終章 歩み出す者-1
「お前、僕のことを簡単に呼び出しすぎじゃないか」
「お前くらいしかこの辺の事後処理を出来ないだろ。恨むなら“罪咎の巣”の人手不足を呪ってくれ」
辟易とした表情の司にそんなことを言い捨てる琉衣夜も、これまたまとめられてない書類の山に眼を通しながら嘆息していた。
あの金髪メガネが残した資料の山は膨大だ。
しかも、あいつ自身が読めばわかるよう作られている為か、その他の人物が眼を通したとしても、その全てを理解できるとは限らない。
必要だったとは言え、研究員の大半が負傷しているのもこの作業進捗の絶望っぷりに拍車をかけている。
こればっかりは静を責める訳にもいかない。
いかないが、ため息をつくぐらいは許してほしい。
二人して嘆いているその向こう側では、安楽椅子に身を沈めながら黙々と書類に眼を通す瑠奈の姿があった。
天使に関する研究については、“罪咎の巣”の方も瑠奈に見せるべきか随分と悩んでいたらしいが、現場に回せる人材が絶望的に足りないことから許可されることとなったらしい。
自分の中に眠る存在を客観的に計測したデータを前に、彼女はこの数日随分と熱を入れていた。
たまに傍に置かれたミルクコーヒーに口をつけるも、それ以外は特に何も喋らないまま黙々と解読を進めている。
そんな彼女を前にして、男二人もグダグダと喋っている訳にもいかないので、嫌々ながらも業務に戻るのだった。
「しかし、お前の“黒”でも治しきれないなんてな」
「自分の体なら楽なんだけどな。さすがに他人の体に放り込んで、複雑骨折を綺麗に治し切るなんてのを数十回も続けられるかっての」
「まあそもそも相手の魔力を食い尽くすことが前提だから、それもそうか」
言われなくとも、研究員を治癒することは既に試していた。
だが、治癒魔導の専門家でも人体の専門家でもない琉衣夜に、全身をぐちゃぐちゃにへし折られた人間を完全に復元するなんてのは土台難しい話だ。
最低限の修復と痛みの減衰までは現在も引き続きしているものの、完全回復まで至ったのは必要だからと手塩にかけた料理長くらいのものだ。
治してやりたいのは山々だが、そのうち治るだろう傷と今しか確認できない情報とを天秤にかけると、情報が優先されるのは仕方のないことだろう。
「つうか、治癒魔導が使える奴も依頼したはずだよな、俺。なんでお前だけなんだよ」
「医者以上に使い勝手が良くて、医者以上に重宝がられる存在だぞ。全世界で需要があるのに対して、供給が圧倒的に足りてないんだよ」
「治癒ってそんなに難しいのか?」
「お前は他人の肉体の中身をイメージしきることができるのか? どの骨がどの部位にあって、どの血管がどのように体の中を巡っているのかわかるのか? 魔導といえど、最低限の人体に対する知識は必要なんだぞ」
「納得」
やれやれともう一つ琉衣夜はため息をつく。
“黒”なんて便利な代物を使えるから忘れがちだが、魔導とて万能ではない。
おまけに魔導師になる人物の大体は自分にまつわる何かしらを叶えるために魔導師になるのがほとんどだ。
人を助けるためにしか使えない治癒魔導など、そもそも習得している人間が少ないのだろう。
となれば、追加人材の予定はもはや絶望的だ。
グダグダ言いながらも、自分で手を動かすほかに解決策は存在しない。
「失礼。依頼の物を仕入れてきた故、ここに置いておくぞ」
「お、ありがとうな静」
右手にいくつかのマグカップが乗ったお盆を、左手にいろんなものが詰まったビニール袋を下げながら、静が部屋へと入ってくる。
がさりと音を立ててテーブルの上に置かれたビニール袋からは大量の食料が見えていた。
ここに缶詰になることが目に見えているので、実働スタッフ向けに大量のファーストフードを買い込んできてもらっているのだ。
おかげで片手で飯をつまみながら書類を読みあさることに専念できる。
厨房スタッフもある程度動けるようにした人材に関しては渋々ながら動いているものの、正直なところ倒れている他のスタッフへの食事提供へ優先的に回した方が稼働率としては優良だ。
麓の大規模病院にでも搬送してもらおうかとさえ考えたが、そんな大規模な怪我が発生するようななにがしかがあったとわかったら警察だのなんだの面倒事が起きかねない。
ただでさえ隠蔽スタッフも総動員して周囲にバレにくいよう時間を稼いでいる最中なのだ。
この部屋の人員分程度は、楽にさせてやった方が良いだろう。
……とは考えたものの。
「あと何日時間があるんだよ……。読み終わる気がしねえぞ」
「同感〜。無理だね、これ」
ため息をつきながら静の持ち込んだピザに手を出す琉衣夜へ、「一切れちょーだい」とおねだりしながら瑠奈も嘆息する。
あまりにも整理されていなさすぎる。
こんな書類の山、複数人で分担できると言っても対して効率化には役立たない。
おまけに先ほども述べたように資料のまとめ方がそもそも他人に見せることを考慮していない。
全て読み解き、かつ意味のある資料として纏め直すことを考えると、果たしてどれほどの時間がかかるやら。
「つうか、こんな状態の部署に良く予算を回し続けていたな、本部は。この様子じゃ、報告書の方も相当酷かったんじゃないのか」
「美咲の方に調べさせているけれど、そちらは割と常識的な内容に収まっているらしい。まあ文章があまりにも違うから、倒れているスタッフの誰かに書かせていたんだろうね」
「くそ、これだから研究者って人物は……」
ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる琉衣夜に、司は半ば達観したような表情でそんなことを言ってくる。
何でそんなに平静で取り組めるのかと聞いてみれば、他の魔導師も似たり寄ったりな状態だかららしい。
「というよりも僕達が本拠地に踏み込む場合は、相手もこちらに情報が渡らないようにある程度整理をしていることが多いからね。それを復元してどうこうするよりは、そのまま残っている方がまだマシさ」
「参考にならねえ比較対象をどうもありがとう」
ぶつり、と前歯でよくとろけたチーズを噛み切りつつ、「仕方ねえな」と琉衣夜は再度書類へ没頭を始める。
ぼやいていても作業は進まない。
だが、進めれば少なくとも作業は減るのだ。
それならば、帰るまでの間に多少なりと生産的な情報を得ることに注力しよう。
そう自分に言い聞かせて、再び書類との格闘を再開する。
だが、それはそれとしてあの金髪メガネはもう一度会ったらタダじゃおかねえ。
そんな物騒なことを考えながら、琉衣夜は眼前の書類へ飛び込んでいくのだった。




