EP 4
母の圧倒的『法的ざまぁ』と、最強の悪知恵の芽生え
「……はっ! 負債の一括返済だと? 馬鹿馬鹿しい!」
静まり返った礼拝堂の中で、ゴートンは鼻で笑った。
彼は腕を組み、分厚い胸板を逸らしてマリアを見下ろす。その顔には、女の浅知恵を嘲笑うような傲慢さが張り付いていた。
「マリアよ、貴様は元銀行員だか何だか知らんが、ここはミリシア伯爵領だぞ! 俺はこの土地の領主であり、法そのものだ。貴様のような小娘が持ち出した紙切れ数枚で、この俺がどうにかなるとでも思っているのか?」
「……本当に、救いようのない方ですね。旦那様」
マリアは氷のような視線をゴートンに向け、手にした分厚い書類の束――バインダーの金具をパチンッと外した。
「建国者である佐藤太郎様が、このルナミス帝国に『近代法』と『資本主義』という概念を持ち込んでから百年。もはや、貴族が己の武力と血筋だけで法を捻じ曲げられる時代は、とうの昔に終わっているのです」
マリアは書類の一枚を抜き出し、ゴートンの顔の前に突きつけた。
「まずは『財産分与』と『不当な婚姻破棄による慰謝料』についてです。ルナミス帝国家族法・第十二条に基づき、正当な理由のない一方的な離縁は、有責配偶者に対して莫大な違約金が発生します」
「正当な理由ならあるだろうが! その三男坊は忌み子だ! 我が家に泥を塗る不良債権だ!」
「帝国の法律において、三歳児のスキル検査の結果は『法的な瑕疵』には該当しません。むしろ、それを理由に追放することは『児童虐待』および『貴族の保護責任放棄』として、帝国法務省から重罰が下されますよ?」
マリアの言葉に、神父が青ざめた顔でコクリと頷いた。
教会の神父は、帝国の戸籍や法律の証人も兼ねているのだ。
「なっ……」
「慰謝料の請求額は、旦那様の総資産の約五十パーセント。現金、および領地の一部を差し押さえさせていただきます。……ですが、これはほんの序の口ですわ」
マリアは冷酷な笑みを深め、次の書類を取り出した。
「問題は、ミリシア伯爵領の『財務状況』です。旦那様……あなたは、ご自身の領地が現在どれほどの『大赤字』を垂れ流しているか、ご存知ですか?」
「あ、赤字だと? 馬鹿な! 我が領地からは毎年、十分な税が上がっているはずだ!」
「ええ、税収はあります。しかし、あなたの『無駄遣い』がそれを遥かに上回っているのです」
マリアは、魔法で空中に数式とグラフを投影する魔導具を起動した。
空中に浮かび上がったのは、見事なまでの右肩下がりの折れ線グラフだった。
「一年前、あなたが『男の浪漫だ』と言って購入した、ドワーフ製の魔導戦車の維持費。半年前、怪しげな商人から騙されて買った、ただ光るだけの偽物の魔剣。さらに、違法な地下の『魔獣コロシアム』での莫大なギャンブルの負け金……」
「き、貴様……なぜそれを……!」
「私はこの家の帳簿をすべて管理しているのですよ? 当然でしょう」
ゴートンの額から、ダラダラと嫌な汗が流れ始めた。
「これらの赤字を補填し、ミリシア領が破産しないように、ルナミス中央銀行および私の実家から、私が個人的な信用で『超低金利の融資』を行ってあげていました。……その総額、金貨にして約五万枚(日本円にして約五億円)」
金貨五万枚。
その途方もない額を聞いた瞬間、ゴートンの巨体がグラリと揺れた。
「私という保証人がこの家から離れる以上、契約に基づき、この融資は『即時一括返済』となります。もちろん、慰謝料とは別枠で、です」
「ば、馬鹿な……そ、そんな金、あるわけがないだろう!」
「ええ、知っています。ですから、代物弁済として、本邸以外の別荘、保有する魔導列車関連の株券、さらには今後の税収の七割を、むこう三十年間にわたり差し押さえさせていただきます」
それは、ミリシア伯爵家が完全にマリアの『奴隷』になることを意味していた。
武力も闘気も一切使わず。ただ、紙切れとルールを突きつけるだけで、一国の伯爵を完全に社会的な死へと追いやったのだ。
「ふ、ふざけるなああああっ!!」
ついに追い詰められたゴートンは、獣のような咆哮を上げた。
全身から爆発的な闘気を立ち昇らせ、腰に差していた宝剣を抜き放つ。
「俺はゴートン・ミリシアだ! このような紙切れの暴力、力でねじ伏せてくれるわ! 貴様ら母子ごと、ここで斬り捨てて……!」
「――おやりなさい」
剣を振り上げたゴートンに対し、マリアは微動だにしなかった。
ただ、メガネのブリッジを押し上げ、絶対的な強者の目で夫を見据えた。
「ただし、元・ルナミス銀行幹部である私を斬れば、それは『帝国金融界への重大なテロ行為』と見なされます。一時間後には、帝国軍の近衛騎士団がこの領地に雪崩れ込み、旦那様は反逆罪で処刑。領地は取り潰しです」
ピタリ、と。
ゴートンの剣が、マリアの頭上わずか数センチのところで止まった。
「さあ、振り下ろしてごらんなさい。あなたのその自慢の『闘気』と『剣』で、帝国の『インフレ』と『経済制裁』を斬り伏せることができると言うのなら」
カラン……。
ゴートンの手から宝剣が滑り落ち、石畳の床に虚しい音を立てた。
圧倒的な敗北。
武力という暴力が、経済と法律という『より巨大な暴力』の前に完全に屈服した瞬間だった。
大男のゴートンは、その場に膝から崩れ落ち、頭を抱えてすすり泣き始めた。
「あ……ああ……俺の、俺の領地が……ミリシア家の誇りが……」
* * *
(……す、すげえ……!!)
