第3章 立ち塞がる者-14
その少年にはかつての記憶がなかった。
記憶にあるのは、自らを閉じ込めるための器からぼんやりと見える景色。
どうしてここにいるのか。
どうしてこんな場所に入っているのか。
どうして自分が生まれたのか。
そんな簡単なことすら、彼にはわからなかったのだ。
器越しにこちらを眺める金髪メガネは、彼を見て「素晴らしい研究素材だ」と常から零していた。
今にして思えば、確かに少年は彼らからすれば極上の素体だったのだろう。
なにせ、どれだけ過酷な耐久試験を施そうと、彼の体は痛みを発することはあれど傷を負うことはなかったのだから。
身の内から溢れ出る魔力は望外の出力を誇り、それまで抑え込むことを想定していた研究者達はこれを利用することに切り替えざるを得なかったほどだ。
「じゃあなんだ、その名前も本当の名前じゃないのか」
「さァな。アイツらに呼ばれてたッてだけだ。自分の名前なンざ知ッたこッちャねェ」
倒れたままのヴェインは自嘲気味に呟く。
魔力は多少渡したものの、それでも立ち上がるのは気だるい程度には生命力も魔力も食いつぶされているはずだ。
にも関わらず、表情を変える程度の見栄は残っているらしい。
もう少し削ってやろうかと考えるが、それをすると口すら動かなくなるので今は自重する。
「んで? ただそれだけなら、あの研究所に執着する必要もないだろ。復讐したいってのもあるかもしれないが、今の状態で殴り込むこともないだろうに」
「……言ッたろ、俺が研究結果の一つだッて。俺だけじャねェンだよ、あそこにいンのは」
ふう、と一息ついてヴェインはさらに言葉を紡いでいく。
彼がその存在に気づいたのは、いつ頃だっただろうか。
膨れ上がった力をコントロールするべく魔導式は常に展開されていたが、それでも人間がオペレートしている関係上、弱くなる瞬間は存在する。
そんな時だった。
自分以外の、でも自分によく似た何かがあることに、ヴェインは気付いたのだ。
どうやらそれを察知したのは、あちらも同じだったらしい。
言葉はない。
言葉を伝えられるほど、彼らは互いに魔導の知識が深くない。
無論、声も伝わらない。
互いに完全に隔離されている以上、声はおろか姿さえ互いに認識したことはない。
お互いの間にあるのは、ほんのわずかな間隙をついた交信じみた何かだけ。
それでも、つながりがある誰かがいることは、ヴェインの精神を強く揺さぶった。
外に出たい。
そう思ったきっかけは、なんだっただろうか。
はっきりと認識したその時には、既に行動を始めていた。
魔導式の束縛が緩む瞬間を狙って、自らの魔力を紛れ込ませることをひたすらに続け、拘束具を破壊するに足るだけの準備を延々と続ける日々。
そして、その時は来た。
全ての魔導式に過負荷をかけ、拘束具もまとめて吹き飛ばしてようやく彼は外の世界があることを認識できたのだ。
暗闇の世界から。
音もない世界から。
光も、言葉もある世界へ。
そして、もう一人いることに気づいた。
自分によく似た、自分ではない何かがいることに。
「でも、その場じャあ無理だった。ずッと拘束されてたからだろォな。自分の体も魔力も、思い通りに動かなかッた。だから、取り返しに来たンだ」
瞬間、ヴェインの腕が大地を掴む。
震える上半身をぐぐっと持ち上げ、研究所の方向を鋭い視線で睨みつける。
先ほどから魔力は供給していない。
生命力はさほど回復していないはずだ。
それでも、その体を突き動かすのは執念か。それとも、執着か。
どちらにせよ、ヴェインはこんな満身創痍であっても前に進もうとしているらしい。
随分と無謀なことだ。
今のままで研究所に辿り着いたとしても、静にさえ届かないだろうに。
そんな無様な有様を見て。
「良いだろう、気に入った」
「あァ?……ッ!」
ぎしり、と歯を食いしばりながら琉衣夜を振り返った。
途端、彼の全身に熱い何かが流れ込む。
ズルズルズルズルと容赦無く全身の先から先まで溢れ出したそれは、しかしヴェインの体に力を取り戻させる。
「テメェ……?」
「そういうことなら先に言え。どうせ今の状態ならあの研究所は俺にとっても敵になってるかもしれないしな。連れて行ってやるよ」
「なン、おまッ……!?」
「ま、俺の首輪も中にあるわけだしな。そういう訳だ、仲良くしようぜ」
「……この一件終わッた後でぶッ潰す」
「できるんならやってみろ」
口元を歪ませながらそう言う琉衣夜の前で、ヴェインは体を起こす。
その視線は未だに疑いの色を残しているものの、どうせ疑ったところでこちらのマイナスにはならない。
さて、と軽くヴェインに声をかけて彼は一歩踏み出す。
「何が起きてるのか知ったこっちゃねえが、さっさと終わらせるとしようか」
そして両者は歩を合わせて動き出す。
その口元にはぐちゃりと裂けた笑みを浮かべていた。




