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EP 9

理不尽の襲来と、逃げ腰の主人公

 夜のポポロ村は、不気味なほどの喧騒に包まれていた。

 先ほどまでパチンコ屋のネオンやタローソンの明かりで煌々と照らされていた不夜城の光が、村の防衛魔導具アラートの作動と共に一斉にブラックアウトしたのだ。

 暗闇の中、俺たちは村の西側――鬱蒼と茂る『魔の森』との境界線に張られた防衛ラインへと駆けつけていた。

「なんだ、あれ……」

 最前線に到着した俺は、息を呑み、思わず一歩後ずさった。

 森の奥から、地鳴りのような低い音が響いてくる。木々がなぎ倒され、土煙が舞い上がる。

 暗視効果のある魔力眼を凝らすと、そこには絶望的な光景が広がっていた。

 数え切れないほどの赤い瞳。

『シャドウウルフ』の群れを先頭に、巨体の『マッドボア』、さらには空を覆い尽くすような『ポイズンバット』の大群。

 推定数百。いや、千頭を超えているかもしれない。

 それらが、何かに追われるように狂乱状態となり、ポポロ村の光(今は消えているが)を目指して一斉に雪崩れ込んできているのだ。

「冗談だろ……スタンピード(魔獣の暴走)じゃねえか。なんでこんな緩衝地帯で!」

「おそらく、森の奥で上位の魔物か何かが縄張り争いでも起こしたんでしょう。それに押し出される形で、下位の魔獣たちが溢れ出してきたんです!」

 安全靴を履いたウサギ耳の村長、キャルルが両手に鋼鉄製のダブルトンファーを構えながら叫ぶ。

 俺は即座に、自分の魔法ポーチの紐を固く結び直し、キャルルの肩を掴んだ。

「村長! こんな数、まともに相手してたら死ぬぞ! ギルドの資料で見た。この村には、ドンガン地下帝国と繋がってる『魔導核シェルター』があるはずだろ!? 迎撃なんかやめて、村人全員をそこに避難させるのが先決だ!」

「分かっています! すでに避難誘導は開始しています!」

 キャルルは俺の手を振り解き、前線へと歩み出た。

「でも、村人千人が地下に避難し終えるには、最低でもあと十分はかかります! それまで、自警団と地域応援隊で、この防衛ラインを死守しなければならないんです!」

「十分!? 馬鹿言うな、あんな波に飲まれたら一分で挽肉にされるぞ!」

 俺の小市民メンタルと生存本能が、ガンガンと頭の中で警鐘を鳴らしている。

 俺は『フリーランスの冒険者』だ。村と心中する義理なんてどこにもない。命あっての物種だ。怪我をすれば仕事ができなくなる。

(逃げよう。俺は後方支援だ。前線が崩壊する前に、一番安全なルートで地下シェルターにバックレるのが正解だ)

 俺がそろりそろりと後退を始めたその時、最前線で激突が始まった。

「月影流――顎砕きッ!!」

 キャルルがトンファーでマッドボアの牙をへし折り、そのまま闘気を込めた膝蹴りで、軽自動車ほどの巨体を宙に浮かせた。

「アァーッ! なんで俺がこんな目に! 死んだ犬の葬式に行かせてくれぇぇぇっ!!」

 フェイトが涙目になりながらも、ミスリルソードを振り回し、シャドウウルフの群れを次々と斬り伏せていく。A級冒険者の肩書きは伊達ではなく、彼が剣を振るうたびに魔獣の死骸が積み上がっていく。

「五円! 五円! 魔石を落とすなら五百円でもよくってよ!!」

 リーザに至っては、お賽銭箱型掃除機を振り回し、魔獣が落とす魔石やドロップアイテムを掃除機で吸い込みながら、狂ったように前線を走り回っている。

(あいつら、頭おかしいんじゃないのか……!?)

 確かに三人とも異常に強い。だが、数の暴力には限界がある。

 キャルルたちが前線で暴れれば暴れるほど、魔獣たちは横へと広がり、防衛ラインの隙間を縫って村の内部へと侵入しようとしていた。

「エイトさん! 右翼が薄いです! 弓で牽制を!」

「無茶言うな! 俺は遠距離攻撃メインだ、乱戦に巻き込まれたら死ぬんだよ!」

 俺は防衛ラインの遥か後方、比較的安全な建物の屋根の上に陣取り、魔獣の足を鈍らせるための『睡眠矢』や『麻痺矢』をパラパラと撃ち下ろしていた。

 だが、あくまで「俺の身が安全であること」を最優先にした牽制だ。死力を尽くす気など毛頭ない。

 俺の目は、すでにシェルターへの最短ルートを計算し始めていた。

 ――その時だった。

 キリキリキリッ、と。

 暗闇の森の奥から、耳障りな金属音が響いた。

 前線で戦うキャルルたちを飛び越え、巨大な影が村の広場へと着地する。

「なっ……!?」

 俺は屋根の上で息を呑んだ。

 それは、全長五メートルを超える、巨大なカマキリのような魔物だった。しかし、ただの生物ではない。外殻は鋼鉄のように黒光りし、鎌の部分は鋭いチェーンソーのように回転している。

