瑠奈と幽霊少女のお話 後編
翌日の朝。
瑠奈はいつもよりも二十分ほど早く起きて、琉衣夜にあるお願いをしてから家を出た。
誰かに見られたりしないように、念入りに認識阻害の魔法までかけて、遠慮無く全力疾走で駆け抜ける。いつもよりかなり早めに家を出たせいか、街はいつもと全く違う顔を見せていた。
だが、観察することもなく走り抜けていく。すると、七時四十分を少し過ぎた頃には例の廃屋に着いていた。
一応ノックをしてから入ると、中ではミカが突然入ってきた瑠奈を不思議そうに見ていた。
「あれ、ルナおねえちゃん? まだあさだとおもうけど、どうかしたの?」
「ん〜? ああ、ここ私の通学路なのよ」
「ふうん……あ、いまなんじ?」
「今は七時五十分くらいかな。お父さんとお母さんは戻ってきた?」
「ううん。まだだよ」
「じゃあ、ちょうど良かったかな。良かったら、朝ご飯一緒に食べない?」
そう言ってルナが鞄からラップにくるまれたサンドイッチを取り出すと、ミカの表情が輝いた。
「いいの!?」
「もちろん。はい、どうぞ」
包みを一つ手渡すと、ミカはキラキラと言うよりもギラギラとした眼をしながら、サンドイッチにかじりついた。
その様子に苦笑しながら、瑠奈も自分の分を開く。
実は、今朝作った物ではなく、昨夜晩ご飯を食べた後に琉衣夜に教わりながら作った物だ。
彼女は生まれや育ちの特殊性故にこれまで殆ど料理をしたことがなかった。今はようやっとそういった普通のことに触れる環境に住めているため、少しずつではあるものの、周囲から学び始めている。
料理も、その内の一つだった。
これに関しては、琉衣夜以上に先生となれる人材がおらず、他のことに関しては手際よくこなせる龍音が料理を苦手としているために、彼に教わることとなった。
とはいえ、瑠奈が琉衣夜に教わることを嫌がる訳もなく、その逆もまたしかり。最初は難色を示していた龍音も、彼に教わる度にぐんぐん腕を伸ばしていく彼女を見て、何も言えなくなってしまった。
そういう訳で、瑠奈は日々少しずつ琉衣夜と一緒に料理を作るのが日課になっていた。琉衣夜も、その一環としてサンドイッチを作っていたので、あまり苦にはしていない。
(……まあ、早く一人で出来るようになりたいけどねぇ)
ハムと卵とレタスにいい感じでソースが絡んでいるパンを噛みながら、そんなことを思う。ちなみに、このソースも琉衣夜お手製のものだ。
瑠奈としては、早く料理が出来るようになって彼に美味しいものを食べさせてあげたいのだが、上達していっているとはいえ未だ修行の身。彼を納得させられるようなものはまだ出来ていない。
内心で溜め息をつきながら、ふと横を見る。すると、そこにはいつの間にか一切れをあっという間にお腹へ納めた欠食少女がよだれを垂らしそうな目でこちらのサンドイッチを見ていた。
その視線に若干引きながらも、どうにか笑顔を浮かべながら瑠奈は言った。
「お、おかわりあるよ?」
「いただきます!」
瑠奈もそれなりに食べる方ではあるのだが、ミカはそれ以上に健啖家だ。一分もしない内に追加の一切れを食べ、追加で差し出されたサンドイッチも呑むような勢いで囓っていく。
結局、大分多めに盛ってきたサンドイッチはあっという間に無くなってしまった。後半は争奪戦が起こってしまうほどに、一瞬で。
「ルナおねえちゃん、ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
そういって、ゴミをまとめてから鞄の中に放り込む。時計を見ると、もうちょっと余裕がある。もう少し遊んでいっても大丈夫そうだ。
「ね、ミカちゃん。何か二人でしたい遊びってある?」
「あそんでくれるの!?」
目に先ほどと同じような、しかしそれ以上に輝いた瞳を見せながら、聞いてくる。それに少し危うい雰囲気を感じながら、瑠奈は頷いた。
「う、うん。学校があるから、少ししか遊べないけど……」
「いいよ! じゃあね、アルプスいちまんじゃくしよ!」
「あ、アルプス?」
全く聞き慣れない言葉に、瑠奈は眉を潜めた。それに、ミカが不思議そうな顔をする。
「あれ、おねえちゃんしらないの?」
「うん、ちょっとわかんないな。教えてくれる?」
「いいよ〜」
