第4章 乗り越える者-5
ぜい、ぜいと喉元から荒い吐息が溢れる。
ここまで全力で戦闘行動を取るのはいつ以来だろうか。
ここ一年と少しの記憶しかないが、体の反応を鑑みるにそれ以前もここまで全身全霊で戦闘をした経験はなかったのかもしれない。
そう、瑠奈は悲鳴を上げる己が肉体を観察し、冷静に判断する。
ある種の現実逃避にも近いが、自身の限界値を見つめ続けることは重要だ。
全開の出力があとどれ程持つのかは、戦闘の勝敗を分けるには十分すぎる情報である。
こと、この場のような消耗戦では、特にその傾向が強くにじみ出ていた。
「流石に人間の肉体では限界が出てきたようですね。どうですか、同じ天使とここまでの長時間戦闘を続けた感想は」
メガネを直しながらそう問いかけるミランの周囲には、強力な結界が展開されている。
おそらく、この部屋を外部と切り分けている結界と同種のものだろう。
そうでなければ、部屋全体を蹂躙する魔力の余波だけで消滅していたとしてもおかしくはない。
「はっ、ちょうどいいくらいよ。こんなに自分の力を使えるのは初めてだもの」
「そうでしょうねぇ。何せこれまでに計測された魔力を単純に熱量換算すれば、どれだけの範囲が吹き飛ぶやら。ありったけの防御結界を構築しておいて正解でしたよ」
荒々しい吐息を隠しながらそう答えるも、ミランは別段動じたそぶりも見せない。
彼にとってはこれさえも実験に過ぎないと言うのだろうか。
だとしたら、どれほどまでに探究心に満ち溢れているのやら。
「正直に申し上げるなら、あなたの力量を過小評価していた節もあるでしょうね。ただ膨大な魔力を保有しているだけなら、これまでの戦闘で弾け飛んでいたでしょう。純粋に、あなたの力量には敬意を評しますよ」
「銃口を突きつけながらそんなことを言われても、嬉しくないわ」
「それはそれ、これはこれですので。実際、コレを試験運用するにあたっては適当な相手がいなかったものですから。計画を立てるにしても理論上でしか出せなかったのですよ」
予想以上に有意義なデータを得られました。
そう囁くミランに、瑠奈は唾でも吐きかけてやろうかとさえ考える。
今この世界にないものを自ら生み出そうとする意欲は買ってやるが、その実験に付き合わされるこっちは大迷惑だ。
おまけに相手の出力を考えれば、こちらを殺したとしてもそれはそれで人造天使の出力が大天使を上回りうる、なんて結果を出しかねない。
瑠奈にとって百害あれど一理ない研究である。
「……悪いけど、これ以上は付き合ってらんないわ」
「おや、そうですか。あなたほど素晴らしい研究対象もいないと言うのに」
「実験台のモルモットなんてお断りよ。こんな所で殺されるなんてまっぴらごめんだもの」
そう答え、瑠奈は深く息を吸う。
刹那、その全身から放たれる魔力の波が変動した。
まるで肌をザラザラと舐めるような感覚すら覚えさせるその魔力に、ミランがわずかに眉を潜める。
「随分と刺々しい魔力を放ちますね。そこまで緊張せずとも良いのに」
「全力で殺す気でいる癖に。こっちもこっちでタダで殺されてやる訳にはいかないのよ」
魔力を放出するその感覚は、例えるなら井戸の水を汲み上げるようなものだ。
ただし、瑠奈の場合はその井戸は底が果てしなく深い。
全てを汲み上げようとすれば、瑠奈の体が井戸の内へと放り出されてしまうほどに、彼女が内包する水は深く、多い。
これまで使用してきたのは、その表面だけ。
桶を深く突っ込む必要もなく汲み上げられる程度の、その程度の量に過ぎない。
それ以上を求めれば、あっという間に引き摺り込まれる可能性すらあるからだ。
だが、眼前に敵を見据えた状態で手段を選んでいられるほど、戦場は甘くも優しくもないらしい。
であれば、より多くの水を汲み上げる他にない。
目前に迫る蟻を押し流すほどの、圧倒的な物量を引き出す他に手段はない。
「……怖い怖い。意識を保ちながら、それほどまでの魔力を引き出し得るのですか。やはり、あなたは最高の実験相手だ」
「……………………」
瑠奈はその言葉に答えを返さない。
否、返す余裕がない。
手を出したのは、普段よりもほんのわずかに多い程度の魔力であるにも関わらず、一気に主導権を奪われそうになるほどの力が彼女の中で波打っていた。
大天使、なんて物々しい名前は伊達ではない。
それほどに強力な力であるが故に、この力は彼女の中に厳重に封印されているのだから。
「か、あっ……う、うぁ……っ!」
(主導権は、まだ取られてない。取られてないのに、この重圧……っ。やっぱり頼るべきじゃなかった……!)
