序章 夏休みの課題研究
ペラリ、とページをめくる音が部屋に響く。
真っ暗な部屋の中、卓上ライトで照らし出されるテーブルには一人の少年が座っていた。
少年、藤崎琉衣夜は熱心に印刷されたそれを読みふけっている。
それこそ、背後から忍び寄る影に気付きえないほどに。
「……瑠奈か。もう寝たんじゃなかったのか?」
「んー、なんか起きちゃった。琉衣夜こそ、そろそろ深夜も良い所だけどまだ寝ないの?」
「ん? ……ああ、もうこんな時間か。そろそろ寝ようかな」
ぐしぐしと目をかきながらこちらへとやってきた瑠奈は、テーブルの上に置いてあった紙をひょいと眺める。
途端、その首がぴょこりと傾げられた。
「あれ、そんな簡単な術式を見直してたの? 琉衣夜からしたら簡単すぎるんじゃない?」
「そうか? これでも見直してみると、意外と色々応用できそうな気がするけどな」
「へえ。なんか使えそうだった?」
「そうだな。例えば……」
ふむ、と一呼吸を置いて琉衣夜は指をテーブルの上で走らせる。
その指先は凄まじい速度で空間に散らばる魔力を弄り、一つの魔導式を展開した。
しかし、それを目の前にしてもやはり瑠奈は疑問の色を隠せずにいる。
その程度の式であれば、魔導の学習を始めて数ヶ月の人材でも作り出せるものだ。
熟練の魔導師さえも単独で圧倒してみせる琉衣夜が、わざわざ己の手をかけてまで使うに足る内容だとは思えなかった。
その表情を前に、琉衣夜は「まあそうだよな」と微笑する。
彼自身、これをそのまま使えるとは微塵も考えていない。
ただ、これを応用すれば面白いことができるかもしれない。
「この式そのものは、瑠奈も言う通り大したものじゃない。無いんだけど、例えばこれを起点にして“黒”を操ることはできないか、って考えててさ」
「あれ、でも“黒”は琉衣夜の言うことを聞くでしょ? そんな面倒なことをする必要ある?」
「わかんない。試してみようとしているところだからな」
「何それ」と怪訝そうな表情のままの瑠奈に、カラカラと笑いかける。
実際、先ほど思いついて調べ始めたばかりなのだ。
現状思いついたこと以上の内容は話せない。
だが、もしもこれが身を結べば面白いことが出来るんじゃないかと彼は踏んでいた。
まあ本当に出来るかどうかはこれからの研究次第といった所だろうか。
「ずっと“黒”をドロドロの訳分からん物体のままで動かすのも、正直飽きてきた所だしな。何かに使えればそれで良し、使えなければ使えないで別の方法を考えるさ」
「ふぅん。わからない事があったら、いつでも聞いてね?」
「ああ、もちろん。実際、自分だけで調べるのにも限界があるからな。その内相談させてもらうと思うよ」
「ん、待ってる」
ぺこりと頷いた瑠奈が、盛大な欠伸を一つこぼす。
時計を見てみれば、いつの間にやら夜も更けた時間だ。
これ以上粘るのは明日の効率的にも、瑠奈を待たせる面でもあまりよろしくないだろう。
「さて、それじゃあ早いとこ寝るとしようか。明日は何する予定だっけ?」
「買い物……食べ物、ないよ」
「……あー、静がよく食べるからなぁ」
そうだった、と頭を搔く。
というか、何であいつはうちに食べに来ているのだろうか。
自分でもそれなりに作れるはずなのだが。
まあ、その分の料金はもらっているので別に構わないと言えば構わない。
二人分作るのも、三人分を作るのも、手間はそう大して変わらない。
瑠奈の経験にもなると思えば、料理がそれほど嫌な訳でもなかった。
「荷物持ちはあいつにやらせよう、そうしよう」
「……んー」
「ああ、はいはい限界なのな。ほらほら、さっさとベッドに行くぞ」
「……んぅ」
うつらうつらと船をこぐ瑠奈の背中を押して、寝室へと向かう。
ぼふり、と盛大な音を立ててベッドに沈み込む少女にほんの少し笑みを浮かべながら、琉衣夜も自分の布団に潜り込む。
「おやすみ、瑠奈」
「んー……おや、しゅみぃ」
夢うつつな返事を最後に、その吐息が完全に寝落ちた者のそれへと変化する。
本当に随分と平穏な生活に慣れきったものだ。
そんなことを考えながら、琉衣夜も目を閉じる。
最近はエアコンも少し弱めで十分になった。
そして季節は移りゆき、夏は終わりを告げ秋へと至る。




