第4章 乗り越える者-8
ヴェインはまっすぐに飛び出した。
その背からは先ほどまでと同じ、いやそれよりもさらに光の充ち満ちた純白の翼が展開されている。
琉衣夜から魔力を供給されたからだろう。
その速度はもはや音すら置いていくほどの速さに達しており、琉衣夜の目でさえ追うのがやっと。
“黒”を宿した目が無ければ、彼はこの戦場で立っている資格すらなかったに違いない。
だが、琉衣夜はその動きに呼応してみせる。
パチンと指を鳴らし、地の底から呼び出した“黒”を展開した。
出現位置は天使の後方。
間欠泉の如く湧き出した漆黒の泥水に、天使はされど戸惑うことなくその両翼をはためかせる。
しかし、それだけでは留まらない。
天使の頭上から、真黒の翼が降り注ぐ。
先ほどまでのやり取りで随分と“黒”を撒き散らさせてもらった。
負の感情は、ある種の呼び水のようなものだ。
人の感情は周囲に影響され、連鎖し、そして更なる大きな感情へと膨れ上がっていく。
それを理解しているからこそ、琉衣夜は“黒”を馬鹿みたいに振りまいたのだ。
天の果てであろうと地の底であろうと、人が存在する限り負の想念は存在する。
多少の泥を振りまいてやれば、この通りだ。
対するように天使はその背から光輝を放ち、翼を迎撃する。
されど、その全てを逐一落とすことは叶わない。
何段にも重ねた、まるで五月雨のように降り注ぐ黒羽は、迎撃に向かってくる攻撃を物ともせずに何度も何度も襲いかかる。
一つ、また一つと天使の体に黒の羽が当たる度に、その魔力が少しまた少しと削り落とされていく。
だが、その程度では大勢は変わらない。
天使の魔力保有量は、その程度では覆されない。
しかし、それは琉衣夜単独の場合に限る。
もう一人、攻撃役がいればどうなるのか。
“黒”から奪い取られた魔力は、そのままヴェインの体内に潜む“黒”へ供給され、その動きをさらに加速させていく。
動きを止められた天使へと駆け寄り、握りしめたその拳が翠緑に輝いた。
「とりあえず、まあ喰らッとけ!!」
咆哮。
同時に、動くことができない相手に対して渾身の一撃が振り下ろされる。
ガギィン! という金属を叩いたとき特有の甲高い音が響き渡った。
ヴェインの拳を受けた外甲が、その形のままにぐにゃりと変形する。
どうやら、今の一撃を受け止めることはできなかったらしい。
いける。
そう思考の端で考えたその時だった。
視界の果てから横薙ぎに払われた一撃に振り払われ、一気に後方へと押し戻される。
受け身を取ろうにも翼から副次的に生み出された風に体勢を崩され、背中からぐしゃぁ、と情けない音を立てながら着地することになった。
「おいおい、随分な有様だな。無駄な魔力を渡しすぎたか?」
「るッせェ、あンな簡単に凹ませられるとは思ッてなかッたンだよ」
ぺっと口の中に混じった砂利を吐き捨てながら、ヴェインは腹立たしげにそう答える。
まあ、確かにあの程度の一撃で損壊させられるとは、琉衣夜も思っていなかった。
存外魔力的な攻撃よりも、物理的な攻撃に脆い性質なのかもしれない。
とはいえ、これだけ陽動をばらまいて電撃的に侵入したとして、あの程度だ。
積み重ねれば無論いつかは崩壊するだろうが、それまでこの二人の体力が保てるかは定かではない。
……そも天使相手に消耗戦が通用するかを考えるべきかもしれないが。
「アテが無い訳でも無いんだが……にしてもなあ」
「ンだよ、あれをどうにかする手段があンのか?」
「ある」
「なら、その準備をしろ。その間ぐらいは何とかしてやるからよォ」
「あ?」
そりゃどういう意味だ、そう質問をしようとした時には既にヴェインは駆け出していた。
先ほどまでと同様、その体は背中の翼を震わせて凄まじい速度で突っ込んでいく。
だが、先ほどまでと全く違うのは、その軌道。
直線的だった先ほどまでの飛行とは違い、その軌跡は複雑な軌道を描いていた。
接近してくる相手に対し、天使は迎撃の意思を示す。
左右から純白を宿す翼が振るわれる。
ただの金属といえど、一定以上の速度でもって振るわれればそれは暴力の嵐となる。
魔力が宿されているのであれば、一層その威力は増加する。
巨人の振り下ろす鉄槌の如き一撃を、ヴェインはかするかどうかの瀬戸際で避けてみせた。
乱風が彼の頰を切り裂く。
されど、その鋭い瞳は揺るがない。
眼前の敵の中に、救うべき相手がいる。
故にこそ、退くべき時では無い。退く理由は、ここにない。
ようやくこの戦場に辿り着いたのだ。
何度も、何度も何度も、ここへ辿り着くために別の場所で戦いを続けてきたのだから。
「こんな所でしくじる訳にャあ、いかねェよなァ!」