その一部始終を神父の腕の中で見ていた俺は、背筋にゾクゾクとするような電流が走るのを感じていた。
前世で、不良や上司の理不尽な暴力にビクビクして逃げ回っていた俺。
だが、母・マリアの戦い方は違った。
直接殴り合わない。血を一滴も流さない。
相手を自分の土俵に引きずり込み、逃げ道を完全に塞いでから、合法的に息の根を止める。
これぞ、俺が求めていた究極の戦い方だ。
(力で勝てないなら、ルールでハメればいい。システムの抜け穴を突き、悪知恵で相手を盤面ごとひっくり返す……!)
俺の心の中にあった前世の「バックレ根性」が、母の姿を見て『最強の悪知恵』へと完全に昇華された瞬間だった。
俺の与えられたハズレスキル【鬼ごっこ】。これも、一見すると最悪のデバフだが、ルールを逆手にとれば、とんでもない悪用ができるのではないか?
そんな予感が、俺の胸を高鳴らせていた。
「さあ、エイト。こんなカビの生えた貧乏屋敷とはお別れよ」
マリアはすすり泣くゴートンをゴミでも見るように一瞥すると、俺を抱き上げ、颯爽と礼拝堂を後にした。
* * *
数時間後。
俺とマリアは、ゴートンからむしり取った慰謝料(莫大な現金)を使い、帝都郊外の超一等地に建つ、広大な一軒家(というより豪邸)に到着していた。
ふかふかの絨毯。最新式の魔導シャンデリア。広い庭には手入れの行き届いた芝生が広がっている。
雇われた優秀なメイドたちが、次々と荷物を運び込んでいく。
「ふぅ……。ようやく、あのような脳筋の男から解放されたわ。エイト、今日からここが私たちの新しいお城よ」
「あーうー!(訳:最高だぜ母ちゃん!)」
俺は豪邸のふかふかなソファーに転がり、手足をバタバタさせて喜んだ。
前世の四畳半のコタツ部屋とは比べ物にならない快適空間。
親父からの厄介な期待もなくなり、金は腐るほどある。
完璧だ。これぞ俺が求めていた究極のニート生活。これからは毎日、このふかふかのソファーでゴロゴロしながら、美味いものを食って一生を終えるんだ。
俺が勝利の余韻に浸りながらスローライフの計画を脳内で練っていると、マリアがソファーの前に、キャスター付きの『巨大なホワイトボード』をガラガラと運んできた。
「……ん?」
嫌な予感がして顔を上げると、マリアは銀縁メガネを光らせ、手には指示棒を持っていた。
「さて、エイト。お家騒動のゴミ掃除も終わったことだし、ここからが本題よ。……貴方の『将来の夢』について、具体的な面談を始めましょうか」
「あ、あう?」
「あなたは私の子。ただの穀潰しになることは、この私が許しません。さあ、どのようなキャリアプランを描いているのかしら?」
マリアの瞳の奥に、ゴートンを追い詰めた時と同じ『凄腕コンサルタント』の冷たい光が宿っている。
俺は直感した。
この母親の前で「一生ニートでいたいです」などと答えれば、間違いなく法的・経済的に詰められ、最悪マグローザ漁船にドナドナされる。
「あ、う……りふじん、たすけたい……ぼうけんしゃ、なりたい」
俺は必死に舌を回し、幼児のたどたどしい言葉で「理不尽な目に遭っている人を助けたい。冒険者になりたい」と捻り出した。
前世の最後に女性を助けた時の、あの奇妙な高揚感。あれが嘘だったわけではないし、何より「冒険者」なら、ある程度は自分のペースで仕事ができる(バックレられる)と思ったのだ。
俺の言葉を聞いたマリアは、少しだけ目を細め、小さく頷いた。
「なるほど。誰かの下で働く組織人ではなく、『フリーランス』をご所望なのね。いいでしょう、エイト。あなたのその意志、尊重します」
ホッ、と俺が安堵の息を吐いた次の瞬間。
マリアは指示棒でホワイトボードをビシッと叩いた。
「ではエイト。たった今から、あなたのフリーランスとしての『人生設計シート』を作成します」
ホワイトボードに、マリアの流れるような文字で恐ろしいスケジュールと計画が書き込まれていく。
「フリーランスにおいて最も重要なのは『身体が資本』であるということ。剣術道場? 論外です。接近戦で怪我をすれば、その時点で仕事はアウト、収入はゼロです。一番生存率が高く、アウトソーシング(遠距離からの支援)が可能な『弓術』を習いなさい」
「あうっ!?」
「そして、フリーランスになるにしても、社会的な信用と保険は必須です。必ず労働組合には加入すること。学校は、帝都で一番の進学校へ行かせます。自宅での魔法学習は毎日三時間。……テレビゲームは、一日一時間までです」
最後の一言に、俺は絶望の声を上げた。
(ひいいいいいいっ!! 前世の親より百倍厳しいじゃねえか!!)
俺の憧れた甘いスローライフは、幻と消えた。
こうして、最強の悪知恵を持つ母親による、最も安全で、最も効率的で、最も過酷な『最強のフリーランス冒険者育成計画』が、幕を開けたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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