そう言うと、ミカは土間の上がり口に座った。制服で何十年も掃除されていない場所に腰掛けるのは中々に抵抗があるので、瑠奈はミカの前に立ったままでいることにする。
「あのね、うたにあわせててをうごかすんだよ。みててね」
言って、ミカは歌いながら、手遊びをし始めた。
一拍目で手を合わせ、二拍目で右手を前へ。三拍目で再び手を鳴らし、四拍目で左手を前に出す。五拍目で三度手を合わせ、六拍目は両手とも前に。
七拍目でもう一度手を鳴らし、八拍目では手を合わせたままひっくり返して前へ出す。
後はそれの繰り返しのようだった。
歌っているミカの表情からは頑張っている様子がありありと伝わってきて、少し微笑ましく感じる。
「ラララララ、ヘイ♪」
と、最後に両手をハイタッチするように前へ出して、ミカの歌は終わった。
「わかった?」
「うん。ありがとうね」
聞いてくるミカの頭を、よしよしと優しく撫でてやる。それに、ミカは見る側がとろけそうなほどに愛らしい笑みを浮かべた。
「さ、おねえちゃんもいっしょにやろ!」
「そうだね、やってみよっか」
そう答えてやってみるものの、これが意外と難しかった。
テンポもすることもわかっているのに、ミカと合わせようとすると中々上手くいかず、かといってそちらに気を取られると、今度は次にすることが頭から抜けてしまう。
最初はしょせん子供の手遊び、なんて思っていたのだが、知らぬ間にどうにか成功させようと熱中していった。
何度か繰り返して、ようやっと納得がいくレベルで合わせることが出来るようになる。
「やった〜!」
「う、うん。で、でもさおねえちゃん……」
完璧に出来たことを無邪気に喜ぶ瑠奈へ、どこか申し訳なさそうに口を開くミカ。
「じかん……だいじょうぶなの?」
「へ?」
そう言われて、携帯へと目をやる。
表示されている時刻は、八時十八分。今から走ってもギリギリというレベル。
ありていに言えば、遅刻寸前だった。楽しい時って、一瞬で時が過ぎるものだよね。
「あーーっ!? ご、ゴメンミカちゃん、私行かなきゃ!」
「うん、わかってるって。ほらいっていって」
クスクスと笑って言ってくる彼女へ手を振りながら、瑠奈はミカの家を飛び出した。学校へ向かう最短の道を、最速で駆け抜けていく。
一応断っておくと、瑠奈は決して足が遅い方ではない。むしろ、“罪咎の巣”に所属していたこともあって、一般人よりも速い方だ。とはいえ、焦っている状態で普段通りのパフォーマンスが発揮できるほど、今の彼女のメンタルは強くない。
少し前までの彼女であれば、眉一つ動かさずに対処するようなことだ。
それを考えれば、随分と感情が身体に作用するようになったものだ。
琉衣夜は、『瑠奈のおかげで変われた』と言ってくれたことがあったが、彼女自身も彼に救われて、変わっていたのだ。
あの時、迷子になっていた瑠奈に、面倒臭そうに彼が手を差し伸べてくれた、あの瞬間から。
そんなことを考えている間にも、時は流れていく。
「ああ、もう面倒臭いわね、全く……ッ!」
とある少年の口癖を知らぬうちに真似ながら、瑠奈は全速力で駆け抜けた。
幸いなことに、学校へは遅刻する本当にギリギリ直前のところで辿り着いた。急いで上履きに履き替え、教室へ急ぐ。
「琉衣夜ぁ! あの子は本当にどうしたのよぉ!?」
「だから、もうすぐ来るって! つうか、俺はアイツの管理者じゃねえんだよ!」
そんな叫び声が聞こえてきた。両方とも聞いたことのある声に若干げんなりしながら、教室の扉を開く。
その向こうでは、やはり考えていた通りの光景が広がっていた。
倒れているいくつかの机と椅子。そして、その中央に立っている二人の少年少女。
片方は琉衣夜、もう片方は龍音と、想像通りの状態だった。
「あ、瑠奈! 良かった、心配したのよ!?」
「はぁ……。朝っぱらから疲れた……」
本当に心配していた様子で抱きついてくる龍音と、その後ろで疲れたように引きつった笑みを見せる琉衣夜。
ゴメンね、と琉衣夜に手で謝りながら、瑠奈の方を見る。琉衣夜も、龍音が瑠奈を過保護なまでにかわいがっていることを知っているために、それ以上は何も言わないまま、倒れている机を直し始めている。
ちなみに、龍音は先生が教室に入ってくるまで離れてくれなかった。
「瑠奈、ちょっといいか」
「え? うん、いいよ」
昼休み、瑠奈は琉衣夜といっしょに屋上までやってきた。