獰猛な笑みを浮かべ、ヴェインは吼え立てる。
その速度はさらに上昇し、しかもその動きはさらに複雑になっていく。
人造の天使は自分の周りを飛び回る蝿を叩き落とすかのような挙動で動く。
その右腕が、暴風を伴って振り下ろされる。
その左腕から魔力が放出され、焦熱伴う閃光が放たれる。
その背中の翼が振るわれ、放出された羽が敵を叩き落とすべく猛進する。
圧倒的な暴威。
絶対的な魔力。
絶望的な速度。
一撃でも受ければ、ひ弱な人間の肉体などあっという間に消失する攻撃。
だが、ヴェインはその隙間をかいくぐってあっさりと生存してみせる。
凄まじい重圧と魔力を伴う攻撃であるにも関わらず、その全てから逃げ延びてみせた。
(随分と、簡単じャねェか。攻撃自体のパターンは多いが、どれもなんつゥか……単調)
攻撃のパターンは、確かに数が多い。
でも、攻撃はどうにも直線的だ。
例えば、腕を振り払う攻撃。
例えば、羽を使用した攻撃。
例えば、光を放つ攻撃。
その全てが一つ一つ独立していて、その上に単調。
一つの攻撃を乗り越えれば、その次。
さらにその攻撃を乗り越えれば、その次の攻撃。
乗り越えることができてしまえば、その次へ対応することはたやすい。
(ミランが動かしてンのかと思ッたが、どォもそういう訳でも無いらしい。何かしらの術式、プログラムで動かしてるンであれば、単調な動きにも説明がつく)
そんなことを考えながら、ヴェインは空から降り注ぐ流星の合間を縫って飛行する。
攻撃の隙間と隙間を見据え、反撃を行うことすら可能な感覚。
範囲そのものは膨大。
その威力自体も絶大。
だが、当たらなければ意味はなく、意味のない攻撃は自らのリソースを消耗していく。
それを、この天使は気づいているのだろうか。
いや、そもそもとして。
この天使に、自我はあるのか。
(アイツを取り込ンでいるとして、その思考を利用できてねェのであれば、こンな単調すぎる攻撃はあり得ねェ。となれば、やッぱプログラム側の問題か)
人間であれば、当たらない攻撃を前にして何度も同じことを繰り返すだろうか。
苛立つこともなく、焦ることもなく、パターンこそ豊富なれど同じような攻撃をただただ繰り返すことがあり得るのだろうか。
そんな訳はない。
少なくとも、多少なりと戦闘を経験しているのであれば、眼前の状況を前にして改善を行わないなど、あり得ないのだ。
ヴェインでさえ、琉衣夜との戦闘から自らの弱点を理解し、経験を持って成長した。
であるにも関わらず、この天使は変わらない。
天使は絶対であり、不変である。
そう定義づけられているが故に、変われない。
「なあ、ミラン。こいつァ、間違いなくテメェの落ち度だろォぜ」
「……何を。天使の力は絶対です。あなた如きが生存を許されるような存在ではないのですよ」
「その天使様の力とやらで俺程度を殺せねェのは、何でだ? この俺一人程度、これだけのパターンで捉えられねェのは何でなンだ? 単純な話だろォよ、この人形を作ッたのがテメェなら、人形は作り手を越えられねェのも道理ってもンだよなァ!」
大笑しながら、彼は更に激化する攻撃をそれでもあっさりと回避してのける。
ミランは唇を噛み締めながらそれを見ているものの、それでも攻撃は当たらない。
「何だァ? プルプル震えてるだけじャねェよなァ。そら、テメェの天使様はどうすンだよ。さッさと俺を潰してみせろよ、なァ?」
嘲笑を込めて、ヴェインはミランへ言ってみせる。
ミランの表情は更に真っ赤に染まっていた。
だが、その顔ははたりと何かに気づいたかのように一転した。
「……ああ、なるほど。それはそうですね。あなたはこちらを煽っていますが、それでもこの天使を倒す手段はない。こちらの攻撃をかわすことはできますが、それ以上に至ることはできない。……であれば、リソースの絶対量で勝る、こちらの勝利です」
「…………」
その言葉に、ヴェインは呆気に取られたような表情を見せる。
それを何と勘違いしたのだろうか。
ミランは更に言い募る。
「そちらこそ、こちらの不備を冷笑するだけの余裕があるなら攻撃してみなさい。君の力だけで突破できるとも思えませんがね」
「……そォだな。確かに、俺一人じャあこいつを潰すのは無理だろォな」
でもよ。
そう、ヴェインはぐちゃりと引き裂けた笑みを浮かべる。
それは素敵に不敵で大胆な、誰かを思わせるような笑み。
そして、その後方からやけに通る声で少年の声が響く。
「それは、こいつ一人だけの話なら、だよな?」
後方から、今の今まで息を潜めていた琉衣夜が、やっと終わったと言わんばかりに首をゴキゴキと鳴らしながらそう囁く。
「悪いが、もう終わったも同然なんだよ」




