第1章 這い寄る影は鼠のように-5
「へえ、驚いた。意外と目ざといんだなぁ。」
「対象のことか」
「そうそう。ちょっと近づかせただけなんだけどね。違和感は持たれたかも」
琉衣夜達が走り去った地点から二キロほど離れたファミレスで、男二人はそんなことを話していた。
片方はセレナと話していたヴァーリという男だ。
黒のニット帽とマスクで顔の大半を隠しており、時折コーヒーをすする時だけマスクをずり下げている。
その下に見える肌は不健康な白さを見せており、その青い瞳と相待って何でもない格好をしていればそれなりに整った顔立ちをしているのではないかと想起される。
しかし、全身を黒一色のコーディネートにしているため、ちらほらと見える真っ白な肌と相待って悪い意味で人の目を惹く状態となっている。
最も、本人は周囲の視線などどこ吹く風で変わらずコーヒーを飲み続けているのだが。
対するは、ヴァーリとは真反対の白中心のコーデを纏った金髪の青年。
どっかりと足を組みながら椅子に座り込み、その口元には軽薄な笑みが浮かんでいる。
さらりと流された金の髪と、ほんのりと赤みがかった白肌。
そしてこちらも同じように青色の瞳と、おおよそ外国人という言葉はこの男のためにあるのではないかとさえ思うほどの風貌だった。
こちらも人の目を引いているものの、概ねは好意的なものだ。
一部男性からの視線も向けられているものの、それはあんな人間が実在しているのかという物珍しさからくるものだろう。
夕方のファミレスというのも相待って、両者ともに盛大に人の目を奪うコンビになっているが、しかしどちらも他人のことなど気にもしていなかった。
「それでオイゲン、首尾は」
「目は増やしたよ。ざっと数えて百ほどかな。でも動物がほとんどだから、近づけるのは難しいかなぁ」
オイゲンと呼ばれた青年は、そうヴァーリに対して答える。
軽々と答える青年は、しかしてその脳内で全く別の光景を見ていた。
彼が自らの目として放った動物達、しめて百ほど。
そのうちの一つは地を駆ける鼠であり、そのうちの一つは空を行くカラスであり、そのうちの一つは影に潜む虫であったりする。
それらが目にする光景はオイゲンの脳内に直接転送され、またその脳に仕組まれた術式によってオイゲンの意のままに動くようになっている。
普段は生物としての動きを優先させているが、しかしその位置情報は常に把握されており、要注意対象の周辺を入れ替わり立ち替わり監視し続けていた。
「一番手っ取り早いのは人だけどね。あんまり派手にやると魔力の匂いで気づかれそうだなあ」
「効率を重視すべきでは」
「隠密っていうのはそういう訳にもいかないさ。ばれずに情報を抜き続けるのが最優先であるべき。気付かれて“罪咎の巣”の絨毯爆撃を食らうのは、お互いにごめんだろう?」
「……然り」
「だからこそ、僕としても数は増やしたいけれどおおっぴらに動けないのさ。それに、僕のメモリだって無限じゃあない。無駄な人間を操作したところで、効率を落とすのがオチさ」
まあでも、とそこで区切りながらオイゲンはニヤリと笑う。
懐から取り出したのは一枚のパンフレットだった。
そこにはとある塾のことが記されている。
ヴェインはそれに一通り目を通し、「それで」とその先を促す。
「そこには要注意対象の知り合いも入ってるんだとさ。潜り込むにはちょうどいい場所じゃないか?」
「怪しまれそうだが」
「君はそうだろうね。僕だけで潜り込むなら、まあ大丈夫だろう」
「外国人が講師をすると?」
「ちゃんと読めよ。そこの売りはネイティブが教えることだよ? 僕ほどそれらしい人材もいないだろう」
「…………」
ヴェインは返す言葉もなかった。
自分たちの容姿が浮いているのは先刻承知の上だ。
しかし彼のいうようにこの場所であれば、浮くことなく協力者を増やせるかもしれない。
なるほど、確かに理には適っている。
いるが……。
「其方の場合、趣味も兼ねているであろう。それをどうかと言っている」
「何故だい? 仕事をこなしながら自分の好きなこともできるんだよ。最高じゃないか」
「関係のない婦女子に手をあげる必要はなかろう」
「おいおい、君は理解しているはずだろ。女の子達に危害は加えてない。そりゃあ少し魔力は提供してもらっているが、それだけさ」
「房中術で婦女子を食い荒らすことに、危害はないと?」
ギロリとヴェインはオイゲンを睨め付ける。
明確に敵意を乗せた視線。
だが、眼前の男は相変わらず軽薄な表情を崩さない。
「危害なんてないさ。無論、多少の縛りは入れされてもらっているけどね。それだけだよ。趣味と実益を兼ねた便利なやり口ってだけさ」
