第4章 乗り越える者-7
琉衣夜のぐちゃりとした笑みに呼応するように、ゾワリゾワリと地中から“黒”が這い上がる。
嫉妬、怨嗟、憎悪、ありとあらゆるこの地に眠る負の想念を糧として漆黒の波濤が吹き上がり、目前の相手を自らの仲間に引きずり込まんとその威容を露わにしていた。
トン、トン、トンと三度足を鳴らせば、真黒の波は三方へ分かれて動き始める。
一つ目は汚泥の濁流と化して真正面から敵の二人を押し流すべく襲いかかった。
二つ目は吹き上がった勢いのまま天へと舞い上がり、その身を瀑布と成して降り注ぐ。
三つ目は琉衣夜の号令の下数千数万もの黒弾へと変貌し、二撃の届かない範囲をカバーする。
その一つでも受ければ、容赦無く魔力を食い散らかされる致命の一撃。
なれど、天使が天使たる所以は人の力で届かないがこそ。
たとえ人の手で生み出されたと言えど、その形を模しただけの形代と言えど、瑠奈を追い詰めたその戦力は伊達ではない。
起き上がった天使はミランを守るべくその体の陰に主人を隠しながら、その両翼を大きく広げた。
刹那、その翼から幾条もの光輝が解き放たれ、天より滝の如く降り注ぐ真黒を幾百幾千にも引き裂き、その全てを消失させる。
さらにその両翼は魔力を孕む一撃となって、漆黒の波濤を引き裂く。
多少の魔力を削がれるものの、その程度では天使の力持つ翼撃を止めることなど出来はしない。
加えて翼から放たれる魔力の波動が敵の攻撃を逸らす助けとなる。
ちまちまと魔力を奪ってはいるものの、その程度では趨勢を決するほどの差にはならない。
魔力の保有量を鑑みれば、この程度は岩を砕かんとする一雫でしかない。
「その程度の魔力で食い潰すとは、よくぞ言ったものですね」
「そうかい。俺はこんな戦い方しか知らないもんでな」
だが、雨垂れといえど岩をも穿つのだ。
たかが微小の魔力、されどそれも反撃の一助となる。
喰らい奪った魔力を自らの魔導式へ流し込み、両手で二つの魔導を起動させる。
生み出した式は『殲光』。
天使の力を人が御し得る力へ変換した一撃。
天使といえど、人が届き得ぬ存在といえど、その全てを理解し、利用するのが人間という存在なのだから。
「目くらましにしかならんだろうが、とりあえず食らっとけ!」
「小賢しい!」
天使から奪った魔力さえも威力に変換した一撃ゆえに、普段よりもその威力は増大している。
しかし、“黒”の波濤をあっさりと乗り越えた人造天使に、その程度では届かない。
事実、その翼は一閃をもって一つ目の光を両断し、ぐるりと振り回した二撃目で『殲光』を引き裂いた。
その程度は、琉衣夜も当然理解している。
だが、琉衣夜は単独で戦闘している訳ではない。
ド派手な魔力を撒き散らす『殲光』、視界を大きく制限する“黒”の連撃。
それによって、普段なら気付いたであろう動きを、天使とそれを律する者は見落とした。
「……そォだな、目くらましにャ十分すぎる」
「なっ、お前は……」
言葉と同時、人造天使の頭上から流星の如き一撃が叩き込まれた。
その一撃によって、破砕こそされないもののその頭が陥没する。
こんな攻撃を放つことができるのは、この場においては一名しかいない。
「よォ、クソメガネ。テメェを叩き潰すために帰ってきたぜ」
「ちっ、相変わらず邪魔しかしない実験体ですね。やはり二人目を作った後に処分しておくべきでしたか」
「そォだなァ、テメェの判断を嘆くこッた」
琉衣夜に負けず劣らずぐちゃりと引き裂かれた笑みを浮かべるヴェインは、さらにその右腕を大きく振りかぶった。
刹那、大地を揺るがすほどの凄まじい衝撃が駆け抜ける。
人で言えば首の辺りだろうか、その部分にヴェインの拳が叩きつけられたのだ。
人は構造上頭で全体のバランスを取っている。
故にその頭部が地面に叩き付けられれば、必然としてその体は崩れ落ちることになる。
まるで、全身で天へ祈りを捧げるかのように。
「はっ、無様だな。あれだけ自信満々に言ってた割には、二人に制圧されるとはよ」
その様子に、琉衣夜は嘲り笑う。
ヴェインもそれに追従するかと思ったが、しかし彼は天使を凝視してピクリとも動かない。
それどころか、その口元はギリギリと噛み締められていた。
ミランは、ヴェインの様子を見てメガネを直しながら囁く。
「ああ、やはり気付きますか。君たちは妙な部分でリンクしていたようですからね」
「……テメェ、アイツをどうしやがッた」
「わざわざ答えずとも、理解しているのでしょう。君の察した通りだと思いますよ」
「ふざけンなよ、テメェ!」
激昂し、吼えたてると同時にミランへ飛びかかろうとするも、足元の天使がそれを許さない。
その全身をガバリと起き上がらせた天使が、主人へ攻撃反応を示す敵へと迎撃せんとばかりに動き始めた。
ヴェインは舌打ちを一つ零し、翼を羽ばたかせてその場から文字通り飛び退く。
「どうしたよ、随分と動揺しているみたいだが」
「さッき、もう一人いるッて言ッたろ。あの野郎、あの天使の中にアイツをぶちこみやがッた……!」
「……なるほど、そりゃあブチギレる訳だ」
ぎろり、と琉衣夜はミランを睨め付ける。
前々から一度ぶちのめす必要があるとは思っていたが、こんなにもわかりやすい理由を用意してくれるとは。
乗っからなければ、逆に失礼だってものだろう。
「“罪咎の巣”も表立って人体実験を是としてる訳じゃないしな。わざわざここまでやりやすい大義名分を用意してくれるなんて、随分と気が利いてるじゃないか」
「そォだな……悪いが俺の魔力、返してくンねェか」
「安心しろ。返すだけじゃなくておまけもつけてやるよ」
ぱちん、と指を鳴らした途端、ヴェインの体に魔力が復元される。
体内に残されていた“黒”から、魔力が供給されたのだ。
それも、彼の体が保有し得る限界ぎりぎりまで。
「さて、それじゃあ、悪の研究者を叩き潰すとしますか」
「ガラじャねェなァ……」
琉衣夜の皮肉げな笑み混じりの言葉にポツリとヴェインは呟くも、一瞬後には両者ともに駆け出す。
そして、天使と天使がぶつかり合う、黙示録でもお目にかかれないような戦闘が始まった。




