第4章 乗り越える者-1
「で、こんな時間に呼び出して何の実験をするんですか?」
時は夕食前まで遡る。
瑠奈は一人、いつもの研究室を訪れていた。
ミランは何かしらのデータを確認しているのか入室しただけでは反応しなかったが、声を掛けるとパッとこちらを振り向いた。
「来ましたか。すみませんねぇ、夕食前にお願いしてしまって。昨日の結果から新しい方法を思いついてしまいまして。善は急げとも言いますし?」
「早めに終わらせてくれると嬉しいですけどね」
どの辺が善なのか議論の余地はあるが、与太話に付き合って夕食を遅らせるのもお断りだ。
さっさと終わらせて食べに行くに限る。
「そうですね。では、参りましょうか」
「ここでやらないの?」
「ええ、ここではおそらく足りないのでそれ用の部屋をもう一つ用意しました」
こちらです、とミランは部屋を出る。
その後をついていくとこれまでよりも更に奥、突き当たりの部屋でミランは足を止めた。
「ここは実験用の素体を作る部屋のでしてね。万一暴走しても良いように他の部屋よりも一際強固に固めてあるのですよ」
「へぇ、そうなんですね」
ミランについて入った瑠奈の背後で、支えを失った扉が音を立てて閉まる。
辺りは暗闇に包まれたが、パチリと壁際のボタンをミランが押したことで電気が点いた。
頼りない明かりに照らされて浮かび上がるは、異形の人型。
天井からぶら下げられるワイヤーでどうにかその体を起こしているものの、その首は地を向いている。
その背からは、銀の輝きを宿す翼が生えており、されど力なく床に垂れていた。
「……何、これ」
「天使、の模造品ですよ。言ったでしょう、ここは天使の研究所であると」
「でも、これは」
「ええ、ただ形をそれっぽく作っているだけです。術式もいくつか纏わせてはいますが、それでも全盛の天使には届かないでしょう」
「なんでこんなものを……?」
「天使を、人の手で作るためですよ」
ミランはメガネを人差し指で押し上げ、普段の位置へ戻す。
メガネの下に宿される光は、心なしかいつもより狂気的な色を写していた。
「天使の力は凄まじいものです。その力を十全に振るえるものがいるだけで、まず間違いなく世界のバランスが傾くほどの力ですから」
「それはまあ、そうね」
こくり、と瑠奈は頷く。
自分の中に眠るもの。
それを宿しているからこそ、はっきりと自覚できる。
瑠奈が使用できるのは、その数十分の一程度に過ぎない。
であるにも関わらず、数多くの魔導師を圧倒するだけの力量が存在している。
これを全て自由に行使できるとしたら。
これが自らの意志のもとに振るわれるとしたら。
まず間違いなく、一国が滅ぶほどの影響を与えることができる。
「はず」や「かもしれない」などつける必要もない。
まず間違いなく、できるのだ。
その反応を見て、ミランは薄い笑みを浮かべる。
そしてそのまま彼は言葉を続ける。
「にも関わらず、天使の力はどうして人の体に宿るのか、これまで誰も解明したことはありません。例えば、あなたの体にどうして大天使が宿ったのか、説明をしてくれる人はいなかったでしょう?」
「そんな人がいたとしたら、ここまで悩んでいないわ」
「そうでしょうね。そんなことを研究する魔導師もいなかったでしょうから」
さて、とミランはポンと手を叩いてこちらを見る。
「では、どのように解明しますか?」
「……どう、って」
「その答えの一つが、これですよ」
トントン、と人差し指でなぞるように天使を象っているらしき形代に触れる。
途端、それに反応するように天使の形が動き始める。
電気などではない。
電気が動力なのであれば、これほどまでに頼りない光源になり得るわけがない。
それに、何より。
この人形は、魔力を全身から放っている……!
「モノには魂が宿る。これはあの少年の故郷で信じられている話でしたね。いやはや、個人的には非常に懸念を感じておりましたが、一方で非常に面白い試みでもありました」
「人が、天使を作る……ですって」
「いえ、まだ足りないのですよ。これはあくまでもそれっぽく作り上げた形代に、それ用の素体を組み込んだだけ。これでは、本当に天使を再現したとは言えないのですよ」
そして、ぎらりと狂気を宿した瞳が少女を捉える。
その目に、実力的には自分よりもはるかに下回るはずの相手に、
瑠奈の足が、一歩だけだが確かに後ずさる。
なんだ、この男は。
なんだ、この思想は。
「だからこそ、確かめる必要があるのですよ。本物の天使と対峙することで」
「だから、私をここに呼んだって訳……」
ちらりと肩越しに後方の扉を見る。
されど、そこから出ることはできなさそうだ。
ギチギチと彼女の前で動き始めている形代と連動して、既に恐ろしいレベルの結界魔導が張り巡らされている。
全力で一点に集中させれば吹き飛ばすこともできるかもしれないが、そうすると今度は琉衣夜や静を巻き込んでしまう。
そうなってしまえば、本末転倒だ。
「そう言うことです。おとなしく研究対象になっていただきますよ」
「……随分と、舐めてくれるわね」
ギリギリと歯を噛み締めながら、瑠奈は力を放出する。
この部屋を吹き飛ばさない程度の出力で、この狂った研究者と機械を叩きのめす。
自由に振るうことができればあっさりと勝利するにも関わらず、それを振るうことが許されない。
どこまでも相手に有利な制限戦へ、少女は自らの身を躍らせる。




