2029年12月。税金関係と株式会社化に伴う諸々で二千四百八十四万円のマイナス計上
二〇二九年十二月。
「……怖っ」
博之は、自宅のパソコンに表示された数字を見て、思わず声を漏らした。
店舗そのものは悪くない。
茨木のスナック四店舗。
ネイル二店舗。
美容院二店舗。
そして高槻に出したネイルサロンも、十一月には赤字だったものが、
十二月にはどうにか黒字圏まで上がってきた。
「店は順調なんよな」
問題は、博之が自分用に作っている資産管理表だった。
来年一月の株式会社設立に備えて、資本金と設立関連費用を合わせて百五十万円。
経理を手伝ってもらう人を新しく入れたことで、年末までに見込む費用が約百万円。
生活資金として九十万円。
小規模企業共済、年間八十四万円。
経営セーフティ共済は月五万円で年間六十万円。
「これだけで四百八十四万……」
そして、もっと恐ろしいものが残っていた。
過去三年分。
税金そのものはきちんと払っていた。
税理士も申告している。
ただし博之の自作Excelでは、その税金を「自分の手元から出ていった金」として、
まともに反映していなかった。
ざっくり二千万円。
「足したら……二千四百八十四万円」
画面には、
▲24,840,000円
と表示されている。
「嫌や、この数字」
もちろん、一月に突然二千四百八十四万円を払うわけではない。
過去にすでに出ていった金を、管理表の上で正しい位置へ戻しているだけだ。
それでも、数字だけを見ると精神に悪かった。
「来月の利益から全部相殺したろかな」
博之は本気とも冗談ともつかない声で呟いた。
「一回ゼロに戻して、そっからプラス積んでいった方が精神衛生上ええわ」
経理を手伝うおじさんには、
「それ、会計というよりオーナーの気分の問題ですよ」
と言われた。
「そうや。俺のExcelやから俺が見て気持ちええ方が大事や」
「じゃあもう僕が作りますよ」
「……お願いします」
こういうところも、法人化する理由なのかもしれなかった。
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もっとも。
金を締めるところだけ締めて、全部を守りに入るつもりもなかった。
「女の子らに五十万使お」
「また急ですね」
ネイル、美容、スナックの店長や統括たちが集まった時、博之はそんな話をした。
「この前、男組だけ高槻飲み歩いたやろ」
「楽しそうでしたね」
「市場調査です」
「はいはい」
「だから女性陣にも五十万ぐらい予算出す」
「何するんです?」
「飯でもお茶でも行ってきて」
「遊んでいいんですか?」
「遊びだけやったら困るけど、九割遊びでも一割なんか拾ってきて」
「ほぼ遊びじゃないですか」
博之は笑った。
「茨木、高槻、場合によったら吹田でもええ」
カフェに行く。
ランチを食べる。
ネイルサロンを見かける。
美容院を見る。
駅から住宅街へ歩いてみる。
「この辺、ネイル少ないなとか」
「美容院多すぎるとか?」
「そうそう」
「ご飯屋さん微妙でした、とかでも?」
「それもめっちゃ欲しい」
もし地域の飲食店が少ない。
あるいは値段の割に選択肢がない。
そういう小さな感想が、後で新しい事業につながる可能性もある。
「感想書くんです?」
「一言二言でええよ」
「レポート三枚とか嫌ですよ」
「俺も読みたないわ」
笑いが起きた。
「『高槻、ネイル多い』とか、『吹田のこの辺、老人ホームめっちゃある』とか、その程度でええ」
「それでいいんです?」
「体感が欲しいねん」
数字はネットでも見られる。
だが、実際に女性が歩いて、
「この駅なら降りてネイル行ってもいい」
「ここは駅から遠すぎる」
「この商店街なら美容院あっても入りやすい」
と感じる感覚は、博之には分からない。
「俺がおっさん目線で全部決めるよりええやろ」
「それはそうですね」
「そこ即答すんの傷つくな」
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吹田という名前も、最近よく出るようになっていた。
「高槻の次、吹田もありなん?」
「分からん。せやから見てほしい」
JR沿線。
阪急沿線。
住宅地。
高齢者施設。
働く女性。
夜の店。
茨木とはまた違う市場がある。
「老人ホーム多そうなら、外回りのおっちゃん派遣してもええしな」
「またローラー?」
「そう。箱作る前に回ればええ」
高槻では、それが機能した。
訪問ネイル。
訪問美容。
そこから地域の情報が入り、最後にネイルの箱を置いた。
「同じやり方、吹田でもできるかもしれん」
「でも、店なさすぎる地域もありますよ」
「それも情報や」
地元の人すら、
「この辺では遊ばん」
「買い物は別の駅へ行く」
という場所なら、出店しないという判断ができる。
「出す理由探すんちゃうねん。出さん理由も拾ってきてほしい」
「珍しく慎重ですね」
「二千四百八十四万のマイナス見た直後やぞ」
「ああ……」
「慎重にもなるわ!」
部屋に笑いが広がった。
二〇二九年は、もうすぐ終わる。
店は増えた。
人も増えた。
高槻にも足場を作った。
そして管理表では、とんでもないマイナスを一度に認識する羽目になった。
「来年から株式会社か」
博之は画面を閉じた。
「数字はちゃんと人に任せよ」
「ようやくですか」
「その代わり、俺は街見るわ」
人を見る。
箱を見る。
小さな声を拾う。
その中から、次の仕事を作る。
「まあ、来年もじんわりやな」
二千四百八十四万円という恐ろしい数字を見ても。
博之の次の商売探しだけは、止まっていなかった。




