EP 6
スキルの進化『間接タッチ(狙撃)』と、二十歳の就職活動
帝都郊外に広がる、昼なお暗い『魔の森』。
初心者冒険者たちが腕試しに訪れるこの森の、地上から約十メートルの高さにある大木の枝の上に、俺は身を潜めていた。
「……よし、ターゲット発見」
息を殺し、葉の隙間から眼下を覗き込む。
百メートルほど先の開けた場所に、一頭の巨大な魔獣がいた。
『マッドボア』――軽自動車ほどの巨体を持つ、凶暴な魔猪だ。その周囲には、マッドボアの縄張りに迷い込んでしまったらしい十頭ほどの『シャドウウルフ』の群れが、怯えたように唸り声を上げて威嚇している。
だが、戦力差は歴然。マッドボアが一度突進すれば、狼の群れなど一蹴されるだろう。
俺は、背中に背負ったショートボウをゆっくりと構えた。
矢をつがえ、ギリリと弦を引き絞る。
(仮説の証明だ。俺の魔力と闘気を込めた矢が、俺自身の『身体の延長』としてシステムに誤認されるかどうか……)
前世の工業高校で学んだ電気回路の知識をイメージする。
矢は単なる木と鉄の棒ではない。俺の魔力(電流)を目標に流し込むための『導線』だ。
フゥーッ、と細く息を吐き、闘気を矢の先端に一点集中させる。
俺の心音は驚くほど静かだった。前世で不良にカツアゲされた時は足が震えていたのに、安全圏から一方的に狙撃する状況だと、俺の脳はどこまでも冷徹に稼働するらしい。
「――いけ」
弦を弾く。
ヒュンッ! という鋭い風切り音と共に放たれた矢は、百メートルの距離を瞬時に縮め、マッドボアの分厚い首の皮にスッと浅く突き刺さった。
『ブギィッ!?』
蚊に刺された程度の痛みに、マッドボアが鬱陶しそうに身震いする。
だが、致命傷を与える必要など、最初からなかった。矢が対象に『接触』した、その事実だけで十分なのだ。
俺は木の上から、ニィッと口角を吊り上げた。
「――【鬼ごっこ】、発動」
《ピロン♪》
俺の脳内にのみ、あの無機質なシステム音が響いた。
その瞬間、森の空気が『変質』した。
世界の因果律が書き換えられ、絶対的なルールが押し付けられる感覚。
先程までマッドボアに怯えていたシャドウウルフたちの動きが、ピタリと止まった。
いや、狼たちだけではない。森の木々に止まっていた鳥たちも、足元を這い回っていた虫たちでさえも、すべての生き物の視線が、一斉にマッドボアへと向けられたのだ。
『グルルルルルルッ……!!』
狼たちの瞳が、血走った真っ赤な色に染まる。
それは恐怖ではない。圧倒的なまでの『生理的嫌悪』と『明確な殺意』だった。
『ブギ、ブギュウウウウッ!?』
突然、森中のあらゆる生物から底知れぬ憎悪を向けられたマッドボアは、何が起きたのか理解できず、パニックを起こして後ずさった。
しかし、遅い。
「アォォォォンッ!!」
シャドウウルフの群れが、死への恐怖を完全に忘れ、狂ったようにマッドボアへと襲いかかった。
普段なら絶対に歯が立たない相手だ。次々とマッドボアの牙で弾き飛ばされ、肉を抉られる狼たち。しかし、彼らは自身の臓物など気にも留めず、ひたすらにマッドボアの喉笛に食らいついていく。
上空からは無数の鳥たちがマッドボアの眼球を狙って急降下し、足元からは毒を持った蟲の大群が皮膚を這い上がる。
『ブギィィィッ! ギィィィィヤァァァァァッ!!』
それは、文字通りの地獄だった。
森の生態系すべてを敵に回した魔猪は、逃げることも許されず、絶望の悲鳴を上げながら、身の毛もよだつ『同士討ち』の渦に呑み込まれていった。
「……うわぁ、エグッ」
大木の枝の上で、俺は魔法ポーチから取り出した紙パックの野菜ジュースをチューチューと吸いながら、その凄惨な光景を見下ろしていた。
「マジで成功しちゃったよ。間接付与による【鬼ごっこ】。……これ、この世界のシステムを完全にハックしてるじゃん」
俺は一切の汗をかかず、血を一滴も流していない。
ただ遠くから矢を一本当てただけで、格上の魔獣が勝手に自滅していく。
