2029年7月。金はある程度あるが怖い。新店出店はせずNISA360万オルカンで埋める。
二〇二九年七月。
茨木の各店舗については、おおむね順調だった。
一号店、二号店、三号店といった既存のスナックは大きな問題もなく回っている。
ネイル一号店も安定。
少し遅れて立ち上がったネイル二号店についても、徐々に客が増え、収支が良くなってきた。
そして四号スナック。
美容院二号店。
老人ホームへの訪問ネイル、美容。
六月の時点では、
「まあ、赤やな」
と言っていた新規事業も、一か月経つと少しずつ改善してきていた。
「訪問もまた予約入ってます」
「おお、ええやん」
「四号店もリピーター増えてますよ」
「じんわりでええねん、じんわりで」
無理に広告費を突っ込むわけでもない。
既存客から紹介してもらう。
Googleの口コミを一件ずつ増やす。
来てくれた人に、もう一回来てもらう。
今までと同じだった。
そんな中、七月の博之には、珍しく新しい店を出す予定がなかった。
「今月、何も作らないんですか?」
「作らへん」
「珍しい」
「俺を何やと思ってんねん」
そこで博之が手を付けたのが、自分自身の金だった。
「NISA、三百六十万入れよ」
「急ですね」
「急ちゃう。全然やってへんかっただけや」
投資先はオルカン。
特別、株で一発当てたいわけではない。
相場を読めるとも思っていない。
「儲けたいいうより、別のところにも金置いときたいねん」
「お店のお金じゃなくて?」
「そう」
事業に全部突っ込む。
それは、それで怖かった。
七月時点でも、運転資金として使える現金は九百万円ほどある。
だから三百六十万円を資産運用へ回しても、すぐ困るわけではない。
「九百万あるなら十分じゃないですか?」
「十分かどうかは分からん」
「そんな貯め込んで何するんです?」
「貯め込んでるんちゃうねん」
博之は少し真顔になった。
「自営業って、何あるか分からんやん」
一店舗で問題が起きる。
設備が壊れる。
客が減る。
人が辞める。
何かの事情で営業できなくなる。
複数店舗あるから安全なようにも見えるが、複数あるからこそ一度に金が必要になる可能性もある。
「しかも俺、一回破産してるしな」
部屋が少し静かになった。
博之自身、それを隠しているわけではない。
「債務整理もして、破産もして。そうなると、俺の感覚としては『足らんかったら借りたらええわ』
って思えへんのよ」
「なるほど」
「借りられるかどうか以前に、もう借金したくないねん」
だから現金を置く。
そして事業とは別に、長期の資産も作る。
「何かあったら全部店と一緒に沈みます、は嫌やねん」
九百万円の運転資金。
NISAに三百六十万円。
その他の資産形成も少しずつ続ける。
「オーナー、意外と守り固いですね」
「意外とは何や」
「もっと全部突っ込むタイプかと」
「俺、怖がりやで」
その怖がりだからこそ、小さな店ばかり作ってきた。
梅田へ行かない。
巨大店舗を作らない。
正社員を一気に抱えない。
仕事を細かく切る。
「高槻ぐらいなら、今の九百万あったらいけるやろ」
「また店の話になってる」
「スナックとネイル一軒ずつぐらいやったらな」
ネイルなら、小箱で始められる。
スナックも六席から十席程度の居抜き。
老人ホームへの訪問事業については、そもそも新しい箱がいらない。
「高槻はまだアンテナだけや」
「吹田は?」
「それもアンテナ」
「結局攻めるんですね」
「金残しながらな」
すると店長の一人が笑った。
「オーナーって、結局あれですよね」
「何?」
「社会不適合者だから怖いんでしょうね」
「……は?」
「会社員なら毎月給料入りますけど、オーナーもう戻れないじゃないですか」
「戻れへんことはないわ!」
「戻れるんですか?」
「……たぶん無理やな」
「ほら」
「うるさい」
「社会不適合者ですね」
「給料減らすぞ」
博之が言うと、即座に返ってきた。
「そういうところですよ」
「何が?」
「器ちっちゃいから彼女できないんじゃないですか?」
「関係ないやろ!」
全員が笑った。
博之だけが傷ついた。
「事業と恋愛は別や」
「店八個近く作れて、なんで彼女一人作れないんです?」
「知らんわ!」
その夜。
博之は一人になった部屋で、自分の資産表を眺めていた。
店舗は増えた。
働いてくれる人も増えた。
売上も増えた。
自分の資産も、少しずつ作れるようになった。
それでも不安がなくなることはない。
「まあ、それでええか」
怖いから金を残す。
怖いから無茶をしない。
怖いから、小さく試す。
それでここまで来た。
二〇二九年七月。
博之は三百六十万円を将来へ回し、九百万円ほどの現金を事業側に残した。
次に高槻へ行く準備はできている。
ただし、急がない。
「……彼女はどうしたらええねん」
事業計画には、その答えだけが書かれていなかった。




