2027年8月。2軒のうち最初の1軒は完成形がみえてきた。清掃の仕事を常連さんにふる。がめつい仏様
二〇二七年八月。
一号店については、博之の中で一つの結論が出始めていた。
「まあ、こんなもんやろな」
売上が悪いわけではない。
むしろ、開店した頃から考えれば十分すぎるほどだった。
昼営業もある程度回るようになった。
夜は女性スタッフにも客がつき、一日店長も三人が月に一回ずつ入る。
常連客もいる。
博之自身が毎日店に立たなくても、普通に営業できる。
ただ、これ以上売上を大きく伸ばそうとすれば、何かを変えなければならない。
料金を上げる。
高額な酒を増やす。
席数を増やす。
営業時間を延ばす。
だが、博之はそこまでしたいとは思わなかった。
「一号店は、もうこれでええんちゃうかな」
昼営業では、夜のようにチップが大量に入るわけではない。
カレーや肉じゃがを食べ、コーヒーを飲んで、一時間ほど休んで帰る。
利益率が特別高いわけでもない。
それでも、女性スタッフの給料が払える。
一日店長への報酬も出せる。
博之自身も毎月十万円の給与を取れる。
店にも多少の利益が残る。
「これを一年、二年と続けられるなら、それで十分やろ」
大当たりを狙う店ではない。
潰れず、人が働けて、客が楽しめる。
一号店については、それが完成形なのかもしれなかった。
一方、二号店には、まだ伸びしろがあった。
十席ある。
昼の予約も少しずつ安定している。
喫煙できることを理由に来る客もいる。
夜の女性スタッフにも客がつき始めた。
「こっちは、まだ時間かかるな」
焦る必要はない。
一号店も半年以上かかった。
二号店も同じように育てればいい。
そんな八月のある日。
博之は、二店舗の定期清掃をそろそろ入れようと考えていた。
開店時には専門業者へ頼んだが、客が増え、営業時間も長くなれば、床や水回り、
厨房周辺にはどうしても汚れがたまる。
「二軒まとめて、十二万ぐらい見とくか」
業者を探そうとして、ふと一人の常連を思い出した。
普段は店で酒を飲んでいる中年男性だったが、本業では清掃関係の仕事をしている。
「そういや、おっちゃん清掃やってたよな?」
「やってるで」
「店二軒、ちゃんと掃除してほしいねんけど、仕事として受けへん?」
「え?」
「十二万ぐらいで考えてんねん」
男は一瞬、意味が分からないという顔をした。
「ほんまに?」
「ほんまや。どうせ外の業者に払う金やったら、知ってる人に頼んだ方がええやん」
「いや、俺ここ飲みに来てるだけやで」
「清掃屋でもあるやろ」
数日後、正式に仕事を頼むことになった。
清掃の日程や範囲を決め、必要な道具も確認した。
男は嬉しそうだった。
「なんか、飲みに来てただけやのに仕事決まったわ」
「それでええねん」
「めっちゃありがたいけどな」
「いやいや、俺これやりたくて店やってるところもあるから」
その日の夜。
カウンターには、締め作業を手伝っている常連や、女性スタッフもいた。
清掃の仕事を頼んだ話をすると、
「博之さん、ほんまに仕事回してるんですね」
と女の子が言った。
「前から言うてるやん」
博之は酒を飲みながら答えた。
「俺一人が利益全部取る必要もないと思ってるからな」
もちろん、金はいらないという意味ではない。
店は黒字でなければ続かない。
博之自身も生活しなければならない。
ただ、利益を最大化することだけが目的ではなかった。
「表の目標は、女の子をちゃんと雇うことやな」
「表なんや」
「あと俺が女の子にちやほやされること」
「最低やな」
店内に笑いが起きた。
「いや、でも半分ほんまやで」
博之は笑いながら続けた。
「美容師とか保育士とか、看護関係とか、ちゃんと資格持って働いてても給料低い子おるやろ」
「おるね」
「若い時だけ店でちやほやして、歳いったら知らんわっていうのも、なんか気持ち悪いやん」
夜の店で知り合った女性でも、昼の仕事で苦労している人は多い。
ならば、週に何日かこの店で働き、その分だけ収入を増やせばいい。
「せっかく関わったんやったら、多少は面倒見てもええかなと思ってる」
「めっちゃまともなこと言うやん」
「たまにはな」
そして博之には、もう一つの目標があった。
「裏の目標がおっさんや」
「また弱者男性?」
「そう」
表に立って接客するのが難しくても、できる仕事はある。
締め作業。
清掃。
仕込み。
荷物運び。
買い出し。
今回のように、本職を生かした単発の仕事でもいい。
「一か月フルで雇えんでも、一回三万とか、五万とか仕事渡せたらええやん」
それだけで人生が救えるとは思わない。
だが、ゼロよりはいい。
誰かが必要としてくれた仕事をして、その対価を受け取る。
そこから次につながることもあるかもしれない。
「なんか、随分立派になったな」
常連の一人が言った。
「仏様にでもなるつもりか?」
「ならへんよ」
「でも女の子面倒見て、おっさんにも仕事渡してって、やってること仏様やん」
博之は少し考えた。
「いや、俺ら散々会社とか社会でしんどい思いしてきたやん」
博之自身も、普通の会社員としてうまく働けなかった。
休職を繰り返し、会社の中では評価されず、給料も下がった。
会社という仕組みが嫌いになった時期もある。
「せやから、せめて自分のできる範囲ぐらいは、ちょっと違うやり方してもええかなと思ってるだけや」
偉そうなことを言うつもりはない。
社会を救うつもりもない。
自分の周りにいる十人、二十人ぐらいが、少し楽に生きられればいい。
「まあ、ありがたがってくれるんやったら」
博之は空になったグラスを置いた。
「チップ一枚ぐらい置いて帰ってくれや」
「結局金取るんかい」
「当たり前やろ」
「がめついなあ」
「がめつい仏様やな」
店中に笑い声が広がった。
「ええやん。仏様かて維持費かかるねん」
「寺より生々しいわ」
二〇二七年八月。
一号店は、ほぼ完成形に近づいていた。
二号店も、ゆっくりと客を増やしている。
そして店から生まれた金は、女性スタッフへ、常連客へ、今度は清掃の仕事として、
少しずつ外へ流れ始めていた。
博之自身の取り分を最大にする商売ではない。
それでも、店が潰れない程度に利益を残し、人にも少しずつ仕事を渡す。
「まあ、こんな感じでええんちゃうかな」
博之はそう言いながら、清掃代十二万円の予定を帳簿に書き込んだ。
茨木の路地裏に現れたのは、救世主でも立派な経営者でもない。
チップを要求する、少しがめつい仏様だった。




