EP 11
発動!【間接・鬼ごっこ】の最悪なハメ技
ギギギギギギギィィィィィィッ!!
夜気を切り裂くような、死蟲機特有の不快な駆動音が迫る。
茨の檻を強引に突破した『死蟷螂機』が、鋼鉄の巨体をバネのように弾かせ、俺の首を刎ね飛ばすべく跳躍した。
両腕のチェーンソーが、月明かりを反射して凶悪な弧を描く。
「エイトさんッ!!」
キャルルの悲痛な絶叫が響く。
並の冒険者なら、死を覚悟して目を閉じるか、恐怖で立ちすくむかの二択だろう。
だが、今の俺の心音は、不気味なほどに凪いでいた。
(……デカい。速い。装甲も硬い。まともにやり合えば、十秒で俺の首が飛ぶな)
迫り来る死の刃をスローモーションのように感じながら、俺の脳内は極めて事務的に敵のスペックを分析していた。
俺のステータスは【体術B】と【闘気B】。決して前衛のスペシャリストには及ばないが、母・マリアの地獄の特訓によって「致命傷を避ける(生き残る)」ことに関してだけは、異常なまでの反射神経を身につけていた。
ヒュンッ!
俺は闘気を両足に集中させ、背中から地面に倒れ込むようにして、ネクロマンティスの大鎌を紙一重でスライディング回避した。
前髪の数本が刃に触れ、パラパラと散る。
だが、それで十分だ。
俺は地面を滑りながら、すでに手の中のショートボウを引き絞っていた。
番えられた一本の矢。
それに、俺のありったけの魔力と闘気を注ぎ込む。矢の先端が、限界まで圧縮されたエネルギーによってチリチリと青白い火花を散らす。
(俺の『身体の延長』たるこの矢を、お前のシステムに叩き込む!)
「――ッ!!」
無音。
仰向けの体勢から、俺は弦を弾いた。
放たれた矢は、俺の頭上を通り過ぎようとしていたネクロマンティスの装甲の隙間――首の関節部分に向かって、吸い込まれるように突き刺さった。
ガキンッ!
浅い。装甲に弾かれ、矢は数センチしか刺さっていない。
ネクロマンティスの巨体からすれば、文字通り『蚊に刺された』程度の衝撃だ。機械の化け物は、鬱陶しそうに首を振り、着地と同時に再び俺へ向き直ろうとした。
だが、それでいい。
『触れる』ことさえできれば、俺の勝ちなのだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、ジャージの土を払いながら、悪魔のように唇を吊り上げた。
「――【鬼ごっこ】、発動」
《ピロン♪》
俺の脳内に、無機質なシステム音が響き渡る。
それは、世界を管理する女神の定めた、絶対的な『因果律の書き換え』の合図だった。
その瞬間。
戦場を包み込んでいた喧騒が、嘘のようにピタリと止んだ。
フェイトを追い回し、茨の檻で燃え盛っていた一千頭の魔獣たち。
彼らの動きが、まるで時が止まったかのように静止したのだ。
シャドウウルフも、マッドボアも、上空を旋回していたポイズンバットたちも、すべての魔獣が、ピクピクと鼻先を震わせ――一斉に、振り返った。
彼らの視線の先にあるのは、ただ一つ。
矢を突き立てられた、巨大な『ネクロマンティス』の姿だった。
「……な、なんだ? 魔獣どもが、急に俺を追うのをやめたぞ?」
囮になって逃げ回っていたフェイトが、息を切らしながら立ち止まる。
当然だ。
今、あのネクロマンティスは、俺のハズレスキルによって【鬼】に指定された。
それはつまり、この場にいるすべての生き物から『生理的嫌悪の塊』であり、『この世で最も憎悪すべき絶対的な敵』としてシステムに誤認されたということだ。
フェイトの放つ不運のヘイトなど、今のネクロマンティスが放つ『存在自体が不快(ヘイトMAX)』という呪いの前には、霞んで消える。
『グルルルルルルルッ……!!』
『ブギィィィィィィィッ!!』
魔獣たちの瞳が、一瞬にして真っ赤に染まった。
彼らの喉の奥から漏れるのは、もはや獣の唸り声ではない。己の命を投げ打ってでも、目の前の『不快な物体(鬼)』をこの世から消し去らなければならないという、強迫観念に駆られた狂気の叫びだ。
ギガ……?
