終章 歩み出す者-3
「……結局、海外旅行らしきことは何も出来なかったな」
「花火見れたじゃん」
「あー、そうだったか。その後が忙しすぎて忘れてた」
「随分色々と食べたのではなかったかの」
「お前が買ってきて、いつの間にか無くなってたことの方が多くなかったか」
「……そ、そうかの?」
「静は割とそんな感じだったよ」
「ぬ、ぬぅ」
静はほんのり気にしているようなそぶりを見せていたが、実際にそうなのだから仕方がない。
買ってきた食材がいつの間にやら消えていて、静がもう一度買いに行くのは何度かあった。
情報でしか静のことを知らなかった司が、「“東方不敗”のイメージとだいぶ違うんだね……」と若干引いていたぐらいだ。
一応書類整理能力はあるものの、とにかく燃費が悪い。
司の資料では良家のお嬢様であり、それもあってとにかくギャップが激しかったらしい。
本人曰く。
「良家のお嬢様だろうが何であろうが、飯は食うじゃろ」
「いや、それはそうだけどそうじゃねえよ」
こんなやり取りがリアルで行われるくらいだ。
まあ食べられなくて体調を崩すよりはマシなのだろう。
……多分。
「あァ、今日帰る日だッたか。こッちも静かになりそうだな」
「そうとも限らないだろ。まだまだネズミは多そうと聞いてるが」
「全くだ。毎日狩りに出てるのに、減りャしねェ。うちの組織、恨まれすぎじャねェか」
「魔導師自体が色々と闇を抱えやすい人種だしな。デカイ組織だし、仕方ない部分もあるだろ」
「めんどくせェ……」
二人して嘆息を零す。
琉衣夜は今でこそ受ける数を減らしているものの、受けようと思えばそれこそ両手に余るほどの依頼が“罪咎の巣”から殺到していた。
先日のような大規模な問題が内部で起きていると分かれば、それを機に崩しにかかろうとする敵対組織も腐るほどあるだろう。
今日はこれで帰ることになるが、バタフライエフェクトで琉衣夜に降りかかってくる依頼も増えてくるかもしれない。
それを考えれば憂鬱でしかなかった。
「そういえば、あいつは起きたのか」
「まだだ。魔力も生命力も問題ねェはずなんだが……飯も食ッてねェから、大丈夫かもわからなくてな」
「点滴でカバーできるとしても、限度があるしなあ。……まあ、色々とがんばれ」
「そッちこそ。……悪かったな、因縁つけて」
「気にすんな。あの状況じゃ仕方ない」
じゃあな、と互いに手を振り、琉衣夜とヴェインは別れを告げる。
ヴェインはそのまま食堂の方へ向かったようだ。
同じ天使をその身に宿す瑠奈は何か言いたそうな顔をしていたが、しかし何かを言うこともできないまま彼は歩き去っていく。
「良かったのか、何も話さなくて」
「んー、良いや。別に大した用事でもないしね」
「天使の力持つ者同士、気をつけよーねって言いたかっただけだから」と笑って、瑠奈は切り替えたらしい。
そうか、と一言で答えて琉衣夜も思考を切り替える。
「じゃあな、司。俺たちは先に戻らせてもらうぜ」
「ああ。また何か情報があればこちらから共有する。可能な限り声も聞きたくないがな」
「それはこっちのセリフだ。書類整理、せいぜい頑張れよ」
けっ、と互いに悪態をついてその場は終わる。
ガラガラとキャリーケースを引きながら表に出れば、地元のタクシーが迎えに来ていた。
これに乗れば、今度こそ本当に旅行の終わりだろう。
「それじゃ、帰るか」
「おー」
「なんだかんだ、退屈はせんかったの。ついてきて正解じゃったわ」
「俺はもうこりごりだ」
口々にそんなことを言い合いながら、荷物を手際よく後方の荷物置き場に積み込んでタクシーへと乗り込む面々。
それから帰宅までまた色々と一悶着あったのだが、それはまた別の話。
◇
「ハァ、わかッていたとはいえ、クソめんどくせェな」
琉衣夜達と分かれたヴェインは自室へ向かう廊下の途中で深々とため息をついていた。
先ほど琉衣夜にも愚痴った通りだが、湧いてくる虫が多すぎて非常に難儀している。
今日も昨日も一昨日も湧いた端から潰しにかかっているはずなのに、減る見込みが見えない。
今夜もまた、顔も知らないオペレーターから割り当てられた任務の話をされ、飛び出すことになるのだろう。
何時間休めるか未知数ではあるが、少しでも休んでおかないと精神面で疲労が湧き上がってくる。
そんなことを考えながら、コツコツと石畳を叩く音を耳にしつつ彼は自室への道を歩いていく。
ようやくたどり着いた自室の扉を前にして、その足がぱたりと止まった。
中で、何かが動いている気配がする。
しかも、この気配には覚えがあった。
「おい、嘘だろ……」
半開きだった目をかっ開きながら、眼前の扉を勢いよく開く。
そこには、幻想的な光景が広がっていた。
わずかに開かれた扉からそよぐ風になびく純白の髪。
陽光に陰ることなくその存在を示す、真白の肌。
そして半分ほど開かれた目に宿された、真紅の輝き。