普通、屋上には鍵がかかっていて入れないのだが、彼は“黒”を使って強引にピッキングしてしまう。相変わらず、汎用性が高い能力だ。
ちなみに、無理矢理壊したりもせずに解錠しているのは、三上先生に心配をかけたくないから、だからだそうだ。興味がない人には相変わらず全く気を遣わないが、一度心を許した相手にはとことんまで心を砕くのも、琉衣夜らしいといえば琉衣夜らしい。
通り抜けていく風は春特有の眠くなる暖かさではなく、夏独特の湿気を含んだ生暖かいものに変わってきている。あと一、二週間もすれば、梅雨に入るのではないだろうか。雲も、大分多くなってきている。
「どうしたの、琉衣夜。こんなところに呼び出して。もしかして、告白?」
「いや、違う。……って、何でそんだけでそんなにテンション下がってんだよ?」
「別にー、何でもないわよ」
素のテンションで返されて、少しふて腐れる瑠奈。しかし、彼がその理由に気付くことは多分無いと思われるので、さっさと話を進めていこうと思う。
「で、どうしたのよ?」
「?? ま、いいか……」
本当にわからないままのようで、頭にハテナマークを浮かべている琉衣夜。だが、彼女が手で先を促すように手を振ると、いぶかしげにしながらも口を開く。
「今朝、あの子はどうだった?」
「ミカちゃんのこと? どうって……わりと普通だったけど。ああでも、サンドイッチあげたら、すごい喜んでたなぁ」
そんな風に、朝あったことを一つ一つ言っていく。サンドイッチを食べた時のこと、いっしょに手遊びをしたこと、一つ一つは大したことない話なのに、言っている内にまた楽しい気持ちになってくるから不思議だ。
多分、あの年代の子供と一緒に遊んだことがないから、というのもあるのだろうけど。
そんな風に楽しそうに話す彼女を見て、琉衣夜は小さく微笑んだ。だが、どうしてかその笑顔はすぐに消えていってしまった。
「瑠奈。……これ、やるよ」
「ん?」
首を傾げながら彼が差し出した左手を見る。その手には、いつの間にか現れていた書類がある。
彼の目が促すままに、瑠奈はそれを手に取った。その表紙には、こう書かれている。
『藤原美香について』
みか、ミカ、美香。
その文章を見て、感じもわからないままに使っていた言葉のイメージが固定された。
琉衣夜が渡してきた書類に対して、瑠奈は一切疑念を抱いていない。
彼は、嘘を何よりも嫌う。そして、出所のない噂といった類の話も。彼自身が、そのせいで過去に傷付いたが故に。
だから、この書類は琉衣夜が今に至るまでの短い間に調べてくれた、あの少女の情報なのだ。
「そこに、俺が調べられる限りで調べた全ての情報が載っている。それを読んで、その後でどうするかは、お前自身で決めろ」
そう言うだけ言って、彼は屋上を出て行った。
あまりにも唐突、かつこの書類に対しての情報が少なすぎてどうすればいいのかが全くわからない。
一瞬思考が止まりかけた瑠奈。だが、とりあえず言われた通りに手元の書類を開いてみる。
瞬間、目に跳び込んできた情報の波が、瑠奈の脳内に流れ込んでくる。次から次へと、これまで知らなかったことが頭へと入り込み、瑠奈の中で渦を巻く。
その書類は、十ページもなかったため、五分もかからずに読み終わってしまった。
「……ああ……そういうことか」
知らずの内に、瑠奈はそう呟いていた。
わかってしまったのだ、どうして美香があそこに一人でいるのか。
知ってしまったのだ、どうしてあそこまで時間を気にしているのか。
無論、推測はしていたのだ。だが、推測が事実だと肯定されるのは、わかっていても気持ちの良いものではない。
顔を上げると、さっきよりも雲が増えていた。抜けるような白ではなく、見るだけで陰鬱になりそうな、濁った灰色。
今すぐには降らないけど、だがそのうちに降るだろう。
そう、遠くもない未来で。
放課後、瑠奈は龍音の誘いを断って、再び一人で美香の家を訪れていた。
空は相変わらずの曇り空。一つ息を吐いて、彼女は扉を開く。すると、土間を上がった所で、美香が待っていた。
入ってきた瑠奈を見て、美香は無邪気に微笑む。
「おかえりなさい、ルナおねえちゃん」
そんなかわいらしい言葉に、瑠奈は思わず美香を抱きしめていた。手の中に抱いた温もりは、確かにそこに存在している。例え、この感覚が瑠奈にしかわからないものであっても、この温もりはここにあるのだ。
