第4章 乗り越える者-6
時はほんのわずかに遡る。
「瑠奈の魔力はここから出てるんだが……開かないな」
「なンか気持ち悪ィ雰囲気が漏れてンな。あのメガネのことだから、別におかしくもねェが」
「とはいえ、この中に入れないとどうしようもないか」
ほんの一瞬、琉衣夜は目を閉じる。
再び目を開いたその時、その瞳には泥のような漆黒が宿っていた。
“黒”の力を操り、眼前の扉をがんじがらめに縛り付ける魔導を解析する。
例えどんなに強力な魔導といえど、わずかな綻びから術式を崩してしまえば無力と化す。
だが、それを隣で見ていたヴェインは、舌打ちを一つこぼした。
「ンなめんどくせェこと待ッてられるかよ。中の奴は頑丈なンだろ」
「あ? 何しようと……」
強気な発言に眉をひそめた琉衣夜がそちらを向けば、ヴェインが右手に力を集中させ、今まさに解き放たんとしている所だった。
「バカお前、そんなことしたら」
「るッせェな、さッさと解決できねェお前が悪りィ」
「いや、そうじゃなくでだな」
制止しようとするも、ヴェインは止まることなく力を放出した。
右掌から放たれた光は主の命に従って、眼前の障害を叩き潰さんとばかりに進撃する。
だが、その一撃は扉を叩き壊すことはなかった。
「嘘、だろ」
「……だから言ったろうが」
それどころか、眼前の扉は微動だにしない。
いったいどれほどの魔力を注ぎ込めば、これほどの頑強さをなし得るのか。
おまけに先ほど与えた魔力のほとんどを今の一撃に注ぎ込んだのか、ヴェインの息はわずかに上がっていた。
「そもそも中に瑠奈を閉じ込めるんなら、俺らを合わせても届かないレベルの防御結界になってるはずだ。力技でこじ開けようとするだけ無駄だな」
「て、テメェ……早く言え」
「言おうとしたのに聞かなかったのはお前だろ、ボケ」
容赦無く切り捨てながら、琉衣夜はため息をついて再び術式の読み取りに戻る。
期待した自分がバカだった。
こいつが戦闘に限らず経験不足なのは重々理解していただろうに。
再び漆黒の汚泥を宿した両目は、目の前に立ち塞がる障壁を読み解き始める。
(……やっぱりな。上手く誤魔化してはいるが、幾つも術式を重ねれば綻びが生まれない訳がない。こいつを崩してやれば、自己崩壊を起こすはずだ)
魔導は積み込まれた情報量と、式に流されている魔力の量でその強弱が決定される。
この辺りの霊脈全てと接続された、何重にも重ね合わされた術式が、決して脆い訳がない。
だが、式が存在するということは、介入する隙は必ず存在する。
ノートを見開きで占拠する数式が、ただ一文字足し引きされるだけで全く意味をなさなくなってしまうように。
長々と書き記された文章が、ただひと単語追加されるだけで全く別の意味へ変貌してしまうように。
術式が持つ意味と、術者が意図する動きを把握することができれば、妨害・転用することは不可能ではない。
(毎日少しずつでも解読しておいて正解だったな。今この瞬間に解けって言われてたら、絶望してたかもしれない)
意味さえ理解してしまえば、あとはそれをどうにかして書き変えるだけだ。
無論、何も考えずぐちゃぐちゃにしてしまうのも一つの手ではあるが、そうすると今回の場合術式に流れ込んでいた魔力が暴走しかねない。
上手く魔力の流れを誘導し、問題が起きないように魔導を切り替える必要がある。
(むしろ、“黒”に全部食わせるのも一つの手ではあるが……やっぱりやめておいた方がいいな。これだけの量だと、受け手が破裂しかねない。元の霊脈に戻るように術式を組むのが無難か)
ぽう、と淡い光を放つ指先で眼前に展開された術式へ干渉を始める。
“黒”によって全体の術式を把握している彼にとって、この程度の作業は造作もない。
第一、この手の魔導は破綻しないように作るのが大変なのであって、意図的に破壊するのは難しくない。
無論戦闘中にそんなことになれば生死に直結するのでブラフを埋め込んだり、起動後干渉しようとする相手に何らかの妨害を加える術式を組み込んだりすることもあるのだが、ここの研究者たちはそんなことまでは考えなかったらしい。
おかげでこちらの作業が手っ取り早く進むのだ、文句は言うまい。
時間にして数分ほどで、彼の手によってあちらこちらを弄り回された術式は、本来意図しない仕様で動き始める。
それによって、眼前の扉はあっけなく開かれた。
そして、開かれた視線の先では、瑠奈が何かと対峙していた。
瑠奈から感じる魔力はひどく弱々しいものになっている。
それを摘み取るかのように、銀色の影が動き出した。
その動きを見て、琉衣夜はその何かが敵であると完全に判断する。
そう認識した途端、少年はまるで疾風のように動き始めた。
ヴェインから搾り取った魔力を“黒”に上乗せし、一気に眼前の敵に向かって解き放つ。
刹那、主人の枷から解き放たれた漆黒の亡者達は一斉に銀色の何かに飛びかかり、汚濁の渦と化してその全身を飲み込みにかかる。
流石に第三者からの奇襲は予想していなかったのか、その体が存外あっさりと後方へ吹き飛ばされた。
その間に、彼は瑠奈の元へと駆け寄る。
少し見ない間に、随分と無理をさせてしまったらしい。
白磁のごとき肌は泥に汚れ、表情はこわばりきっている。
全身から放たれる魔力はひどく乱れていて、到着するのが遅れていたらどうなっていたのか想像もつかないほど弱々しかった。
「ごめんな、瑠奈。随分とかかっちまった」
「……あ」
声をかけながら、その頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
途端、固まっていた表情がほんのわずかに緩んだ。
そう言えば、こんな風に彼女のことを慰めるのも随分と久しぶりだな。
そんな、緊迫した状況に合わないことを考えながら、琉衣夜は少女へにっこりと微笑みかける。
「琉衣夜……」
「待ってろ。今度は、俺がどうにかするから」
ぽん、とその頭を軽く叩いて、琉衣夜は敵の方へと向き直る。
銀色の何かが今まさに立ち上がろうとする隣で、見慣れた金髪メガネの姿が目に映った。
「よお、ミラン。随分とうちの天使様をいじめてくれたみたいじゃねえか」
「介入は予想していましたが、存外に早かったですね。……どうやってここへ?」
「おいおい、決まりきったことを聞くなよ。こいつがいる所に、俺が来ない訳がないだろ」
ギリ、とミランの口元が噛み締められる。
結界を破られたことだろうか。
実験を邪魔されたことにだろうか。
それともまさかとは思うが、自作の人形を吹き飛ばされたことにだろうか。
知ったことか。
怒りを隠しきれないのは、こちらも同じことだ。
「随分と、本当に随分とやってくれたらしいな。……覚悟しろ、この実験は高くつくぜ」
「ほざけ、あなた如きがこの天使に勝てる訳がないでしょう。大人しく、後ろの器ともども吹き飛べ!」
怒号に応えるように、後ろの天使らしき何かが動き始める。
だが、琉衣夜は臆するそぶりを見せない。
それどころか、岩のように堅く拳を握りしめ、眼前の敵へ凄まじい圧力を放つ。
それと比例するように、彼の口元はぐちゃりと歪められていく。
「さあ、始めようか。天使か何か知らねえが、まとめて食い潰してやる!」
吐き散らし、ズンという地響きを鳴らしながら、その体が前進する。
そして純白と漆黒、有機と無機、相反し相克し合う両雄が激突した。