まるでおとぎ話の中に出てくる妖精のような風貌の少女が、ベッドから身を起こしていた。
少女は開かれた扉へぼんやりと視線を動かす。
すると、その表情がほんのりと緩んだ。
「やっと会えた」
発された言葉は、ただ一言。
ただ、それだけで十分だった。
互いに互いのことを知っているが故に、それ以上の言葉は無粋だろう。
だからこそ、ヴェインもその口元をわずかに緩めて答える。
「……あァ。随分長いこと待たされたが……やっと会えたな」
万感の思いを込めた囁きに、少女がクスリと微笑む。
そして、ようやく二人の物語が始まった。
◇
「やれやれ、随分手酷くやられたものです」
パッパッと白衣についた埃を払いながら、ミランはそう呟いた。
手塩にかけて生み出した被験体は二体とも“罪咎の巣”の手に落ち、研究資料もそのほとんどが敵に奪われた形になるだろう。
とはいえ、資料の方はすさまじい量があるおまけにフェイクも十二分に含めてある。
彼の研究を横取りするにしても、ある程度の時間は必要になるだろう。
それに、必要なデータのほとんどは彼の頭に残っている。
資材と施設さえ揃えば、いかようにも再現ができるだろう。
曲がりなりにも彼は研究者なのだ。
同一の状況を揃えてしまえば再現ができる。
逆に、同一状況を揃えているのに再現できないものを、研究成果と呼ぶわけにはいかないだろう。
「そうですねぇ。時間は必要ですが、出来ない訳ではない。コツコツと積み上げ直すとしましょうか」
「そうすると良い。それさえも出来ないと言うのなら、お前を引っ張り上げた意味がないからな」
「おや、いらっしゃったのですか。これはこれは見苦しい姿を」
「構わんよ。戦地から戻った部下に潔癖たれと命じるほど、俺は現場から離れたつもりはない」
闇の中から響くのは、どことなく軽薄な若い男の声。
しかし、ミランは表面上は少なくとも平伏する姿を見せる。
なにせ彼がいなければ、自分の研究は再建できないだろう。
それどころか、これまでの研究でさえここまで形を成すことはできなかったはずだ。
全てはこのスポンサーが惜しみない投資をしてくれたおかげ。
そしてこの先も投資を行ってくれると言うのであれば、平伏どころか靴の一つや二つは舐めてみせよう。
そんな彼の心意気を理解しているのだろう。
暗がりから響く声は、ほんのりと満足げな様子を見せながらさらに続ける。
「手痛い邪魔を受けたらしいが、見ようによってはこれで外面を気にすることなく俺の勢力下にお前を迎えることができた。なにせ、お前を陰ながら支援するには質量ともに難しい地点に入り始めていたからな」
「と言うことは、先日いただいた言葉の通り、ということでよろしいので?」
「もちろんだ。お前の研究は一部、俺の目的とも合致している。お前がよほど俺の邪魔にならない限りは、支援を続けさせてもらうさ」
天使の再現なんて、誰もやろうとしないからな。
そう、暗がりの声は囁く。
その通りだ。
天使に関する情報をこの世界で最も詳しく持っているのは、誰あろうこのミランだ。
理論上の内容ではなく、自身の研究をもとに天使級の人材を二体も生み出すことに成功しているのだから。
故にこそ、影の人物もまだミランに期待をしてくれているのだろう。
なにせ、やりようによっては大天使を宿すあの少女すら叩きのめしかねない力を、人間の手によって生み出すことができるかもしれないのだから。
「そう言う訳だ。俺の保有している施設はある程度好きに使ってくれて構わん。資産も浪費でなければ、ある程度は認めよう。好きにやれ」
「ありがたいお言葉です。次こそ、完成品を」
「楽しみにしてるぞ」
そんな言葉を残して、気配は遠ざかっていく。
しかし、ミランは深呼吸をしてもなお、その身が震えるのを隠すことができないままでいた。
その正体は、歓喜だ。
スポンサーは未だこちらに失望をしていない。
それどころか、これまで以上に支援をしてくれるとのたまうのだ。
これを喜ばない研究者がどこにいるだろうか。
次だ。
次こそは、完全に近い天使を作ることができる。
そう確信を持つに至っていたからこそ、ミランの全身は実際に作ることができる喜びに打ち震えていた。
「……ええ、楽しみにしていてください。次こそ、我らが神の生み出したる天使さえも超越するものを、作り出してみせますとも」
そう呟き、ミランも白衣を翻す。
まずは施設の改築からだ。
天使級の魔力に耐えうる建築物でなければ、実験もろくにできない。
それから、どの工程に入ろうか。
あの方法を先に試すべきか、それとも今回の結果をもとに思い浮かんだあれを先に試そうか。
ぐるぐると回り巡る思考を前に、その口元はニタァと緩められる。
その体も、暗がりへと消えていく。
その暗がりから何が生み出されるのか、今は誰も知らない。
我らが神でさえも、きっと。