……そんな風に感慨に浸っていた瑠奈だったが、美香にそんな想いが伝わってくれる訳もない。
「ちょ、ルナおねえちゃん、くるしいよお……!?」
そう言って、美香は必死に瑠奈の腕から逃れ出た。若干「そこまで嫌がらなくても……」と思うが、よく考えると会うなり無言のまま思いっきり抱きしめられたのだ。嫌がられても、文句は言えない。
ゴメンね、と一言謝ると、美香は小さく首を振った。
「ううん、ぎゅーっとされるのはいやじゃないよ。……いたいのは、いやだけど」
そう、上目遣いで言ってくる。もう一度抱きしめたい衝動に必死に抗いながら、美香の頭を撫でた。
それに、美香は幸せそうに頬を緩める。そんな顔を見ていると、瑠奈は自分の表情もいつの間にか笑っていた。
いつの間にか、美香へ思った以上に感情移入してしまったらしい。たった二日しか経っていないのに、この子ともっと一緒にいたいと思うくらいに。
叶うなら、もっと美香とこうして遊んでいたい。
真実なんて、知らないままでもいい。
そんな風に考える自分がいることを、否定は出来ない。
でも、
「あ、ねえルナねえちゃん」
「ん、なあに?」
あどけない声で、小さな女の子は瑠奈へと聞いてくる。
「いま、なんじだっけ?」
その質問に、彼女は一瞬だけ息を呑んだ。
だが、それを悟られることがないように、瑠奈はかがんで美香へと目線を合わせる。
「その前に、一つだけ聞かせてほしいの。……美香ちゃん、今年は何年だか知ってる?」
「なんねんって……しょうわ、じゅうきゅうねんじゃないの?」
「……ううん」
ある程度予想していた通りの答えに、瑠奈は首を振った。
彼女は、自分の表情が泣きそうに歪んでいることに気付いていたのだろうか。
「今はね。もう、戦争が終わってから何十年も経った世界なの。昭和は、もう終わっているわ」
その言葉に、少女はきょとんとした顔になる。
「じゃあ、おとうさんとおかあさんは?」
「……詳しくはわからないけど、多分」
この世には、もういないわ。
そう言った時、瑠奈は少女に嫌われることを覚悟していた。
もうこのまま離れて行かれても仕方がないと思ってさえいた。
だから、美香の表情が変わったのに気付かなかった。
「……な〜んだ、そうだったんだ」
その声は、あまりにも無邪気で。
思わず、瑠奈は逸らしていた視線を戻す。
そこには、ニパッと微笑んだ美香がいた。
「そっか。まってもかえってこないわけだよね。わたしが、ずっとこっちにいたからなんだ」
そんな、予想していたどのリアクションとも全く違う返事に呆気にとられた瑠奈へ、美香は笑ったままで言う。
「あのね、ずっとまえから『こっちにおいで』ってこえがしてたの。おとうさんとおかあさんににているけど、ふたりはぜったいにかえってくるっておもってたからきいてなかったんだ。……でも、まいごなのはわたしだったんだね」
そう言うと共に、美香の身体が光に包まれ始める。
思うよりも、言葉を発するよりも先に、瑠奈は彼女を抱きしめていた。今はまだ、温もりはここにある。だが、それが急速にここから消えていくのを感じた。
地縛霊、というものがある。
何かしらの強い悔恨を残したまま死んでしまった人が、霊となってその地に縛られている状態のことだ。
当然、残している未練が解消されてしまえば、その霊はそこに留まる必要もなくなってしまう。
成仏、してしまうというわけだ。
消えてしまう。
「ルナおねえちゃん、いたいよぉ……」
「……うん、ゴメンね」
謝りながら、しかし瑠奈は腕の力を緩めない。手の中の少女が、今この瞬間も存在しているのだということを、感じていたかったから。
そんな瑠奈に、しょうがないなぁ、と一言呟いてから美香は離れようとしない彼女の背へと腕をやった。
「あのね、ルナおねえちゃん」
「……うん」
「すこしのあいだだったけど、すごくたのしかったよ」
「……うん」
「だからね、おねえちゃん」
そこで、美香は少し身体を離して、瑠奈の顔を覗き込む。
淡い光を放つ彼女の微笑みは、あまりにも無邪気で、あまりにもかわいらしくて。
視線の端に、涙がにじむのを瑠奈は感じた。
「いっぱいたのしいことをして、いっぱいわらって、いっぱいいきてね。ルナおねえちゃん」
