第1章 這い寄る影は鼠のように-6
スラスラと指を虚空に動かし、自らが思い描く魔導式を宙に描きこんでいく。
術式は淡い光を放ったままその場にとどまり、主人に声をかけられるのを今か今かと待ち望んでいた。
術式の編纂は終わった。
あとは己の意思一つで起動するはず。
……はずなのだが、琉衣夜はその最後のひと押しで深く息を吸い込む。
大丈夫、きっと術式は間違っていない。
そう、自分に必死に言い聞かせていた。
術式破りなどこれまで何度も行ってきた。
敵の術式をその場で組み替えて暴発、誤作動させるなんてのは常套手段である。
だが、一から術式を組み上げたのは、これが初めてだ。
琉衣夜が自分で組み上げたのは、天使の神光を模した魔導『殲光』のみ。
それも元々の天使の力の成り立ちを組み替えて自分でも使えるようにダウングレードしただけ。
既にあるモノを利用することと、一から全てを組み上げることは全くもって必要となる知識や経験が異なる。
頭でわかっていたつもりではあるが、これほどまでに大きい違いだとは思ってもみなかった。
小さく息を吸い、目をつぶって意識を集中させる。
起動。
そう小さな声で囁いた。
刹那の瞬間、術式はその身に宿された魔力を十全に発揮して動き出す。
ごぽり、と音を立てて生み出されたのはネズミの形を模した“黒”の塊。
一点の曇りもない真黒によって生み出されている為、間近で見ると違和感があるが……遠目からであれば、まあそこまで気になることもないだろう。
それに、この黒鼠は周囲の微弱な魔力を喰いながら動くことができる。
琉衣夜自身からの魔力が途絶えたとしても、ある程度の時間であれば動き続けることが可能なのだ。
それはつまり、琉衣夜の魔力を追跡されない斥候を周囲にばらまいておくことが出来る、という訳で。
(とはいえ、予想通りの挙動をしてくれるとは限らねえ。何日か適当に放っておいて、どんな動きをするか確認をする必要はあるな)
起動はした。
動くことも一応確認できた。
だが、継続使用することで、どんな挙動をするかは今の所予想できない。
ある一定の動きをするようにプログラミングはしてあるものの、それとて限界はある。
無論先行研究の資料を読み漁って可能な限り自分の中に落とし込めるようにはしたものの、それでも初めての術式では限界がある。
(とりあえず幾つか適当に放しておいて、その結果次第でアップデートするようにするか。幸い追跡術式だけは現状特に問題なく動いているみたいだし)
相手の陣地に放り込むにはまだまだ未熟な部分が多すぎるが、それでも数日あればある程度の改良はできるだろう。
“黒”をベースにしていることから追跡も量産もしやすいのが良点だ。
この経験を下地に大量生産することで経験値も稼げることだろう。
そんなことを考えながら、次々と術式を組み上げる。
あるものはネズミへと姿を変え、あるものはカラスへと姿を変える。
“黒”をベースにしている関係上、どうしても黒色が元の色になってしまうのは仕方がない。
無論、魔導で色を指定することもできるはできるのだが、それ用の魔力を余分に必要としてしまう。
実験結果を可能な限り集めたい現状としては、余計な出費を増やすよりはひたすら数を打ちたいところである。
ゆらゆらと思考を巡らせながら十数もの黒獣を生み出していると、ガチャガチャと玄関の扉が開く音がした。
「ただいまー」
「戻ったぞー」
「おう、おかえり」
聞こえた声は、二人の少女のものだ。
こちらへ向かってくる歩行音を耳にしながら、しかし琉衣夜は手元の作業を止めずにそのまま続ける。
リビングに入ってきた瑠奈は、それを見て首を傾げていた。
「あれ、もうそこまで出来るようになったの?」
「……見ただけでバレるのか」
「んー、普通の魔導師なら大丈夫かな。なるほどねー、“黒”が放出する魔力を偽装して普通の動物に見せかけるようにしたんだ?」
「これでも割と色々仕込んだんだが……こんなすぐに見破られると意味がないんじゃねえか」
「いやいや、私基準にするとダメだって。初めて自分で作った術式でしょ? 及第点は越えてると思うよ」
どう思う? と静を見やる瑠奈。
買ってきたものであろう荷物をテーブルに置きながらこちらを向いた静は、「ふむ」と一呼吸置いて口を開いた。
「私からしたら、普通のネズミにしか見えんな。下手な殺意を出さない限り、まあ大丈夫だろうよ」
「お前、実は脳筋だったりする?」
「言うてくれるの。探査の類はこっちに任せておったからな。正直、その手の眷属だの式神だのは好かん」
「ほら、脳筋」
「叩き割るぞ」
笑顔のままで額に青筋を浮かべた静に「冗談だって」と返しながら、しかし琉衣夜は「それならば」とある種の手応えを感じていた。
脳筋脳筋とさんざっぱら煽り散らかしたものの、静はその辺の魔導師と比較すればよっぽど探査能力には長けている。
能力というよりは直感に近いものだが、それでもその鼻の良さは馬鹿に出来ない。
その彼女が見落とすと証言したのだ。
一般人はおろか、能力の低い魔導師ならば気配を感じることすらできないだろう。
……まあ、最悪バレた所で“黒”は魔導師の天敵だ。
魔導師からすれば、こんな眷属を大量に撒き散らす敵の相手などしたくはないはずだ。
そういう意味では住処周辺の虫除けにはなるかもしれない。
「んじゃまあ、実験してみる価値はあるだろ。ほれほれ、行ってこーい」
「……はたから見たら、ねずみとカラスを振りまくって大迷惑だよね」
「大丈夫、大丈夫。バレない、バレない」
そう楽観的な言葉をこぼしながら、琉衣夜は宵闇に紛れて大量の眷属を放つ。
その反応が多方面に浸透していくのを感知しながら、彼は「良し」と呟いた。
「これだけばら撒けば、動作不良も含めてある程度はデータが取れるだろ。あとは結果を待つだけだ」
「果報は寝て待て、とはこのことかの。さて、今宵の夕食はどうするのじゃ?」
「それは何を買ってきたかによるな。何買ってきたんだ?」
「えっとねぇ……」
一通り自由研究にも区切りがついたことだし、と琉衣夜は普段の思考へ切り替える。
二人で買ってきたものを冷蔵庫や保管棚に振り分けつつ、本日の献立を考え始めるのだった。