死蟲機ネクロバグ』の一種、死蟷螂機ネクロマンティス

 古代大戦の遺物とも呼ばれる、最悪の殺戮兵器だ。

 そいつは、前線のキャルルたちには目もくれず、背中の翅を震わせて広場へと侵入した。

 その視線の先にあるのは――地下シェルターへの避難が遅れ、親とはぐれてしまい、広場の真ん中で転んで泣きじゃくっている一人の『小さな女の子』だった。

「あっ……!」

 ネクロマンティスが、チェーンソーのような鎌を振り上げる。

 距離が遠すぎる。前線で魔獣の波に飲まれているキャルルやフェイトには、絶対に間に合わない。

 屋根の上にいる俺からは射線が通っているが、あんな鋼鉄の化け物に普通の矢を撃ち込んだところで、弾き返されるのは目に見えている。

(ダメだ。俺にはどうしようもない。見ろ、あんな化け物に目をつけられたら終わりだ。俺は隠れて、シェルターに……)

 俺が目を背けようとした、まさにその瞬間だった。

「――ファンを見捨てるアイドルなんて、三流以下ですのッ!!」

 ボロボロの芋ジャージが、夜の広場を疾風のように駆け抜けた。

 リーザだった。

 彼女はパンの耳をポケットにねじ込み、愛用のお賽銭箱型掃除機を盾にするようにして、女の子と化け物の間に立ちはだかったのだ。

 ギガァァァッ!!

 ネクロマンティスの巨大な鎌が、無慈悲に振り下ろされる。

 ガキンッ!! という鈍い金属音と共に、リーザの掃除機が真っ二つに粉砕された。

 それだけではない。相殺しきれなかった衝撃と刃の先端が、リーザの華奢な体を容赦なく切り裂いた。

「あ、ぐぅっ……!」

 鮮血が舞う。

 リーザの体が宙を舞い、石畳に叩きつけられた。

 芋ジャージが血に染まり、彼女は激しく咳き込んで血を吐き出す。それでも彼女は、背後の女の子を庇うように立ち上がり、震える足で両手を広げた。

「だ、大丈夫ですわ……。絶対無敵のスパチャアイドルは……こんなところじゃ、終わらないんですの……」

 強がりだ。誰の目から見ても、致命傷に近い。

 ネクロマンティスは冷酷な機械の瞳を光らせ、次こそ確実に二人の命を刈り取ろうと、両手の鎌を高く掲げた。

「リーザちゃんッ!!」

 遠くでキャルルの悲痛な叫び声が聞こえるが、魔獣の波に阻まれて身動きが取れない。

 俺は。

 俺は屋根の上で、ガクガクと震える膝を押さえつけていた。

 理不尽だ。

 あの人魚は、パンの耳のために野良犬と喧嘩するような、強欲で底辺なバカ女だ。アイドルだなんて自称しているが、ただの極貧な女の子にすぎない。

 そんな奴が、自分より弱い子供を庇って、今まさに理不尽な暴力によって殺されようとしている。

 ――あの日と、同じだ。

 俺の脳裏に、前世の光景がフラッシュバックする。

 深夜のコンビニ。薄暗い路地裏。

 見ず知らずの女性を、凶刃から庇った時の、あの絶望と熱さ。

『ここで逃げたら、正真正銘のゴミになっちまう』

(……逃げろ、只野英太。お前は事勿れ主義のビビりだ。フリーランスは怪我をしたら終わりなんだろ? 母さんの教えを守って、ここで震えていれば、お前は安全だ)

 理性と生存本能が、そう俺に囁きかける。

 だが。

(……うるせえよ)

 俺の心臓の、あのやかましい鼓動が。

 ドクン、というひと際大きな音を立てたのを最後に、ピタリと止まったような錯覚を覚えた。

 極限の恐怖が、サァーッと波が引くように消え去っていく。

 代わりに、脳の髄から氷水を被ったような、恐ろしいほどの冷たさと、凪いだ感情が俺の思考を支配した。

「……あーあ、仕方ねえ」

 唇から、前世の最期と同じ言葉がこぼれ落ちた。

 精神的な迷いは、完全に消え去っていた。

 指先の震えは止まり、呼吸はこれ以上ないほどに深く、静かになる。

(俺は、平和なスローライフを送りてえんだよ)

 俺はショートボウを握り直し、ゆっくりと屋根の上から立ち上がった。

(俺の平穏を邪魔するクソ野郎には――地獄を見せなきゃな)

 覚悟を決めた最強のビビりの瞳に、狂気の灯りが点る。

 俺はポーチから特殊な矢を数本抜き取ると、屋根を蹴り、理不尽が暴れ狂う最前線のど真ん中へと躍り出た。

読んでいただきありがとうございます。

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