2029年5月。そろそろ会社にしたらどうですか。営業のおじちゃんが案件と居抜きをみつけてくる。税理士から株式会社化の打診
二〇二九年五月。
四月から動き始めた外回りのおじさん二人が、思った以上に張り切っていた。
「オーナー、ちょっと物件出ましたよ」
「どこ?」
「阪急茨木市の方です。元スナック」
「家賃は?」
「八万ぐらいです」
「……見に行くか」
少し広めではあるが、四号店候補として考えていた条件には近い。
JR茨木側にはすでに二軒。
阪急茨木市側にも三号店がある。
ここにもう一軒入れば、博之が以前から考えていた、
「JR二軒、阪急二軒」
の形が完成する。
「おっちゃん、ちゃんと仕事してるやん」
「失礼ですね。やる言うたでしょ」
「いや、もっと老人ホームだけ回って帰ってくると思ってた」
「不動産屋寄れ言うたのオーナーやん」
「そうでした」
さらに数日後。
「美容院の居抜きもありますよ」
「え?」
今度は別のおじさんだった。
「茨木です。ちょっと古いですけど、シャンプー台残ってるみたいです」
「ほんま?」
「写真あります」
スマホを見せてもらう。
確かに古い。
しかし、今の美容院も最初は似たようなものだった。
「うわあ。また俺の好きそうなボロいやつやん」
「オーナー、ボロい言わんといてください」
美容院はすでに二百人を超え、七日営業で何とか回している。
すぐ二号店を作るかどうかは別として、候補が手元にあるだけでも大きい。
「やっぱ外回り、営業だけちゃうな」
「情報取ってくるの結構面白いですよ」
「それならええわ」
肝心の老人ホーム営業でも、少し動きが出始めていた。
「二件、試してくれるって」
「マジ?」
「一件はネイル。もう一件はネイルと、カットも相談したいって」
まだ大きな契約ではない。
ネイル十人。
もう一施設はネイル数人と、訪問美容の対象になる利用者について相談するところから。
それでも、初めて外回り部が自分たちで持ってきた売上だった。
「ええやん」
「まだ二件ですよ」
「二件で十分や。ゼロと二は全然ちゃう」
博之は本当にそう思った。
営業のおじさん二人に年間二百四十万円。
最初からそれ以上儲けるとは考えていない。
施設へ行く。
ネイルや美容の仕事を作る。
地域の人とつながる。
ついでに物件情報まで拾う。
「これで飯食えて、ちょっと酒飲めたら十分やろ」
「オーナー基準、だいぶ緩いですよね」
「潰れへんかったらええねん」
ただ、新しい問題も出てきた。
「美容師、もうちょっと増やした方がいいですね」
美容店長から言われた。
店舗だけでも客は増えている。
そこに老人ホームへの訪問が加わる。
今いる人数だけで全部やろうとすると、結局誰かに負担が偏る。
「ほな募集しよ」
「正社員です?」
「ちゃうちゃう」
博之はすぐに否定した。
「まだそこまで怖いわ」
一人の美容師に週五日、八時間働いてもらう必要はない。
月曜だけ。
平日の昼だけ。
老人ホームの訪問だけ。
店舗で月二十人だけ。
そういう働き方を組み合わせればいい。
「資格持ってるけど、フルタイム無理って人おるやろ」
「いますね」
「客持ってない子でもええ。うちに客おるから」
技術がある。
資格がある。
でも独立できるほど集客はできない。
そんな人に二十人、三十人と仕事を渡す。
「また切り分けですね」
「それしかできへんねん、俺」
最近は人も増えている。
スナック。
ネイル。
美容。
清掃。
外回り。
店長。
統括。
専門業者。
気がつけば、博之の周りで金を受け取って仕事をしている人間はかなりの数になっていた。
とはいえ、正社員を何十人も抱えているわけではない。
「みんなちょっとずつやな」
一人に三十万円渡す仕事を一つ作るのではなく、
五万円の仕事。
八万円の仕事。
十万円の仕事。
それを何人にも分けている。
そんな五月のある日。
税理士との打ち合わせで、とうとう言われた。
「博之さん」
「はい」
「そろそろ本当に法人化、考えません?」
「……来た」
「来たじゃないですよ」
税理士は苦笑した。
「店舗いくつあります?」
「スナック三、ネイル二、美容一」
「四号店探してますよね?」
「まあ」
「美容院二号店候補もある」
「まあ……」
「統括もいて、清掃部もいて、営業まで雇い始めた」
「雇ったいうても週二ですよ」
「それでも雇用は雇用です」
「まだ社員ゼロですよ」
「社員ゼロかどうかだけで判断する話じゃないんです」
博之は黙った。
「売上もあります。契約も増えてます。人も増えてます。今後高槻にも出たいんでしょう?」
「……はい」
「個人事業のまま全部博之さん名義で持つのも、そろそろ整理した方がいいです」
「会社になったら、めんどくさない?」
「めんどくさいですよ」
「ほら!」
「でも、今も十分めんどくさいです」
「それはそう」
税理士は資料を閉じた。
「すぐ明日株式会社にしましょうとは言いません。ただ、今年中に一回ちゃんと検討しましょう」
「とうとう会社かあ」
「もう今でも十分会社みたいなことしてますよ」
帰り道。
博之は少し考えた。
会社を辞めて、自由になるつもりだった。
それが今では、自分が会社を作るかどうか悩んでいる。
「人生わからんなあ」
とはいえ。
四号店候補が出た。
美容院二号店候補も出た。
老人ホーム営業も二件動いた。
人も少しずつ増えている。
「まあ、まず一個ずつやな」
会社にするのも。
店を増やすのも。
人を増やすのも。
急がない。
ただ、確実に。
博之の周りにできた小さな仕事の集まりは、もう「個人の遊び」だけでは説明しにくい
大きさになり始めていた。