「……其方とは生涯相入れぬだろうな」
「それでも構わないさ。互いに互いの目的を果たせればそれでいい。魔導師なんてのはそんな人間だろ? 僕と君では目的へのアプローチが違うってだけさ」
淡々と言ってのけるオイゲンに、ヴェインはそれ以上何も言うことができない。
オイゲンが言っていることは事実だ。
今は互いに目的が合っているから、手を結んでいるだけ。
互いの目的が互いの利益を阻害するとわかったのであれば、彼らは即座にこの場で死闘を演ずることになるだろう。
黙りこくるヴェインに、オイゲンは「やれやれ」と言いながら立ち上がる。
「まあ、君は君の仕事を続けるといい。僕は僕のやり方で続けるからさ」
「……了承した。だが、不用意に動くことは避けられよ。敵は鼻が効くのだろう」
「そうだね。その助言は受け取っておくよ」
じゃあね、とオイゲンはテーブルの上にあった領収書を手にとってそのファミレスから外に出る。
随分と涼しくなったからだろうか。
夜空は雲ひとつなく、ささやかながら星の瞬きさえ目に映るほど澄み渡っている。
涼やかな風を全身に受けていると、それだけで先ほどのやりとりが夜に溶け出していくような感覚さえあった。
(今日は随分と手を回したことだし……少しつまむくらいなら構わないかな)
そんなことを考えながら、彼は夜の街を歩んでいく。
時刻はまだ二十時を回ったところだ。
これなら、多少ふらついても問題はないだろう。
せっかくいい仕事をしたのだ。
ご褒美ついでにもう一つ成果を上げておきたい。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にやら駅のすぐ近くまで来ていたらしい。
仕事帰りらしきOLが急ぎ足でこちらへ向かってきている。
本当に随分急いでいたのか、その体がほんの少しオイゲンにぶつかった。
「おっとっと……」
「あ、す、すいません!」
少しよろけたフリをすると、驚きの表情と共にその顔がこちらへと向けられた。
疲労こそ顔に出ているものの、それを除けば随分と整った目鼻立ちだ。
仲間内には東洋人なんて相手にするだけ時間の無駄、なんてことを言う者もいたが、彼は全くもってそうは思わない。
この女性も整えてやれば美しく映えることだろう。
(……決めた。今夜はこいつだ)
そう内心でニンマリと微笑みながら、彼は手の中で魔力を転がす。
術式が起動するまで三秒とかからない。
哀れな獲物は、オイゲンが何をしているのか把握するよりも前にその貧弱な思考をあっという間に奪われる。
魔力を行使できない人間など、簡単なものだ。
こうして疲労の為にまともな思考をすることができない人間は、特に。
果たして、眼前の獲物はあっさりとその思考を彼の元に手放した。
「気にしないでください。ほんの少しよろめいただけですから」
「い、いえいえ。ぶつかってしまったのはこちらですから。そ、そうだ、お詫びをしなきゃ」
「いえいえ、本当に大丈夫ですよ」
しかし、女性はそれでも「お詫びをさせてください」とオウムのように繰り返す。
当然だ、今この女性の脳内ではオイゲンは絶対に引き止めてお詫びをするべき人物だと設定されている。
それこそ、お詫びをする為に体を許したとしても何ら惜しくないほどに。
完全に自らの手中に収まりきった女性を前に内心笑い出しそうなのを必死に抑えつつ、表面上はあくまでも紳士的に対応する。
だが、女性はそれでも引き下がらず、ついには自宅へ招き入れる発言をしてきた。
これで、一丁あがりだ。
わかりましたよ、と答えてそのまま女性と一緒に歩き始める。
きっとこの女性もベッドの上では随分ととろけた表情を見せてくれるに違いない。
おまけに魔力も多少ながら吸収できる。
快楽を貪りながら魔力回復もできるのだ、これ以上に美味しい話はあるまい。
(明日から例の塾とやらに潜り込めば、よりどりみどり。全く、何でヴェインが嫌がるのか訳がわからないね)
まあ、こっちはこっちで楽しませてもらうとするさ。
そう自分の思考に区切りをつけて、隣を歩く女性の腰に手を回す。
すると、女性はこちらをとろんとした目つきで見上げてきた。
おやおや、随分とご無沙汰なのだろうか。
これから見も知らぬ男に体を許すことになるというのに。
女性の熱っぽい視線に応えるように、オイゲンはにこりと微笑んだ。
自らの体に何が起きているのか知りようもない女性は、その微笑みを前にさらに頰を赤らめている。
秋の夜は短い。
されど、夜はまだ始まったばかりだった。




