2027年7月。2軒の店が色々ぐるぐる回り始めた。軌道に乗りながらも従業員に還元できているっぽい
二〇二七年七月。
梅雨が明け、茨木の街にも本格的な夏がやってきた。
博之の二つの店も、ようやく少しずつ形が固まり始めていた。
特に大きく動いたのは、一号店だった。
六月までにも、博之の知り合いの女性二人が、それぞれ月に一回ずつ一日店長をしてくれていた。
自分の知り合いを呼び、常連客と混ざりながら酒を飲む。
月に二回のイベントとしては、すっかり定着していた。
そこへ七月から、もう一人加わった。
一号店で普段から働いている女性スタッフの一人が、営業後に博之へ声をかけてきた。
「私も、一日店長やってみてもいいですか?」
「やりたいん?」
「月一ぐらいなら。私のお客さんも少し増えてきたし」
「ええやん。やってみ」
最初に働き始めた頃には、酒の場所や延長料金すら確認していた女の子だった。
それが今では、自分を目当てに来る客もいる。
ならば、一度自分で客を呼び、自分の日として営業してみるのもいい。
博之はそう考えた。
「ただし、無茶に高いもん売ろうとせんでええからな」
「分かってますよ」
結果として、その一日店長は予想以上にうまくいった。
友人や常連が集まり、普段より長く滞在してくれる客も多かった。
他の二人の一日店長も負けじと客を呼び、七月は一号店全体の売上が前月より約二十万円伸びた。
「よう売れたな」
月末近く、博之が数字を見ながら言うと、女の子たちも嬉しそうだった。
「じゃあ、もっと高いシャンパン入れましょうよ」
一人が冗談半分で言った。
「それはやらん」
「即答やん」
「ここ、スナックやから」
博之は笑った。
獺祭やカフェ・ド・パリ程度の抜き物は置いている。
だが、一万円、二万円どころではない高額なシャンパンを何本も並べ、客に競わせるような
店にするつもりはなかった。
「そういうんやりたいんやったら、梅田のコンカフェとか北新地とかミナミで試したらええねん」
「ここではあかんの?」
「あかんとは言わんけど、ここの良さ消えるやろ」
博之はカウンターに肘をついた。
「ここは、ゆるく働ける店やねん」
客も、無理をしない。
女の子も、無理に売らない。
博之自身も、毎日必死に数字を追いかけない。
「ほどほどの値段で、ほどほどに飲んで、ほどほどに女の子応援して帰る。それでええやろ」
すると、カウンターにいた常連客が笑った。
「店主が売上伸ばしたくないって、珍しいな」
「伸びるんはええねん。でも客一人から十万取るより、十人が一万円ずつ使ってくれる方が俺は楽や」
「だから俺らずっと居座ってるんやな」
「そう。お前ら回転率めちゃくちゃ悪いからな」
店内に笑い声が響いた。
売上が伸びた分、博之はスタッフの給料も少し上げた。
自分たちで客を呼び、店の売上を作れるようになった以上、その分は還元したかった。
「売れた分、多少は給料に返すわ」
「ほんま?」
「全部は無理やで。家賃も原価もあるし」
「分かってます」
博之にとって重要なのは、一日店長をした女の子が、
「自分でも客を呼べた」
という経験を持つことだった。
店の看板だけではなく、自分自身にも客がつく。
それが自信になれば、二号店や、その先の別の店を任せることもできるかもしれない。
一方、二号店もゆっくりではあるが伸びていた。
こちらは一日店長が大きく売上を作ったわけではない。
伸びていたのは、昼営業だった。
平日のランチは、相変わらず完全予約制。
ホットクックで作るカレー五食。
同じくホットクックで作る肉じゃが五食。
一号店は禁煙。
二号店は喫煙可能。
SNSで予約を募り、数人集まれば店を開ける。
その形が少しずつ知られるようになっていた。
「明日、四人いけます?」
「タバコ吸います?」
「三人吸います」
「じゃあ二号店で」
そんなやり取りが増えてきた。
近くで工事をしている人。
営業途中の会社員。
昼休みに一人になりたい中年男性。
中には、週に何度か予約してくれる客もいた。
カレーや肉じゃがを食べたあと、コーヒーを飲みながら、しばらく座っている。
特に二号店は、タバコを吸えることが強かった。
「ここ、ほんま助かるわ」
そう言ってくれる客も少しずつ増えた。
夜についても、新しく入った女性スタッフたちに客がつき始めていた。
まだ一号店ほど安定してはいない。
それでも、
「二号店のあの子おる?」
と聞かれることが増えてきた。
「ようやく店じゃなくて、人にも客ついてきたな」
博之はそんな変化を感じていた。
七月末。
二店舗の帳簿を並べて見る。
一号店は、一日店長が一人増えたことで大きく伸びた。
二号店も、昼営業と女性スタッフへの固定客が増えたことで、前月より数字が良くなっている。
二店舗を合わせた利益は、六月より十万円から十二万円ほど上乗せされた。
「順調やな」
数字だけ見れば、そう言っていい。
だが博之が見ていたのは、利益額そのものよりも店ごとの差だった。
「やっぱり二号店、まだ一号店より売上低いな」
十席ある。
一号店より広い。
昼営業もできる。
喫煙という特徴もある。
「逆に言えば、伸びしろあるんはこっちやな」
一号店はかなり完成形に近づいている。
女性スタッフも育ち、一日店長も三人。
常連客も多い。
大きく伸ばそうとすれば、高い酒を入れたり、料金を上げたりする必要があるだろう。
だが、それは博之のやりたい店ではなかった。
一方の二号店は、まだ空席がある。
ランチも毎日営業しているわけではない。
スタッフにも、これから客がつく余地がある。
「焦って三号店探すより、まずこっち育てた方がええかな」
そんなことを思いながら、博之は二号店のソファーに寝転がった。
半年ほど前まで、店は一軒しかなかった。
働いている女性もわずかだった。
客に仕事を渡すことなど、まだ妄想に近かった。
それが今では、二店舗ある。
女性スタッフがいる。
一日店長が三人いる。
締め作業を手伝って給料を受け取る常連もいる。
ランチを目当てに来る客もいる。
誰かが客を呼び、その売上から誰かの給料が出る。
その人がまた別の客を呼ぶ。
少しずつではあるが、人と金と仕事が回り始めていた。
「なんか、ほんまにぐるぐるしてきたな」
博之は一人でつぶやいた。
大きな会社ではない。
大成功でもない。
ただ、茨木の古い雑居ビルの中で、二つの小さな店を中心に、人が少しずつ集まり始めている。
二〇二七年七月。
博之は初めて、自分が作りたかったものが、店そのものではなく、
この「ぐるぐる回る仕組み」なのかもしれないと思い始めていた。




