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~2026年9月末。過去振り返り編。古い店ほど、掃除だけは金をかけた方がいい。内装は居抜きだが衛生管理はしたい

 店を借りると決めたものの、博之には、自分がどんな店を作りたいのか、

 まだはっきりとしたイメージがなかった。

 カレーを出して、夜は酒を飲みながら話ができる場所にする。

 そこまでは決まっていた。

 しかし、店の雰囲気や料金、内装にどこまで金をかけるのかは、実際の店を見なければ分からない。

 そこで八月のある日、博之は友人と一緒に、茨木市内に新しくできたバーを訪れた。

 駅から続く商店街の中にあり、人通りは悪くない。

 扉を開けると、落ち着いた照明と、きれいな木目のカウンターが目に入った。

 壁には酒の瓶が整然と並び、椅子やグラスにも統一感がある。

「ええ雰囲気やな」

 博之は素直にそう思った。

 おそらく内装には、かなりの金をかけている。

 新しく店を始めるなら、本来はこういうものなのかもしれない。

 ただ、酒を何杯か飲み、会計をすると、一人五千円近くになった。

「大阪の中心部やったら分かるけど、茨木で五千円か」

 友人と店を出たあと、博之は首をひねった。

 雰囲気はいい。

 店員の対応も悪くない。

 しかし、気軽に何度も通える値段かと言われれば、少し高いように思えた。

 そのまま帰るつもりだったが、酒が入って気分が良くなっていた二人は、

 近くの雑居ビルに入っているスナックにも寄ってみることにした。

 古いエレベーターを上がり、色あせた看板の扉を開ける。

 店を切り盛りしていたのは、五十代ぐらいの女性だった。

 料金は一人三千五百円。

 ドリンクが一杯ついて、それ以外は別料金だった。

 古いソファと、小さなテーブル。

 内装に大きな金がかかっているようには見えない。

「こっちの方が、商売としては現実的なんかもしれんな」

 博之はそう考えた。

 最初のバーのように、何百万円もかけて店を作る余裕はない。

 自分が使える金は四十万円だけだった。

 古い設備を生かし、必要なところだけ直す。

 広之が借りた空きスナックも、方向性としては、こちらに近かった。

 ところが、しばらく飲んでいると、テーブルの下を小さな黒いものが走った。

「今、なんかおらんかった?」

 友人が小声で言った。

「おったな」

 ゴキブリなのか、それに似た虫なのかは分からない。

 ただ、飲食店で見たくないものであることは確かだった。

 博之はグラスを持ちながら、自分の店について考えた。

 高級な内装はいらない。

 古い椅子でも、昔のスナックのカウンターでもいい。

 客が二人か三人来て、ゆっくり話ができれば、それで十分だった。

 しかし、汚い店にはしたくない。

「内装に金かけるぐらいやったら、掃除と虫対策に金かけた方がええな」

 その日の経験で、店づくりの方針が一つ決まった。

 広之は、開店前に専門の清掃業者を入れた。

 カウンターの裏、棚の奥、冷蔵庫を置く予定の場所まで、長年たまった汚れを落としてもらう。

 排水口や配管の周りも確認し、隙間をふさぎ、害虫駆除の薬剤も置いた。

 自分でも、何度も店に通った。

 床を拭き、食器を洗い、棚を外しては、裏側まで掃除した。

「古いのは仕方ない。汚いのはあかん」

 それが博之の基準になった。

 八月の終わり頃からは、YouTubeやSNSでも少しずつ店の宣伝を始めた。

 大げさな開店告知ではない。

「九月から土日のみ、小さいカレー屋とスナックをやります」

「昼は五食限定です」

「一人でやるので、来る前に連絡をもらえると助かります」

 そうした投稿を続けると、動画を見ていた人や、小説を読んでいた人から、少しずつ反応が届いた。

「近いので一回行きます」

「会社の相談を聞いてもらえますか」

「カレーだけ食べに行ってもいいですか」

 本当に客が来るのか半信半疑だった博之は、その返信を見ながら、少しだけ安心した。

 九月の二週目。

 土曜日の昼、五食限定でカレー屋を開いた。

 最初の客は、YouTubeを見ていた男性だった。

 二人目は、近所に住んでいるという会社員。

 三人目は、広之の小説を読んでいる人だった。

 五食すべてが売り切れる日は少なかったが、一日に二人、三人は来てくれた。

 夜は土曜日だけスナックとして営業した。

 酒を出しながら、仕事や人間関係の話を聞く。

 広之自身も酒を飲み、客と一緒にだらだらと話した。

 最終週には、試しに日曜日の夜も店を開けた。

 ただし、相談がある人のみ。

 大人数で騒ぐ店ではなく、仕事や生活に困っている人が、静かに話をしに来る場所として営業した。

 会社で評価されない。

 人付き合いが苦手。

 仕事を辞めたいが、次がない。

 来る客の話は、博之自身の悩みとも重なっていた。

 三週間の営業を終え、博之は売上を集計した。

 昼のカレーと、夜のスナックを合わせて、およそ十五万円。

 想像していたよりも売上は立った。

 しかし、当然ながら十五万円がそのまま利益になるわけではない。

 家賃が三万円。

 清掃費や消耗品、光熱費などの雑費が五万円。

 カレーの食材や酒の仕入れに二万円。

 合計十万円ほどが出ていった。

 残った五万円を、博之自身の給料と考える。

「ちょうどトントンやな」

 大もうけではない。

 設備代を回収するには、まだ何か月もかかる。

 会社員の給与と比べれば、わずかな金額だった。

 それでも、赤字にはならなかった。

 土日だけ、しかも三週間。

 自分の発信を見て、客が店まで来てくれた。

 そして、自分が作ったカレーと、自分との会話に金を払ってくれた。

 その事実は、博之にとって大きかった。

 会社の肩書きがなくても、五万円は稼げた。

 古いスナックでも、きちんと掃除をし、人が安心して話せる場所にすれば、商売になるかもしれない。

 二〇二六年九月。

 博之の小さなカレー屋兼スナックは、利益ゼロに近いところから、静かに動き始めたのだった。

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