ネクロマンティスが、機械音で戸惑うような音を立てた。
無理もない。つい数秒前まで、自分に従っていた手駒の群れが、突然、自分に対して異常な殺意を向けているのだから。
「アォォォォォンッ!!」
決壊したダムのように。
一千頭の魔獣たちが、俺の構築した茨の檻を自らの肉体でなぎ倒し、一直線にネクロマンティスへと殺到した。
ガガガガガッ!! ギャンッ!
ネクロマンティスは防衛本能でチェーンソーの鎌を振り回し、群がってくるシャドウウルフたちを次々と挽肉に変えていく。
だが、魔獣たちに恐怖はない。システムによって書き換えられた脳は、ただ【鬼】を殺すことしか考えていないのだ。
マッドボアが自身の牙が折れるのも構わずにネクロマンティスの鋼鉄の脚に突進し、関節をひしゃげさせる。
ポイズンバットの大群が、回転する鎌の隙間を縫ってネクロマンティスの複眼に張り付き、毒の牙をありったけ突き立てる。
ギィィィィィィィヤァァァァァァッ!!!
広場の中央で、巨大な機械の化け物が、自らの軍勢の『同士討ち』によって生き地獄を味わっていた。
装甲が剥がされ、配線が千切られ、緑色の体液が夜の広場に撒き散らされる。
それは、弱肉強食という言葉すら生ぬるい、狂乱のリンチだった。
「……う、うわぁ……」
傷ついたリーザが、震える声で呟く。
「何ですの、これ……。どうして、魔物の群れが、自分たちのボスを……?」
「エイトさんが、矢で何かをしたんです。……恐ろしい。これが、エイトさんの本当の戦い方……」
キャルルが、呆然としながらも、その瞳に熱っぽい光を宿して俺を見つめていた。
俺は、魔法ポーチから取り出した水筒のキャップを開け、陽薬茶を一口飲んで喉を潤した。
「フリーランスってのはな、自分の手を汚さずに仕事を回すのが一番偉いんだよ」
俺は、凄惨な同士討ちの光景を眺めながら、誰に言うでもなく呟いた。
「俺は絶対に前線には出ないし、リスクも背負わない。……お前らが俺の平穏なスローライフをぶち壊したんだ。その落とし前は、お前ら自身の命で払ってもらう」
数分間続いた狂乱の宴。
やがて、数に任せてネクロマンティスを食い破っていた魔獣たちも、その大半がボスの反撃によって全滅し、息絶えていった。
広場に残ったのは、無数の魔獣の死骸の山と。
両腕の鎌をへし折られ、六本の脚のうち四本を失い、装甲の隙間から火花を散らしながら、這いつくばるようにして俺を睨みつける『ネクロマンティス』の無惨な姿だけだった。
ギ……ガ……ガガ……。
満身創痍。
だが、まだ息はある。機械の執念で、這ってでも俺を殺そうと向かってくる。
「さて、と」
俺はショートボウを肩に担ぎ、忌まわしいゴミを見るような目でボスを見下ろした。
「不良品の廃棄処理の時間だ。……出番だぞ、イフリート」
俺が指を鳴らすと、魔法ポーチの中から、ボワァッ! と凄まじい熱波と共に、炎の上位精霊である巨大な魔人が現界した。
『クハハハハッ! 相変わらずえげつない戦法よな、我が主! で、我の仕事はあの残飯処理か!』
「ああ。逃げられないように、退路を断て。指定座標はあいつの周囲半径五メートルだ」
『承知ッ!!』
イフリートが両腕を振り上げると、ネクロマンティスを取り囲むように、巨大な炎の竜巻が発生した。
『バーニング・トルネード』。
数千度の炎の壁が、ボスの退路を完全に塞ぐ。機械の装甲が熱でドロドロに溶け出し、ネクロマンティスは炎の檻の中で絶望の金切り声を上げた。
(仕上げだ)
俺はポーチの一番奥にしまってあった、特別な『矢』を一本取り出した。
ミスリル製の一体成型。俺のありったけの魔力と闘気、そして自然、炎、氷、雷の四属性を同時に乗せるために特注した、一本十万円(金貨十枚)は下らない超高級品。
覚悟を決めた俺の心は、どこまでも冷たく、静かだ。
弦を引き絞り、矢の先端に、ありったけの『理不尽への殺意』を込める。
理不尽を裏から撃ち抜く、フリーランス最強の決まり手。
矢の先端で、四つの属性と闘気が混ざり合い、美しくも恐ろしい極彩色の光を放ち始めた。




