、博之は初めて明確に線を引いた。
何でも増やせばいいわけではない。
何でも高級にすればいいわけでもない。
そこそこの値段。
そこそこの技術。
でも、ちゃんと続ける。
そして、一人で立てない人たちが、何人かで立てる場所を残す。
それが博之の店だった。