苦しげな吐息をこぼしながら、瑠奈は己が内に充ち満ちる力の手綱を必死に取ろうともがく。
そして、そうしている間にも敵は待ってなどくれなかった。
人造天使が、微動だにしない瑠奈へと手を伸ばす。
その全身は神々しい輝きに包まれ、側から見るそのありようはまるで敬虔な信徒を抱きしめる天使のような姿だった。
だが、その意図する動きはその真逆。
自らの前に立つ不届き者を握りつぶさんとする、鉄槌の一撃。
しかし、その手が瑠奈に触れることはなかった。
「さわ、るな……っ!!」
絞り出すように発された一言。
刹那、研ぎ澄まされた刃の如き烈風が、戦場を駆け抜けた。
荒れ狂う魔力は波となり、渦となり、宿主を外そうとする敵を容赦なく飲み込み、その行動を徹底的に阻害する。
全身を金属で作られているらしき形代は、ただそれだけの威力にギチギチと悲鳴をあげていた。
足止めを受ける天使に対し、瑠奈は右手を向ける。
瞬間、形代を押し止める力が絶対的な圧力へと変貌し、その全身を叩き潰さんとばかりにその金属の体を圧迫する。
ミシミシという音は次第にビキビキという圧壊するような音へと変貌し、言葉を発しないはずの人造天使がまるで苦悶の表情を浮かべるかのような軋みを上げていた。
だが、あと一歩。
圧し折るまであと一歩という所で、その圧力が途絶える。
「あ……っ」
ぷつり、と何かが自分の中で途切れる感覚があった。
瞬間、全身に込められていた力が抜け、魔力の制動すら不可能に陥る。
(魔力切れ……いや、違う。この感じは……っ)
「げほ、げほげほっ……!」
「ふむ、自らの限界点を越えましたか。やはり、人間の限界とはあまりにも残酷ですね」
そんなことを言うミランに、瑠奈はもはや言葉を返すことすらできない。
体は震えていた。
一瞬でも己が領分を越えた力を振るおうとした反動で、全身が締め付けられるような激痛を発している。
咳き込むたびに内臓が悲鳴をあげ、血を吐いていないのが奇跡だとすら感じるほどの衝撃が内部からも駆け抜けていく。
もはや、魔力を制御するどころか魔力を生成することすら難しい。
(やっぱり、大天使の魔力を無理に引き出そうとしたのが、祟った……!)
「や、ば……」
「本当に限界のようですね。まあ、使いようはいくらでも……っ!」
こちらを冷徹に見据えるミランの表情が、あっさりと崩れた。
刹那の瞬間、漆黒の暴風が人造天使を飲み込み、後方へと吹き飛ばす。
(なにが、)
起きたのか、そう思考を進める前に、現実が追いついてくる。
体を折り曲げて苦しむ瑠奈の前に、誰かが現れた。
その影はこちらへと手を伸ばし、ぐしゃぐしゃとこちらの頭を撫でてきた。
「ごめんな、瑠奈。随分とかかっちまった」
「……あ」
その手が彼女に触れた途端、自分の中の何かが普段通りに回り始めるのを感じる。
無論、戦闘できるほど復調した訳ではないが、呼吸する程度なら問題ないほどに痛みは薄れていた。
「琉衣夜……」
「待ってろ。今度は、俺がどうにかするから」
そう囁いて、琉衣夜は瑠奈ににっこりと微笑んだ。
そのまま彼はミランへと向き直る。
ようやく届いた戦場を前に、少年は臆することなく突き進む。
最も大切な存在を、自らの手で守りきるために。