言葉が終わると同時、彼女の身体から放たれる光が一層強さを増す。そのあまりの眩しさに目が眩んでしまった。
次にきちんと見えるようになった時、瑠奈の腕の中は空っぽだった。
フラフラと立ち上がり、周りへ視線をやる。だが、そのどこにも少女の気配はない。あの一瞬で、この家を出ることが出来る訳もない。
消えて、しまったのだろうか。
何も考えられない頭で、ふとそんなことを思う。だとしたらいつまでもここにいたって仕方がない。
「……ありがとう」
もう聞こえていないだろうとわかっていながら、そう呟いた。
そのままきびすを返し、急ぎ足で玄関を開けた。後ろを向くことなく外へ出て、そこで力尽きたように崩れ落ちる。
パタン、と背後で扉の閉まる音が聞こえた途端、限界が来た。
「ひ、ひっ……く、くぅう……」
目の端から、留めていた涙がこぼれ落ち始める。意識すると、余計に溢れてきた。
たった二日しかいなかったのに、しかも元々は赤の他人でしかないのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
ポツ、ポツリと天からも水滴が降ってきた。少しずつ、その量が増していく。
雨は苦手だけれど、今日だけはありがたい。こんなに辛い夜は初めてだったから。
別れなんて何度も経験してきたのに、どうしてこんなに辛いんだろう。何で、どうして? 答えなんて見つからないまま、ただただひたすらに泣きじゃくる。
「……終わったのか」
その言葉と共に、雨が途切れる。
顔を上げると、そこには傘を持った琉衣夜がいた。クシャクシャと優しく頭を撫でながら、彼は小さく微笑む。
「ねえ、琉衣夜……あの子は、まだいる、の……?」
「……いや、少なくとも、あの家にはもう誰もいない。生き物も、そうでない者も」
答えてから、琉衣夜も彼女の隣に座り込んだ。
おいで、というように、彼は腕を開いた。それに、瑠奈はありがたく甘えることにする。
彼の背へと腕を回し、きつく、思いっきり抱きしめる。途端、これまでよりもさらに涙が溢れ出した。琉衣夜は、何も言わないまま左手を彼女の背へ回す。
無言の温もりが雨に濡れた全身に染み渡っていくのを感じながら、瑠奈は涙を流し続けた。
「まさか、一本しか傘を持ってきて無いだなんて……」
「るっせえな……一人が長かったんだよ」
結局、瑠奈は一時間近くその場で泣き続けた。
雨はそれ以上強くなることこそ無かったものの止まずに降り続け、二人ともすっかり身体が冷え切っている。
「晩飯、何にも準備してないんだよなぁ。何か、リクエストある?」
「ん〜……親子丼とか?」
「……普通に手のかかるリクエストをありがとう」
そんな会話をしながら、二人はすっかり夜に包まれた帰り道を歩いていく。雨は、ぱらぱら降り程度に弱まっていた。
「ね、琉衣夜」
「ん?」
相合い傘で歩いていきながら呼びかける。振り向いた彼に、瑠奈は少しイタズラっぽく微笑んで言った。
「私がもし迷子になったら、どうする?」
その質問に、琉衣夜は一瞬間を開けて答えた。
「とりあえず一発殴る」
「スパルタ!?」
「理由次第では増量する」
「まさかの追い打ち!?」
「くだらない理由だったら、ハイキックな」
「私、女子なんだけど!?」
ま、そんな感じで。
そんな風に言って再び前を向いた彼に、瑠奈は「全く」と小さく呟いた。
(全く、素直じゃないなぁ)
心中でそう呟いて、彼の横顔をチラリと見やる。
とりあえず殴るという言葉をそのままに受け取れば、ひどいようにも思える。だが、少し考えてみよう。殴る相手が目の前にいないのに、どうやったら殴れるだろうか?
つまり、そのひどい言葉の裏には、別の意味があるのだ。
(『絶対に見つける』って、素直に言ってくれればいいのに)
推測に過ぎないけれども、きっと間違ってはいないと思う。その証拠に、前を向いたままの琉衣夜の顔はほんのりと赤い。
(……ありがとう)
内心でポツリと呟く。ギュッと強く手を握ると、琉衣夜も握り返してきてくれた。
それに、瑠奈は頬を緩める。
「さあ帰ろう。夕飯は親子丼ね!」
「いいけど……仕込みがなぁ」
そう言って、二人は歩いていく。
あるべき所、帰るべき場所へ。
あの少女も、きっと帰っていったのだろうから。




