2030年1月。株式会社になりました。吹田、関大方面にもアンテナ張りたい。
二〇三〇年一月。
「……ほんまに会社になったな」
博之は、新しく作った会社の書類を眺めながら呟いた。
資本金百万円。
これまで個人事業としてバラバラに動かしてきたスナック、ネイル、美容院、清掃、外回り、
訪問事業を、少しずつ会社側へ整理していく。
「社長ですね」
「その呼び方、まだ慣れへんわ」
「もう代表なんですから諦めてください」
法人化に合わせて、働き方も少し変えた。
全員をいきなり正社員にするわけではない。
週二日の人。
月に数日だけ入る人。
業務を切り分けている人。
そういう働き方は今後も残す。
ただ、各部門の統括など、責任を持って複数店舗を見る幹部については、
順番に正社員として迎えることにした。
「会社になったからって、全員週五で八時間働けとかはせえへんからな」
「そこは変えないんですね」
「そこ変えたら、何のために今までやってきたか分からんやろ」
会社という箱は作る。
だが、人をその箱に無理やり合わせるつもりはなかった。
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既存店舗については、概ね順調だった。
特に博之が最近実感しているのが、
「二軒目から、やっぱ楽やな」
ということだった。
一軒目は何もない。
店の名前も知られていない。
スタッフ募集をしても、本当に客が来るのか疑われる。
だが二軒目、三軒目になると違う。
「一号店あります」
「二号店も動いてます」
「Googleの口コミこれだけあります」
「既存客もいます」
それだけで、新しい店の立ち上がりが変わる。
「人が人呼ぶようになったな」
ネイルサロンは現在三店舗。
茨木に二店舗。
高槻に一店舗。
高槻店は最初こそ赤字だったが、茨木二店舗の実績が信用材料になり、
客もネイリストも少しずつ集まり始めている。
「働きたいですって問い合わせ、また来てます」
「ありがたいな」
「技術あるけど客持ってないって子です」
「それでええねん」
客を全部自分で集められるなら、独立してもいい。
そこまでしたくない。
あるいは、そこまで背負いたくない。
そんな人が気軽に働ける場所を作る。
「うちで二十人、三十人担当して、合うんやったら増やしたらええ」
高槻でも、その形が少しずつ再現され始めていた。
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「次、どこ見ます?」
ある日の打ち合わせで、そんな話になった。
「高槻もうちょい固めるか、吹田かな」
博之は地図を開いた。
吹田。
そこから阪急千里線へ。
関大前。
千里山。
南千里。
北千里。
「こっちは住宅地強いよな」
「家賃は上がりそうですけどね」
「そこなんよ」
ただ、ネイルならスナックほど広い箱はいらない。
八千円前後の価格帯なら、富裕層だけを狙う必要もない。
「千里線沿いって、ちょっと所得高めの家庭も多いやろしな」
「大学生もいますよ」
「ああ、関大前か」
大学生。
若い社会人。
住宅街の女性。
子育て世代。
フルネイルだけでなく、爪のケアだけでも需要があるかもしれない。
「四千円とか五千円ぐらいのケアメニュー作ってもええかもな」
「ネイルまではしないけど、爪綺麗にしたい人ですね」
「そうそう」
まだ店を出すとは決めない。
まず情報を取る。
「外回りのおっちゃん、吹田方面にも行ってもらおか」
「介護施設も?」
「もちろん」
老人ホームを回る。
訪問ネイルと美容を提案する。
ついでに不動産屋へ寄る。
空き店舗を見る。
駅前の人通りを見る。
ネイル、美容院、飲食店の数を見る。
「高槻と同じやり方でええ」
箱より先に、人と客と情報を集める。
茨木で偶然できたやり方が、少しずつ型になっていた。
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そんな未来の話をしながらも、博之には一つだけ非常に現実的な問題があった。
「……百三十三万」
「何がです?」
「俺のExcel」
法人化前に、税金やら共済やら過年度の資金流出やらを全部整理した結果。
二千万円以上あるように見えていた博之の管理表上の数字は、
百三十三万円。
「減りすぎちゃう?」
「今まで見えてなかった支出を入れただけですよ」
「分かってるけど怖いやん」
店が潰れたわけではない。
金が突然消えたわけでもない。
それでも、数字として二千万円台から百万円台に落ちると、精神にはかなり悪かった。
「俺、今めっちゃ貧乏になった気分」
「会社は順調ですよ」
「せやから余計怖いねん」
博之は帳面を見ながら苦笑した。
「またじわじわ貯めよ」
無理に取り返そうとしない。
一気に店舗を十軒増やさない。
来月利益が出たら、また百万円。
その次にまた百万円。
「店作るのも、金貯めてからやな」
「成長しましたね」
「二千四百万ぐらい修正したら誰でも慎重になるわ」
部屋に笑いが起きた。
既存店の採算は悪くない。
新しい店も育っている。
会社にもなった。
今度は、会社として金を残していく番だった。
「来月ちょっと余裕出たら、なんかイベント考えよか」
「また交流会?」
「それはもうちょい先。なんか遊び」
「社長になっても遊ぶんですね」
「そこまで会社員みたいになりたないわ」
二〇三〇年一月。
株式会社という新しい看板を掲げても、博之のやり方はそれほど変わらなかった。
小さく作る。
人に渡す。
客を増やす。
無理をしない。
そして今度こそ、数字はちゃんと人に見てもらう。
「もうExcel、自分でいじらん方がええかな」
「絶対その方がいいです」
「そこまで言う?」
博之は少し傷つきながら、静かに帳面を閉じた。