対象が死滅したことで、スキルの効果は自然と解除された。残ったのは、マッドボアの無惨な死骸と、満身創痍になって倒れ伏す狼たちだけ。
俺の与えられたハズレスキルは、弓術という『アウトソーシング技術』と合わさった瞬間、安全圏から敵を社会構造ごと破滅させる『最悪のハメ技』へと進化したのだ。
「フフッ……あははははっ! 最高だ! これで俺は、絶対に安全な場所から、誰にもバレずに敵を始末できる! 俺のフリーランス人生、大勝利確定だ!」
俺は枝の上で、悪い魔王のような高笑いを響かせた。
母さんの法的ざまぁ(ルールによる蹂躙)を、俺なりのやり方で戦闘に落とし込んだ瞬間だった。
* * *
それからさらに数年の時が流れ――俺は、二十歳の成人を迎えていた。
母・マリアの地獄のスパルタ教育と、徹底的な効率化の修行を完遂した俺のステータスは、控えめに言って「完成」されていた。
【剣術B】【弓術S】【体術B】【闘気B】【魔法A】【悪知恵S】。
フリーランスとして生き残るために必要な能力だけに極振りした結果だ。
姿見の前に立つ。
現在の俺の装備は、地球のスポーツメーカーが作っているような『防刃素材の黒ジャージ』の上下。そして、心臓や首といった急所部分にだけ、ドワーフ製の軽量ミスリルプレートを仕込んだ、動きやすさと生存率に特化した超実戦的(かつ、死ぬほどダサい)ラフな格好だ。
腰に下げた『魔法ポーチ』の中には、ショートボウと通常矢のほかに、毒矢、睡眠矢、爆薬、撒菱、ポーション類からキャンプ用品まで、およそ思いつく限りの「嫌らしい罠と生存アイテム」がギッシリと詰まっている。
「よし。これでいつ実家から放り出されても生きていけるな」
俺は進学校の卒業を機に、冒険者ギルドへと足を運んだ。
フリーランスとしての初仕事を探すためだ。
ギルドの掲示板には、血の気の多いクエストがズラリと並んでいる。
『ワイバーンの討伐』『盗賊団のアジト殲滅』『アバロン魔皇国国境での防衛戦』。
どれもこれも、見ているだけで胃が痛くなるようなブラック案件ばかりだ。
(冗談じゃねえ。なんで俺が命懸けでモンスターと殴り合わなきゃいけねえんだよ。もっとこう、安全で、適当にサボれて、のんびりした仕事はねえのか?)
掲示板の端から端まで探し回り、やがて、一番隅っこに貼られていた一枚の羊皮紙に目が止まった。
『急募:ポポロ村・地域応援隊』
【業務内容】村の自警団のサポート、農作業の手伝い、簡単な害獣駆除。
【給与】月給三十万円相当(歩合あり)。宿・まかない付き。
【備考】豊かな自然に囲まれた緩衝地帯の農村です。スローライフを満喫しながら、村の発展に貢献してみませんか?
「……これだッ!!」
俺はガッツポーズをした。
辺境の村での農作業と、簡単な害獣駆除。まさに俺が前世から夢見ていた、のどかで平和なスローライフそのものじゃないか!
ルナミス帝国と獣人王国、魔族の国の緩衝地帯という場所柄は少し気になるが、田舎の農村ならそこまで大規模な戦闘なんて起こるまい。
「すいません! このポポロ村のクエスト、俺が受けます!」
受付嬢に羊皮紙を叩きつけ、俺はウキウキ気分でギルドを後にした。
美しい自然。美味しい空気。村人たちとの温かい交流。
俺の完璧なフリーランス計画が、ついに実を結ぶのだ。
――しかし。
この時の俺は、完全に舐め腐っていた。
その「ポポロ村」が、俺の前世の歓楽街も裸足で逃げ出すほどに資本主義の欲望が渦巻くカオスな不夜城であり、そこに集う同僚たちが、どいつもこいつも一筋縄ではいかない「ヤバい奴ら」ばかりだということに。
最強のビビりによる、全くスローじゃない辺境再就職ライフが、今ここに幕を開けたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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