終章 歩み出す者-2
コツコツ、と自分の靴が石畳を叩く音が廊下に響いた。
この数日で随分と疲弊していた体も幾分か回復したように思う。
これもあの男が体に仕込んだ“黒”とかいうやつのおかげだろうか。
そう考えると、感謝したいような歯ぎしりしたいようなごちゃ混ぜの感情が襲ってくるので、考えないようにしている。
枯渇した魔力も、体内に埋め込まれた何かしらのせいで既に回復しきっていた。
金髪メガネは殺しても殺し足りないが、その腕前だけは評価してやっても良いのではないか。
割り当てられた部屋の前に立ち、扉を開く。
中は簡素な部屋だ。
ベッドが二つと、シャワールーム。
その内の片方には、少女が身を沈めていた。
根元から純白の毛髪に、同じようにシミ一つ見当たらない純白の肌。
今は目が閉じられているが、その瞳には真紅の輝きが宿されている。
いわゆるアルビノ、というやつなのだろう。
とはいえ、これが生まれながらに持つものなのかはわからない。
ヴェインと同じ実験体だったというのであれば、彼女の中にも天使の力が埋め込まれていることだろう。
であるのならば、この見た目も元々の状態から変質している可能性が高い。
「……よォ、まだ目ェ覚めねェのか」
「…………」
一声かけてみるが、しかし全く返答はない。
この数日、彼女はこんこんと眠り続けていた。
生命力や魔力が欠乏しているわけではない。
にも関わらず、どうしてか彼女は眠りから目覚めない。
まるで今ではないとでもいうかのように、少女はその目を開かず眠り続けている。
やれやれとため息を一つこぼしながら、ヴェインはもらってきた食料が入った袋を自分のベッド脇に置かれているテーブルへ放り出して、ベッドへ腰を下ろす。
自分が何をするべきなのか、この数日戸惑っていた。
この研究所に身を置くべきではないということは、何となく理解している。
だが、ここを飛び出してアテがあるわけでもなかった。
身銭は無い訳ではない。
しかしそれとて無限という訳でもない。
現状あの金髪メガネが相当やらかしていたということもあって、彼も彼女も何も言われていないが、この状況が長続きすればそのうち煙たがれるようになるだろう。
さて、どうこの身を動かすべきか。
そんなことを思案している内に、こちらへ近付いてくる足音が聞こえた。
主人の不明な足音はこの部屋の扉の前で止まり、ノックの音が鳴り響く。
「やあ、ヴェイン君。少し時間をもらっても?」
「……あァ、構わねェ」
ギシリ、ときしむベットを後に、扉を開ける。
扉の向こうには東洋人系の顔立ちをした男が立っていた。
少年と青年の間くらいの年頃だろうか。
自分とそこまで年齢は変わらないかもしれない。
……いや、自分の年齢も定かではないから、この見込みも合っているかはわからないのだが。
「同室の子は、まだ起きていないのかい?」
「まだだ。傷も、魔力不足もねェはずなンだが」
「そうかい。それじゃあ、別の部屋で話そうか。寝ている人がいる部屋で話すのも、あまりよろしくないだろう」
「頼ンだ」
行こうか、と指で示す男に対して、ヴェインはこくりと頷いた。
先を歩く彼についていくと、連れて行かれた先は食堂だった。
まだあちらこちらと壊れている部分もあるのだが、それでも特に関係なく運営はしているらしい。
以前の戦闘で受けた傷がまだ治っていないらしい人もちらほら見えるが、治せる人材に限りがあるのだから仕方ないのだろう。
「さて、まずは名乗らせてもらおうかな。僕の名前は安齋司。どうぞよろしく」
「ヴェインだ。よろしく」
握手を求められたので、一応応じておく。
だが、その薄い笑みの下に何が潜められているのかはまだわからない。
それにつられるように、こちらの声音も自然と硬いものになっていた。
「まあそこまで固くならなくても良いだろう。こちらとしても今回の件で申し訳ないと思っている部分があるし、譲歩できる部分は譲歩したいと考えている」
「そォかよ」
「それに、君の行動を見ていると彼女を守りたいのは事実だろう? であれば、僕達は交渉が出来るはずだ」
「……条件を言えよ。そッちの先出しだ」
「行動の自由とある程度の金銭と情報の共有。それに少女の意識が戻るまでその保護をしよう。ついでに、この建物にあるものはある程度自由に使ってくれて良い」
「それで? タダでそれをくれるッて訳も無いンだろ」
「ご名答、その代わりに君の実力を利用させてもらう。この辺りは“罪咎の巣”の勢力範囲だが、あの金髪メガネのせいで地下に潜んでいた奴らが動き始めていてね。その駆除に当たってもらいたい」
「…………」
敵の目から視線を外さないまま、ヴェインは思考を巡らせる。
条件はそれほど悪くない。
衣食住の確保が出来、“罪咎の巣”の情報網を利用しながら金銭的余裕を作ることもできるだろう。
その代わりに、この体に埋め込まれた力を利用させろ、ということだ。
しかしそれも、考えようによってはこちらのメリットになり得る。
琉衣夜と戦って理解したつもりだが、今のままでは彼に相応の力があると言っても、それを完全に使用できるようになっている訳では無い。
今の状態では宝の持ち腐れに近いだろう。
であれば、こいつらに恩を売りながら自分の実力を引き上げられる、と考えればそれなりに利用できそうだ。
「随分と好待遇じャねェか。こりャあ、あのバカのやらかしは相当テメェらに損害を与えたらしいな」
「全くだよ。隠蔽スタッフも総動員しているのに、全く手が回っていない状態でね。ネズミ狩りに使えるスタッフが足りないのさ。なので、君がその分の戦力補強を手伝ってくれれば、僕達は他の地域にスタッフを回せる。君はそれなりの待遇で働ける。悪い話じゃ無いだろ?」
「……もし嫌だ、つッたらどォするよ」
「君はそこまで馬鹿じゃないと思ってるんだけどなあ……。ま、僕の仕事が今ここで一つ増えるよ」
言葉を発した途端、司の全身から鋭い殺気が放たれた。
気付けば、その手には魔力が満たされており、おそらくこちらが戦意を見せれば即座に戦闘へ発展するだろう。
それを察したらしい周囲のスタッフが、こちらへ目をやりながら少し距離を取り始めている。
ほんの一瞬ヴェインは思考を巡らせて、ふう、と一息ついて全身から脱力した。
「やめだ。受けることにする。ここでテメェを潰しても、後が続かねェ」
「だから言ったじゃないか。自分の売り方を心得ているのは良いことだが、やりすぎると売れる時に売り損ねるよ」
「へーへー、参考にさせていただきますよ」
「それじゃあ、これで協定は成立だ。あとで担当から正式な書面を送るから、適当に提出してくれ」
「……わかッた」
「それじゃあ、君の活躍に期待しているよ」
そう言って、司は先に席を立った。
「あのバカが残した書類が大量にあってね」とのことらしい。
おそらく、現時点ではまだ部外者ゆえにヴェインには見せられないものもあるのだろう。
少しは目を通しておきたいと思う反面、面倒な書類作業に巻き込まれなくてラッキーという面も強い。
その内こちらも手伝わないといけなくなるのだろう。
であれば、休めるうちに休んでおくとしよう。
「あー、悪い。注文頼んで良いか」
食堂で動いている料理人に声をかけ、好みのコーヒーを注文する。
もう客人ではなくスタッフの一員になるのだ。
使えるものは、使わせてもらうとしよう。




